むらぎものロココ

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ゲオルク・P・テレマン

2005-08-24 00:35:00 | 音楽史
telemannGeorg Philipp Telemann
Musique de Table

Nikolaus Harnoncourt
Concentus Musicus Wien

ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)は、マクデブルグに生まれた。プロテスタントの家系であり、父は聖職者であった。
テレマンは音楽において早熟の才を示し、10歳までにヴァイオリン、フルート、ツィター、鍵盤など様々な楽器をマスターし、12歳の頃にはオペラの作曲までするようになった。しかし、彼の母親が音楽家になることを許さなかったので、テレマンは法学を学ぶためにライプツィヒ大学へ入学したが、学生仲間とともにコレギウム・ムジクムを再編し、一般市民に向けた公開演奏会を開催するなど、音楽を諦めたわけではなかった。1703年にはライプツィヒ・オペラの指揮者、ライプツィヒ新教会のオルガニストとなり、以後はアイゼナハ、フランクフルトといったドイツの各都市で活動した。1721年からハンブルクの都市音楽監督に就任し、死去するまでその地位にあった。

テレマンは音楽的な才能だけでなく、実務的な能力にも長けていた。1725年に、自分の作品を予約販売方式で売ることを思いつき、1740年までの間で44点の作品を自ら版を作製して売り、成功を収めたのに加え、「忠実な音楽の師」という一般家庭向けに音楽レッスン用の楽譜を掲載した音楽誌を隔週で発行したりもした。当然、ハンブルクの音楽監督として5つある教会のためのカンタータや年毎の受難曲、都市で行うイベントのための音楽などの作曲もこなしたうえで、ハンブルク・オペラの活動にも携わり、自作のオペラのほか、ヘンデルらの作品の上演もするなど、まさに超人的な活動を繰り広げた。また、自作の海賊版が出回っていたのを差し止めるなど、音楽家の法律上、あるいは経済上の権利を守るべくつとめた。

テレマンの作品数は極めて膨大な数になる。受難曲46曲、教会カンタータは1000曲以上、オペラ20曲以上、室内楽200曲以上、協奏曲100曲以上、管弦楽曲130曲以上と言われている。
「ターフェルムジーク」は宮廷の宴席などで演奏される室内楽曲を集めた全3巻の曲集であるが、コンチェルト、トリオ・ソナタ、四重奏、ソロ・ソナタなど様々なスタイルで、そして様々な楽器編成で作曲されている。当時のあらゆる音楽を貪欲に吸収しながら誰もが親しめるものを次から次へ量産していったテレマンはその当時、バッハやヘンデルをしのぐ名声を得ていた。