楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

旬菜の店前に「から傘」の飾りが

2012年12月23日 | 日記

22日(土)は朝方雨でしたが、昼には止みました。

天王寺区谷町9丁目の裏道を歩いていると「旬菜 〇〇」と名前を出している小さなお店がありました。味の良い食べごろの時期の野菜を出すのでしょう。玄関横の壁に昔の芝居女形の絵をあしらった「から傘」が飾られていました。やや小ぶりですから日傘でしょう。京都や奈良のお土産屋では見かけたことはありましたが、大阪(やや古い街角)で見るのは珍しいです。6、70年前までは唐傘はどこの家でもありました。ただデザインが平凡でこんな女形ではありませんでした。もし子どもの時誰かがこんなデザインの傘を学校へ持ってきたら、と思い出し笑いをしました。今ではデザインの柄に関係なく皆に面白がられるでしょうね。

唐傘は「漢」の時代、中国から朝鮮百済を経て日本に来たと言われています。私の解釈では貴人の頭の上の落下物対策ではじめは大きめの傘をお供の人が掲げていたようです。訓読みのカサは、中国や韓国ではサンかウサンと呼ばれているとか。そのうちお陽さんや雨、雪が直接体に当たらない対策になってきたようです。日本では、江戸時代の中期に柄も短くなって、一般にも広がったと思います。このお店は旬菜と唐傘がどういう関係で飾りになっているのか、ちょっとわかりませんでした。


年末の「有馬温泉」は意外に

2012年12月21日 | 日記

21日(金)は朝から大変好いお天気でした。昼過ぎまでは、ポカポカして暖かい日でした。

年末も押し詰まり、来週あたりから高速道路や最終の出荷荷物などが渋滞したり、慌ただしくなるだろうと思っています。今年最後だろうと隙間を狙って「有馬」へ行ってきました。銭湯的大衆風呂「金の湯」(上の写真が本館)に浸かってきました。案の定どこもガラガラに空いていました。往復の定期バスは乗車率20%、入湯している人もいつもの50%位でした。高速道路は快調で渋滞は一さいありませんでした。一番うれしかったのは、金の湯の中で透明なお湯の中の湯船に、二袋ほど柚子(ゆず)が入っていたことです。ほんのりと柚子の香りが漂っていました。自宅湯船では入れたことはありますが、温泉では初めてでした。入り口の受付女性に「柚子は毎年年末、何日から何日までやっているの?」と訊くとなんと「柚子は今日だけのサービスです」というご返事でした。間がいいと言うか、ラッキーな日だったようです。有馬温泉街の人数も少々少ないと思いました。こういう時期の方が案外ゆったりするように思いました。

 

                                   有馬温泉本通り(自動車通り)


韓国(次期)大統領を密かに喜んでいる人

2012年12月20日 | 日記

0日(木)は、好いお天気で年末特有の風もあまりありませんでした。夕方にはさすがに少々冷え込みました。

私は主義として政情、や選挙のことはブログには投稿しないようにしています。まして他の国の政治に関わることは余り投稿をしていません。この度の韓国大統領選挙については例外です。19日の選挙で次期大統領は初の女性大統領の登場のようです。朴 槿惠(ぱく  くね)氏が当選したようです。選挙数日前、お誘いを受けて大阪で一緒に昼食をしたSさん(韓国プサン出身で日本に在住)は、食事をしながら、声を潜めて「朴さんに勝ってほしい」と言っていました。その理由は相手の文 候補はプサン大学(Sさんは知人の食堂を手伝い大学前で働いていた)で若い時から知っており地方議員当時も何度か会っている人だと聞きます。どうも気に入らないのは、文候補の奥さんらしいです。「私が食堂に来られた時きちんと挨拶しても先方はまともな挨拶もされなかった」と言っていました。「だから、文候補は大嫌いです」と言っていました。Sさんは今60歳台半ばの女性です。女はどこでも怖いです。奥さんが挨拶のきちんとできる人かどうかも大統領選挙の重要要件だなと感じました。いま、女性大統領の勝利で密かに喜んでいると思います。先の日本の選挙でも応援している市民に握手をしている候補者のほとんどがTVで見る限り横を向いて握手をするという握手の意味が分からない候補者が多いと思いました。そういう候補者は多分落選でしたでしょうね。

 


忘年会の冗談プレゼントに悩む

2012年12月19日 | 日記

19日(水)は多少雲があるが、まずまずのお天気でしたが、午後は冷え込みました。年末らしくなりました。

昨日の忘年会で安価な冗談を混えたプレゼント(参加者全員が対象で、適当に袋に入ったものを受け取る)を貰いました。帰宅後その袋を開けて見ると、ペンダント風のハート形をしたものでした。一瞬、マグネットかな、と思いましたが、磁性がありません。仕方なくワイフに尋ねると、周辺の枠が外れて何かを引っかけるものだと気づきました。でも正直言って明快な回答は得られませんでした。昨日、プレゼントを選んだメンバーに訊くしかないですが、もう今年はお会いする予定がありません。仕方なく、午後出かける用事があったので持っていきました。阪急豊中駅近くにあった小間物屋兼雑貨屋に飛び込んでそこにいた女性の若い店員さんに「これは何でしょう?」と尋ねました。この店員さんは、すぐこの器具を使ってテーブルなどに吊るす、「吊るし器具です」と言いました。若い子は、時々使うのだと言っていました。会議に持って行った小物をテーブルに吊るすのだそうです。そうか、そうか、と納得しました。100円から300円程度で売っている物だと聞きました。帰りのテーブル式喫茶店で隣の座席イスに置いていた手持ちのオレンジ色リュック(写真)を試しに吊るしてみました。結構さまになっていました。ちょっとの間悩みましたが、解決です。好いプレゼントでした。でも色や形が女性のものです。ワイフのものになるのでしょう。


え?どうしてポーランド女性がラテン音楽で

2012年12月18日 | 日記

18日(火)は温かい気温で雨もなくまずまずのお天気でした。

大阪なんばでやっている「日本語ボランティア」の今年最後の日でもあり、イヴェントが行われました。毎年のことですが大勢の人で、賑やかです。今年も約80人の人出がありました。日本人のボランティアをはじめ各国の人が集まりました。ゲームやイヴェントの中で注目されたのが、ポーランド出身のAさんが主導したダンスでした。なんとルンバとサルサというラテンリズムを背景にしたダンスでした。CDで流れる曲に合わせて踊りました。ダイエットに良いからと皆さんを誘って踊りました。どこかで習っているのでしょうか、それとももともとお国で覚えたものでしょうか。いくら暖房しているとはいえ、ノースリーブの恰好で皆さんをリードしていました。始めは男性陣も面白がっていましたが、2曲目には姿が少なくなりました。聞くとキューバ出身の男性とか言っていました。ほとんど女性になり、2曲各10分程ですがかなり草臥れたようでした。相当きつい早い曲でした。え?私?私はカメラ担当で横の椅子に座っていて踊りませんでしたが。でもポーランドの女性がリードするラテンリズムを横で眺めるのも乙なものですね。


どこにでもある小さな公園の表示で

2012年12月17日 | 日記

17日(月)は気温も高くお天気もまあだったので、お昼から傘なしで出かけると途中で小雨に遭いました。一時間ほど喫茶室で雨宿り。

年末も押し詰まったのでコーヒー豆を求めに、30分程歩いて行きつけの卸の店(近所では最も安く、パックも丁寧です)に行ってきました。途中に旧(古い集落)に小さな公園があります。そこにわざわざ「公園あり」、と看板(表示)が出ていました。わざわざ表示しなても見たらわかるよ、と思いながら通り過ぎようとしてよく考えてみるとこの道には最近自動車が増加して多いのでしょうか。ママたちが「子どもが危ない」と市役所に言いに行ったのでしょうか。他の豊中市内公園でそんな標示を見たことはありません。ここ数年でこの近くは近代的なマンションが急激に増えて(遅ればせながら)住民もかってとかなり変わりました。15年前と違って若い夫婦が増えたのでしょう。そういうママたちの真剣な主張が分かるような表示でした。少子化の傾向がある他の高齢者地域とこういう若いママの多い地域の表示も自然違ってくるのか、と古いお家が残る小さな公園表示を見てきました。高齢者(古い住民が多い)と若い夫婦の多い地域の共存地帯は主張の両方に気遣いしたり、調和点を求めて役所も大変でしょうね。同情します。


日本ではどうして「第九」がこれほど

2012年12月16日 | 日記

16日(日)は温かく晴れました。気温もかなり上がったと思います。

今日は、ワイフと協同作業で、毎年末の年賀状を意識した知人・親戚のリスト整理をしました。一日カンズメで移転や訃報、親族の情報を整理しました。約200件もリスト内容がありますので、「ああでもない、こうでもない」とやっていると時間が分からないことになり、気づくともう夕飯時になっていました。やや遅い夕飯をとっている時にBS-TVで東京フィルハーモニーオーケストラがベートーヴェン交響曲9番(ダイク)をやっていました。日本では、何故か年末にこの曲が聴かれます。先日知り合いのコーラス好きの女性(78歳)が言っていたのは「私、今ダイクを唄うために色々練習に行くの」でした。私が「第九もいいけど、退屈で70分も聴かされるのは、肩がこるよね」というと「そうよ、唄う方もコーラスが入るまで緊張で長時間待つのも大変です」と言っていました。この曲が初演で成功した割には、評論家たちの「退屈で長すぎ」とか「騒がしいだけ」等の不評で近代になるまで低迷したと聞きます。ワグナー等の努力で、だんだんと理解されて評判が上がってきたと言います。日本では大戦後のある年末「よろこびの歌」として取り上げられ、この東京フィルOがはじめて演奏してそれから年末歌としてお祭り好きの皆さんが取り上げるようになったようです。でもオーケストラの合奏と声楽を取り込んだベートーヴェンには頭が下がります。写真はいずれもBS-TV画面からの拝借です。

 

                                       


いつも立ち寄る東梅田の喫茶店「P」

2012年12月15日 | 日記

15日(土)は気持ちが悪い程気温が上がりました。年末らしからぬスタイル(例えば、薄手セーターだけ)の人も見かけました。夕方千里は雨に見舞われました。

いつも梅田へ出かけた時には、地下にある喫茶店「P」へ立ち寄ることにしています。東梅田の駅と御堂筋線の駅のちょうど中間に位置して入りやすいからです。何よりも、店の中がカウンター方式で、お店の人と顔を合わせてお茶を飲む形であり、かってよく通った夜の部のバーと感じがよく似ているからです。全数がスタンド椅子で10席と小規模です。一人か、少人数(2人か、3人)までが良いでしょう。他の喫茶店は、テーブル方式になっていて、話し込むことを念頭に置いた人達には好いけれど、私などの単独か少人数のお客には合いません。この喫茶店「P」は地下鉄乗り換え制限の30分の間にコーヒーを飲む必要があります。でももう10年ほど週1~2回寄っていれば、自然と顔なじみになってきました。ここでも何クルーかがあって交代で時間が変わっているようです。私の寄る火曜日と土曜日の夕方5時前後でもかなり顔ぶれが変わります。ただ変わらないのは、私が頼む「ブレンド・コーヒー」の味は変わりません。マニュアルがあるのでしょう。暑い時も寒い時でもどの季節でも変わらない注文なので、私の顔を見ると、黙っていてもブレンドの豆挽きがはじまります。時たま違った注文をしようかと悪ふざけを感じますが、やったことはありません。私は、めったに店の人と話さない方ですが、この店によく通う常連顔の人は、べらべら話しています。ちょっと嫌味ですがね。


大阪地下鉄御堂筋線「梅田駅」北改札前で

2012年12月14日 | 日記

14日(金)は真冬にしては、生暖かい曇り空でした。昼からは晴れて気温もぐんと上昇したようです。コートの前を肌けてしまいました。

阪急梅田から地下鉄御堂筋線梅田まで歩いて移動しました。金曜日午後でも大勢の乗降客です。人の列が続きます。改札前で足元に方向図と思える4方向を示した丸い図がありました。通り過ぎる人は皆無関心です。気づくときっと、この方向が北とか西とかが分かるはずです。皆知りません。写真を撮ろうとしましたが人が途切れず苦労しました。そういえば、かなり前にミラノを訪れた時アーケードの商店街ヴィオット―リオ・エマニュエーレ2世ガレリアで途中の交差点に石(コンクリート道路)の絵(牛)が書いてあったのを覚えています。ここでは、観光名所でしたから通り過ぎるだけの状態ではなかったと思います。皆一息ついてそこで牛の股間か、お腹の上でくるりと回ると縁起がいいのだとか言っていました。ここ阪急から地下鉄に通り過ぎる人は(その反対方向の人も)、全く観光気分ではなく大阪らしく「せかせか」と我先に歩くようでした。駅売店の人に方向を尋ねるばかりでなく、じっくり足元くらい見つめましょう。


町外れに掲げられた星条旗を見て

2012年12月13日 | 日記

13日(木)はやはり午前中は曇りで北西の風が冷たく背を丸めて歩く人が多いようでした。昼からは、ぐんと気温が上がり、手袋が要りませんでした。

広島市出身で同年輩友人Kさんのメールマガジンによると、子どもの時からの同級生が最近亡くなり、思い出を語っていました。このKさんは重症でなかったが原爆被災者で体をいつも心配していました。彼は、ナショナリストではないですが、アメリカをどうしても好きになれないと、述開していました。あんなに「キリスト教」が教義の国でなぜ一般市民(日本の住民対象)に自分勝手な論理で「原爆投下」ができたのか、疑問を持っていました。従ってどんな外交的な笑顔で話しても彼はアメリカの全て本当の考えに疑いを持っています。戦後の日米関係でも時の政府が、何でもアメリカの主張に「鵜吞み」「言いなり」「ご無理ごもっとも」できていると嘆いていました。そのKさんが人生を語り合った幼馴染の友人をなくしたのは、痛恨の出来事だったでしょう。しかし今日、豊中市曾根西町へ出かけた帰り道(町外れ)で「輸入中古車の小規模店」に大きな星条旗が立ててあるのを見つけました。沖縄や基地の戦後の後始末の為にも基地や施設を早期撤去してほしい気持ちはよく分かりますが、この店を見て、いったい全国にどのくらいの店と人が直接、間接にアメリカに関連する仕事で生活を支えているのかと思いました。生理的にはどうしてもアメリカが好きになれないでも生活の為、止むを得ず星条旗を掲げる気の毒な人・所もあるのではと思いました。私は、Kさんといくらか違う意見だなと認識しています。