楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

もう最近「風待月」などは使わないけど

2012年06月30日 | 日記

30日(土)は薄曇りのお天気が梅雨のお天気に逆戻りしました。ボランティアのあった大阪天王寺から小さな携帯傘をさしながら、帰宅しました。むしっとし、じめじめしたお天気でした。

6月ももう終わりです。まだ梅雨の最中です。旧暦では6月を水無月(みなづき)と言っていた理由は、晴れ上がり渇水になる(今の)7月に相当する時期を言っていたそうとか、田植えが終わったので水田の水引を終わった様子を言ったとか、伝え聞くと諸説が残っているそうです。本当はどうなのでしょうか。また別に「風待月」といって旧暦の6月(今の7月頃)を別名で呼んだということを聞いています。この時節は無風の日も多く、帆掛船等が多かった時代が語源ではないかと聞きます。でも最近は時代が変わり空調機の発達などでこういう言葉はほとんど使われなくなっています。今は外を歩くと、ムシムシと暑苦しい場合が多く、6月中旬から梅雨明けまで私は昔から苦手です(好きな人はあまりいない?)。6月から7月梅雨明けまで、本当に多少は微風があってほしいものです(台風はあったが)。私は風を待っています。なかなか風はありません。今日は、いつもより約1時間ばかり遅れて、地下鉄谷町線に乗りました。帰宅途中の高校生やオフィースねえさんたちがいつもより少ない感じで、かなりの隙間があり地下鉄車内は涼しい風が吹き渡っている感じでした。時には、午後5時過ぎ(普段はラッシュ時間の始まり)にこういう空いている地下鉄もよいものですね。何となく車内で「風待月」という言葉を思い出しました。


慣れている筈の「大阪駅」内で迷い道

2012年06月29日 | 日記

29日(金)は好いお天気になりました。青空の見える大阪駅前風景は久しぶりでした。大阪中央郵便局(修理中)前から見た風景では空は真っ青でした。暑い。

用件が重なって、大阪駅まで出かけました。その一つであるバックアップ用の「外付けHDD中古品」のギガ数の多いもの探索にある電気屋さんへ寄りました。その途中、大阪中央郵便局前からの風景は久しぶりでした。駅前も随分変わって、結構高いビルが重なって見えました。実は東側の御堂筋線地下鉄駅から行ったのですが、JR駅内通路でステーション シティー(ショッピング街)という改装された所を標識に沿って歩きました。西の中央郵便局へはだいたい500m位で行けると思っていました。何とそこは、いつのまにか地下一階だったのです。見たこともない店が立ち並んでいました。そこ一帯にご婦人中心(買い物に血眼でマナーが悪い)の人並みでいっぱいです。右へ避けたり左へ逃げていましたら、どちら向きなのか分からなくなりました。久しぶりとは言え、慣れた大阪駅ショッピング街で道に迷ってしまいました。私は、憮然としてプライドが傷ついたのでした。畜生!!(汚い言葉で失礼)


年輪を重ねた高年齢で、自分を苦々しく思っています

2012年06月28日 | 日記

28日(木)は意外に好いお天気で、特に午後は日差しもきつくなり、暑くなりました。九州は豪雨の地域もあるように聞いていますが、近畿は今の所まずまずです。

昨日大阪梅田へ出かけたとき、お恥ずかしくも私が大声を出して他の人を窘める(たしなめる)場面が2度もありました。私の日ごろからの心得と違う気持ちだったので、今日は私なりに反省して家で謹慎しました。考えるのも苦々しい気持ちです。一回目は久しぶりに入った大衆喫茶店でのこと。席が空いていたので、コーヒーと茶菓子を買って、座ろうとすると、4人ほどが座れる空席に荷物が4個も置いてありました。仕方なく別の所に座りました。すると中年女性が二人でそこへ座り、荷物そのまま話し出したのです。その声が、静かに楽しんでいる他の皆さんに比べあまりにもけたたましく、やかましいものでした。一番近い私が「ちょっと、うるさすぎるのではないですか」と言いました。一人は恥ずかしそうに静かになりましたが、もう一人は開き直った感じで大声を続けていました。常識がないのでしょうか。荷物の置き方と共に恥かしくないのでしょうか。もう一回は、地下鉄乗車で、待ち場所で待っていました。電車が入って来たとき、横に60代半ばの中年男女が急に割り込んで来て、まだ列車から下りている人がいるというのに、中へ入り二つ並んだ席を占めようとしました。夫婦ではない様子でした。私も最前列ですからすぐ後から乗車した時、先に乗った男が女の方が遠慮するのを手招きして座リかかる私を力で阻止しようとしたのです。私が「先に来て待っている障害者(私)が座ろうとするのをあなたは何をするのですか」というと、この男は「何をいうのや」とカラ元気な大声で喚きながら他の席に別々に座り直しました。いい歳であるのに常識をわきまえた男には見えませんでした。何か理由のある二人連れでしょうか。おかしいのは、その二人は数駅で降りたのでした。

私も、こんなことで、声を荒げたり、熟年として人に指摘したことを、自分ながら苦々しく思って昨夜から気持ちが落ち着きません。今日は、年輪を重ねている割に寛容の気持ちと謙虚さを忘れていたと反省しきりです。歳相応に熟したいものです。でも常識を欠いている群像はどういう人たちでしょう。


摂氏と華氏の両用寒暖計を求めて

2012年06月27日 | 日記

27日(水)は一日中どんよりしていました。昭和39年頃のその筋の古い本によると「五月雲」というそうです。勿論、旧暦の五月で、陰暦の頃、梅雨最中、どんよりとした陰湿な曇り空をそう呼んでいたらしいです。

先日、BSニュースを見ていると、アメリカ都市の一部が映されました。華氏で99度という暑さだと言います。街の気温計の数字も出てきました。慌てて、換算数値を思い出しているうちに次の説明では、103度という地方もあり山火事発生と言います。私も一いち換算するのは太変なので家庭用の華氏/摂氏両用寒暖計(気温計)を準備したくなりました。昨日インターネットで調べると、意外にないようです。そこで、今日、大阪梅田まで出かけて大手の三店を探してみました。そこでもないのです。置いてあるのは摂氏気温と湿度を量るものばかりでした(写真)。これだけグローバル化し、国際的になっていて、沢山の人がやってきて自国で華氏を使っている人も多いはずです。日本でも私のように一いち換算しないと気温の幾らか正確な換算数字が分からない人も多いはずです。なぜ、摂氏と華氏の両用かまたは切り替えか出来る「両用寒暖計」がないのでしょう。業務用の高額な気温計はあるのでしょうが、一般家庭向けの寒暖計がないのには驚きました。どのお店の担当者も「あなたの言われる通りです。こんなに多国の人がいる日本ならデジタルで摂氏/華氏の切り替え寒暖計はあってよいはずですね」と恐縮していました。メーカーの考え方を私も解せません。昔、ニューヨークのタイムズスクエヤーには、大きな両用があったように記憶はあります。あれの家庭用を見つけたいです。今のところはないようですが。


丸に十文字のお寿司屋さんがあった

2012年06月26日 | 日記

26日(火)は涼しい風も幾らか感じましたが、暑い一日でした。お天気は、すっかり梅雨の気配を忘れたような好いお天気でした。

なんばからアメリカ村へ北に入る時、裏町で、丸に十の字のお寿司屋さんを見つけました。この屋号のお寿司屋さんは、昔、御堂筋沿いにあった店だと思います。何度か、行かせてもらった覚えがあります。昭和35年から38年の若いサラリーマンだった頃、お寿司屋さんは何処へ行っても、安サラリーマンにとって値段が高い物でした。握り職人を相手に握ってもらうのが恰好良いし、それが普通のお寿司屋さんのスタイルでした。結婚前の付き合いでした。この丸に十文字のお寿司屋さんはその中でも、比較的に安価で手軽に行けた一軒でした。ところが、バブルのころ、突然その姿が見えなくなり見つけることができませんでした。もう最近お寿司屋さんはお寿司をベルトコンベヤーで流す時代になっています。それ以後、機械的な回転寿司屋さんではあまり食べたくないので、数回行っただけです。今日たまたま通りかかり、懐かしい丸に十文字の屋号を見つけて「あれ、こんな所にあったのだ」と昔を思い出しています。でも、最近知ったのですが、この記号は「薩摩藩島津家の家紋では?」と思っていました。調べてみると歴史的にはただ単に「十」が本当の歴史的島津家家紋と知りました。古い民謡で、♪花は霧島、タバコは国分、燃えて上がるは小原は~桜島~ の中で 見えた見えたよ 松原越しに〇に十の字の~ ♪ と覚えたものですが。あれは、皆でお酒を吞んだ時、十八番(おはこ)にしていた人もいたなあ。ここは、取りあえず薩摩と関係はないのだろうか??


最近「ペール・ギュント」に興味があります

2012年06月25日 | 日記

25日(月)は梅雨の中休みが続きました。まずまずの好天でした。今年の夏は暑いぞと、気象庁三か月予測が発表されたようです。今日の北大阪も蒸し暑かったです。

ペール・ギュントというタイトルを見て、分からない人には、インチキなサプリメントの名前か、すっぴん用の化粧品の名のように聞こえるでしょう。でもそうではなく、ノールウエーで1800年代前半に書かれた農夫を素材にした劇詩の主人公の名前です。イプセンという作家がイタリー旅行中に書いたというものです。このペール・ギュントは日和見的で夢想家です。私の評価ではマザコンでもあります。成長後、いろいろ女に手をだし、すぐに飽きてしまうという体たらくです。欧州内、アフリカなどいろいろ旅に出て、うまくことが運んだ時には、大金も手にするが、最後は一文なしでノールウエーの故郷に帰ってくるという一代記です。今のオスロ国立劇場で上演した時、グリーグの音楽と共に高く評価されたというものです。私はその中、若い時に同棲をした何人目かの女 ソルヴェイグ(きれいだが農家出身の素朴で貧しい)がペール・ギュントを一人永く待ち続けた話に興味を持ちました。最後はこの彼女に抱かれて死んでいく話になります。卵かチキンかの話ではないのですが、はじめこの劇用に作られたグリーグの曲の一部「ソルヴェイグの歌」(民謡とも言います)が好きになり、物語を読むようになったのかも知れません。最近は聖母マリアのように全てを許し、愛で包むようにした真心あるソルヴェイグ像に興味を抱いています。全てを許すという所あたりが、キリスト教でない日本人の我々には、もう一つ分かり難いノールウエー人の思想ですがーー。この戯曲に興味だけは持っています。


あるお店で見た五本指ソックスを見て

2012年06月24日 | 日記

24日(日)は、好天ではありませんが、雨が降るほどでもなかったです。梅雨の最中、九州地方は豪雨とか、明日以後、関西はどうでしょう。少々心配しています。

買い物に付き合いある大きなお店に立ち寄り、ソックス売場へ寄ることにしました。一瞬「五本指」という字があったので、これはなによ、と思いましたが、横のワイフから指ごとに分かれたソックスであるという説明があり、やっとそういうものがあったことを思い出しました。相当前の寒い冬に分厚い五本指がついたソックスを履くように勧められた記憶があります。でもよく考えてみると、この言葉にはいくらか差別的な意味合いが込められているように思いました。少々前、ヒステリックな差別用語指摘団体がいたわりにこの言葉を差別用語と聞いたことがありません。五本の足指がない人もいるでしょう。生まれつき足指が欠けている人や生後何かの理由で足指を欠損した人もいるでしょう。大ぴらに商品に「五本指」という表示をするのは当然差別になりませんか。誰もが五本指ではないはずです。そういう指摘団体の人のご意見を聞きたいものです。昔の足袋は親指と他の指を分けて下駄や草履を履きました。二本分けとか、親指は別、という説明的な表示はなかったはずです。「五本指」で商品名が分かるほど、行き渡っているのに驚きました。消費者も慣らされ、麻痺しているのでしょう。あれだけ何でも差別用語と言っていたその筋の団体からも指摘がないのは、猶更驚きでした。


前からの「ペットの店」が改装中

2012年06月23日 | 日記

23日(土)は朝方少々どんよりしていましたが、徐々に好天になりました。梅雨らしからぬ、湿度の低い乾いている感じでした。

大阪市天王寺区上汐町を歩いていると、数年前からあった「ペット屋さん」が改装していました。改装という閉店ではないのでしょうか。何か他の店になるのでしょう。今時、街中(まちなか)のペット屋は日本都会の現状から見て可能なの?と思ってきました。まず、昔のような戸建てのお家を持つことは非常に少ない上、庭が殆どない家に住むとなると、ペットはどういう風に飼うのでしょう。部屋の中で飼うのは一部の人は可能でしょうけど、衛生面、環境面でそうはいかない所の方が多いでしょう。一時、情操面や、心理的癒しの面ばかりが飼う言い訳になってきたのですが、特に集合住宅で、大きなペット(特に犬)は問題も多いです。独善的な処理をしてきた諸問題対応に飼い主が排斥を受けています。排泄物の自宅処理責任、ペットアレルギーの人への対応、細菌蔓延の問題、散歩の制限(嚙みつきの問題)などを考えると(相当な田舎は兎も角としても)この都会の真ん中では全く飼いにくいはずです。一時以上に煩くなり、最近ペット排除の声が大きくなっています。ペット屋さんがそんなに一時のブームに乗って必要な環境では絶対ないと思っていました。今日通りかかると、この店の中を(きれいに)掃除した後、ウインドウを作る改装工事が進んでいました。これからはここは、時代と環境に合ったどんな店ができるのでしょう。


梅雨の中休みかお天気になって

2012年06月22日 | 日記

22日(金)、久しぶりに雨の心配がない一日でした。昼からはかっとした太陽が出てきて、夏日に近い暑さになりました。会合では、冷房をつける一幕も。

数日続いた雨は大きな川の一部が決壊したり、逆流をして、広い地帯が水害に遭っています。和歌山県和田川などは、田植えの終わったばかりの水田が冠水をしたり、付近の多くの家屋が被害を受けておられお気の毒です。近畿地方でも一部の地帯では大雨で排水や川の容量を超えた豪雨だったのですね。今日昼ごろ好いお天気の中を出かけました。近くの川幅15m位の小川を見てみると、7~80cm位の高さのところに生えていた川底に近い雑草が横倒しになっていました。少なくともここまでは水位があったのでしょう。標高が幾らかある豊中市の小川でも濁流が滔々と流れたのでしょう。自分の水田や自宅が川の水で被害に遭うのは、急流の多い日本古来の試練です。出来るだけ早期の復活を祈っています。水がないと生きていけない人間が、今度は水に泣くという現実に、生きていく難しさをつくづく感じます。負けずに立ち直りましょう。この小川は今日は、何事もなかったように適量の水が流れていました。


この時期、コインランドリーに大勢の客が

2012年06月21日 | 日記

21日(木)は朝方からかなりのきつさで雨でした。いつも自転車で出かけるワイフも今日はサーカス型片手傘(できないはず)とか、合羽を着るのを止めて、歩いて出かけたようです。

昼から用事があってバスで出かけました。バスの後、歩いていると「コインランドリー」がありました。私はコインランドリーを多少経験しています。50歳位の頃(約25年前)、出張で行った米国クパチーノ市(カリフォルニア州)の定宿にしていたホテルで、滞在が長くなってくると、ホテル内のコインランドリーを使ったことが数回ありました。下着中心でしたが夜間とか休日にやるしかありません。洗濯、リンス、乾燥とも当時は一回クオーター(25セント・コイン)でした。でも季節により衣料品の厚さが違いますので、乾燥は一回(約5分くらい)では済まない時もあり数回やったこともあります。そのたびにコイン不足になり受付の女性が笑いながらコインの両替をしてくれたものです。ビジネスマン用ホテルのお客ですから、男性が中心でした。今日見たコインランドリーは女性が多く、(洗濯機が買えない?のでなく)車で来ている人の方が多いのです。やはり、このコインランドリーは乾燥など梅雨時期に、空間的に雨の時、部屋内外に干せない人や、介護する人がいたり、赤ちゃんがいると特に着るもの確保の上で乾燥が間に合わず回転を速める人が多いのでしょうか。コインランドリーが最近はよく街角に出来ています。私はつい洗濯機が買えない経済的に気の毒なお宅とか、旅行者の長期逗留人の利用を思っていましたが、これで実態はだいぶ違う感じであることが分かりました。認識不足でした。