楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

どこでも満開の桜だが暑さは初夏か

2015年03月31日 | 日記
31日(火)3月が終わります。明日から4月ですが、晴天で気温はぐんと上がりました。大阪の気温は最高23℃くらいで、Tシャツの人がいっぱい。もう初夏。

今、どこでも桜が満開です。ソメイヨシノの満開は西日本ほとんど同時です。桜の花に関する話は多いのですが、私なりに3件にしてみました。

●難波でのボランティアで今日、韓国籍のお婆さん(77歳)Sさんのお相手をしました。彼女のお相手の日本人ボランティアが休暇で急に私にお鉢が回ってきました。彼女の持っていた参考用プリントを見ると古い言葉の「花はさくら木、人は武士ーー」がありました。確かにそんなこと言っていた時代もありましたが、ぱっと咲いてパッと散る瞬間の桜の美しさを歌ったものでしょう。韓国籍の人から武士の精神の話を聞いて、現代庶民の花見の実態を恥ずかしく思いました。このお婆さんは、花盛りの日本のこの季節をこよなく愛しているようでした。17年間日本で生活し未亡人として今後も花を愛していきたいと言っていました。

●江戸時代から桜の花を日本人は皆が大好きでした。でも神様、仏様の関連を調べてみると、いずれでも桜の花に直結するお祭や行事は特にありません。花見でお酒を飲んだり、お弁当を広げて宴会を開く習慣は以前からあったのでしょうか。明治になって、花とお酒の関係が深くなったような気がします。、親戚、会社仲間、仕事同僚等が仲を親密にするため、花を利用してきたのではないのでしょうか。昔の太閤秀吉などの花見はお酒が本当にあったのでしょうか、下層のほとんどの人は花の名所でお金を出してお酒が飲めたのでしょうか。江戸時代の庶民は花見に気がねなく気軽にお酒が飲めたのでしょうか等、謎の感じがします。桜の花は咲いている時も、散る花弁も美しいと言う人がいます。昔の人の方が風流だったのですかね。花筏。

●大学入試の経験がある人には覚えがあります。合格不合格を早く知って、その後の自分の処理や予定選択の参考にしたのです。「花咲く」か「花散る」かの電報結果で態度が決まります。これは、私の経験では試験会場外で試験終了時、多少のお金で電報を頼むシステムです。受験大学が合否発表の場所に近く直接発表板を確認できる人は、問題はありません。地方からの大学受験の場合は、電報で知らせてもらわねば遅くなります。大体(昨今は短期でしょうが)私達の頃は、受験後、約1週間は結果を待ちました。受験宿(大ていは安価)に泊まる学生には待つ間そんなお金はありません。電報を頼みました。「花咲く」が届いた学生は家族や教師へ知らせるためそれを持って走ったものです。桜の季節はそういう悲喜劇もありました

痛ましい事故の池でも花は満開に

2015年03月30日 | 日記
30日(月)は、昨日と打って変わり、好天になりました。青空です。暑い感じで、公園の少年達は短パン、半袖Tシャツという夏姿でした。

今日は花見ではありませんが、公園を横切って用事に出かけました。途中の公園内の池傍に花束や飲料ボトルが沢山置いてありました。雨よけの傘まで。そうか、思い出しました。さる2月末、池の近くの障害児施設から飛び出して行方不明になったH・T君(6歳)が3月半ばに水死体で発見された現場でした(上の写真)。警察はじめ公私の団体が探し回っても見つからず一時誘拐説も出たくらいです。皮肉にもそういう捜査団体と関係ない通行人が発見だと聞きます。でも痛ましい事故でした。池の周りにはいま無情にも桜が満開です。近くで同じくらいの子どもを連れた母親たちの何人かが車座でおしゃべりに夢中だし、そして弁当をパクついていました。この事故は、通りかかりの小母さんが解説するには、「知能障害の子で池近くの施設にきていましたが、介護の担当者が帰宅の子どもを送るため着替えしに行った隙に、施設を飛び出してしまったようです、池の柵を乗り越えて中側に入ろうとして池に嵌ったようです。」とのこと。花がきれいに咲いているだけに余計に可愛そうな事故に思いました。思わず合掌!
        

雨の日曜日、特に大阪駅は混雑

2015年03月29日 | 日記
29日(日)は、朝からしとしと雨になりました。桜の満開場所が多く、花見に行く予定を挫かれた人も多いでしょう。昼過ぎには、止みました。

午前11時ごろ、JR大阪駅のビルにいました。雨ですが今日は昇給の決まった給料日直後、暖かくなった気温、花は満開、春休みの最中、色々なバーゲンセールなど各種出かける条件がそろっている感じでした。いつもより大勢の人がいました。中には、観光に来ている人で駅の中に雨宿り、また甲子園に行く予定だったが(試合はあるけど)屋根がない所の観戦は止めた、等の人も加わっているのでしょう。いずれにしても大勢の人が、大阪駅の屋根の下に入り込んでいました。大手のデパートやショッピングビル等の中も同じだったでしょう。大阪駅はグランフロント、阪神・阪急・大丸などのデパートに近接もしているし、雨宿り 兼 ショッピング、トイレ借り、飲む・食べる歩きのはしご 等にもってこいの場所のようでした。写真のエスカレーター上りはグランフロントへの近道で人の波が続いていました。老若女性が約80%。驚き。

大阪市の細工谷(さいくだに)は懐かしい

2015年03月28日 | 日記
28日(土)も明るい晴れたお天気でした。春でないような暑さで、皆お互いに「暑いくらいだね~」と言い合いました。

大阪市天王寺区を上本町6丁目(上六と言います)から東に20分くらい歩いていると、JR環状線や地下鉄鶴橋へ出ます。いつも同じコースでは面白くないので、今日は東北側の道を選んでみました。途中に「細工谷(さいくだに)」という地名がありました。自動車交差点でした。何年か前、この地域で工事中古い貨幣が出土したらしく、中国か朝鮮からのものが出てきたのかもしれません。町のど真中に遺跡がありました(下の写真)。この天王寺区細工谷には私は、古い思い出があります。55年前の学生時代の卒業半年前に、夏休み利用の工場実習(国立工学系の必須科目)でK鉄工へ来た時、入社を勧誘され会社から社長面接で採否を決めると言う突然の申し渡しがありました。実習だけと思っていました。シャツだけしか持ってきていません。当時の学生は夏でも正式には「学生服」を着用しました。仕方なく大阪にあった遠縁に電話をし学生服を借りてもらいました。受け取りに行くと言うと、「こちら家は細工谷」と言ったのですが、何処だか地図が分かりません、大阪の他の学生等に尋ねて宿舎の兵庫県尼崎から大阪(当時は国鉄)環状線桃谷まで約1時間電車で学生服を借りにきました。おかげで、面接ができ面接にも無事パスしました。洗濯もせず着たものをお返しする学生気分でした。懐かしい忘れていた細工谷にまた遭遇しました。その遠縁との付き合いは、残念ながらその後ありません。町や道もすっかり変わっていました。
                         

シニア仲間で会議後は合唱を

2015年03月27日 | 日記
27日(金)は昨日に続いて、青空でさらに気温も高くなりました。ほとんど初夏の感じです。皆さん、急に薄着。

千里中央でシニアボランティア仲間の会議がありました。はじめにご高齢(90歳近く)の先輩が亡くなった報告があり、皆で黙とうしました。つい先日までお元気でお会いしたと思っていましたが、年齢的には色々な病気を持っていたので入院などもあり、数か月お会いしていないことが分かりました。突然の死亡でした。その後、老人ホームでの高齢者相手のボランティアが意外と難しく、あちこちで問題がある話が出ました。でもボランティア側も、皆60歳以上のシニアです。方法論だけで難しいと言うだけでは対応できません。老人ホームに出かけてボランティアしているどなたかから老人ホームでも「テレビや音楽を見る、聞くだけの高齢者」と「一緒に話したり、歌ったりする高齢者」がいることの経験上の指摘がありました。受動型と参加型です。受動型の人は、ほとんど無口であまり話さないので扱いが本当に難しいと言います。参加型の人は、その人の小学校などで合唱した歌が一番思い出してもらえるのだと言います。そういう高齢者を相手に長年接触してきた数人(上の写真)が、会議終了後、卓上ピアノの演奏で、音頭をとりシニアボランティア相手に ♪「春に関係する歌・唱歌」♪ を一緒に訓練で合唱してくれました。いずれにしても、シニアが超高齢者を相手にボランティアして行くことの難しさを知りました。合唱で、このシニア達も自分が将来老人ホームメンバーの一人になる気(それに近ずく)で、必要以上の大声で歌に参加していました。いずれ我が身もーー。

久し振りに”神戸”の街を

2015年03月26日 | 日記
26日(木)はこれぞ本当の「日本晴れ」という感じの青空で暖かい日でした。この天気は、長続きしないなと思うほど好いお天気でした。

用事があり、久し振りに神戸三宮に出かけました。早めに用事が終わったので、神戸港へ出てゆき、メリケン波止場から海岸沿いに散歩しました。何げなく海上へ出てみたくなり、港内を往復するクルーズ船に乗ってみました。40~50分ほどです。有名なK重機やM重工等の工場を眺めて、何となく重ぐるしい展望でしたが、波止場に帰りつく寸前眺めた神戸の街(上の写真)は、シンボルのポートタワー等が港町の神戸らしさを表して久し振りに来たかいがあると思いました。帰りに立ち寄った南京町(下の写真)は、90%ほどが若い女の子(特に日本各地からや中国からの観光旅行者でしょう)であちこちに行列を作っていました。立ち食いですか。春の暖かい日で木曜でしょうが、春休みの時期でもありました。
                    

永らくお世話になった書店の閉店

2015年03月25日 | 日記
25日(木)は、やや冷たい風が吹く寒の戻りの日でした。西からの凄まじい風で、時折は帽子を押さえる人もいました。

私が、大阪・豊中市に住み出した約30年ほど前からお世話になったS書店(本店は千里中央)の”桃山台支店”が今日で閉店しました。ある書店が閉店する程度のことは今までにも各種経験していますので、大して驚きではありません。でもこの書店は、付き合った期間の長さや暇な時の時間つぶしや何気なく立ち寄る頻度などが他の書店とかなり違いました。ここでは置いてある本を順に眺めながら色々な新刊本の知識を得る事が出来ました。幼いころの子ども連れで行った覚えもあるし、子どもの本コーナーも一応覚えています。今日で終わりだと思うと、何となく立ち寄りました。閉店の貼り紙はかなり前からありましたが、今日で現実になりました。閉店の貼り紙があるので、今日が”最終日”だと皆さん分かっているのでしょう。いつもより(午後2時ごろ)買い求めるお客が多いように見受けました。そういうノスタルジーというか、寂しさを感じている人は多いのでしょうか。書店とはいえ、お世話になったお店がなくなるのは、寂しさが込み上げてくるのですね。書店職員や店員さんはずいぶん変わりましたが、ずっと同じ所にあった馴染みの書店の閉鎖は残念です。

通勤時間の電車内ではスマホ狂だらけ

2015年03月24日 | 日記
24日(火)は数日前とは違って、急速な気温低下で、私は、朝はブレザー姿にマフラーを巻きつけて出かけました。手袋も念のため持って行きました。

●今朝は用事があって早めのラッシュ時間に地下鉄を利用しました。無理に坐らせてもらった一般席の周りを見回すとほとんどがサラリーマンかオフィスガールでした。男女10人ほどいた座席周りの人を見ると、なんと、(私を除き)立つか座りこみで全員スマホを操作していました。私はI-PODで音楽でした。隣の若い男の人を横にらみで見ると、下を向いたままゲームに夢中のようでした(上の写真)。ここでスマホのゲームやメールに夢中なことは、これから仕事に取り組むべき朝通勤の意識とか姿勢だとは思われません。ある人の言によると、こういう「中毒」的な状態を21世紀のアヘンだと言います。このスマホに夢中な姿は、確かにそれだけを追いかけて亡国的です。私は、世代的にその人たちに言いたいのです「アナタは、たかがスマホの機械で奴隷になっていませんか!」です。

●午後4時ごろ、私の家に近く、帰りの道筋にある総合葬儀会館で何人か人の群れがありました(下の写真)。たまたま会った知り合いに訊くと、「先日亡くなった落語家 桂米朝 のお通夜です、大勢の来客がある予定で、マスコミ報道陣が時間前に陣取っているようです」とのことでした。いい場所で撮るためにたぶん7時ごろまで待つのでしょう。今日は、ことのほか寒いぜ、通常取材なのか、スクープでも狙うのか、知らないが、風邪をひきますよ~、と言いたかったです。

                      

鷺の種類か、畑の柵上でじっと

2015年03月23日 | 日記
23日(月)は、曇りがちでしたがまずまずの好天でした。いくつかの用事を済ませる為もあり、外出しました。

用事を済ませ夕方帰宅途中に、近道に畑や田圃の多い所を通り過ぎました。私の約10m向こうにある柵の上に見かけぬ鳥が止まっていました。じっとしています。何かを探しているようにも見えません。餌がほしいのなら積極的に飛び出すはずでしょうが、動きがありません。これはもしかして、模造した人形の鳥かと疑いましたがそれはありえません。もしかして、この辺で集団に逸れた鳥かもしれません。または疲れて休んでいるのか、病気で動けないか。幸いにこの辺はほとんど人や自動車が通る道でもないので、驚かせる動きや音の発生はありませんでした。帰宅後調べてみると、一番近い野鳥は「あおさぎ(青鷺)」に似ていました。黄色い先のとがった嘴、鳥背丈 約60cm、足が長く白い羽、羽の先が黒い(青い?)等の特徴が似ていました。鷺の種類だと思います。これは、中国や朝鮮半島にも存在する渡り鳥らしく、日本には2月、3月に渡来する鳥だとの「野生鳥図鑑」にありました。いずれにせよ「鷺」の種類だと思っています。家が多いこの辺では(田畑はあっても)珍しく大型の鳥でした。

優先座席について色々な見方も

2015年03月22日 | 日記
22日(日)は物凄く暖かい日でした。もう春とは言えません。初夏に近い感じ、なにしろ若いティーンエイジャーの人はほとんど皆半袖Tシャツ。

出かける時、HバスでもJR大阪環状線でもハンディキャップ者用の座席をピクトグラム(簡単な図形式)で分かりやすく示してあります(以前紹介済み)。瞬時に何かを判断するにはこのピクトグラムであらわすことは好いことと思っています。所が、その見かた、受け取り方、判断の仕方などが健常の乗客一部には適正に判断されておらず、守られていないことが実態です。

1)混雑時、「空いているのだから健常者が坐っていいだろう」という見かた・考え方
2)幼い子供は何歳くらいまでは転んでも困るので優先座席に坐っていいのか
3)若くして内臓疾患を持つ人や妊娠初期の若い女性は見た目には分かりにくいので坐り難い
4)家族移動で家族の雰囲気が大事で優先座席対象者もいるし全員で座ろうか(上の写真)
5)元気な高齢者は坐らなくてもいいが、優先だから坐って楽に行きたい

等の疑問があります。そういう見方をすると、この分かりやすいピクトグラム表示だけでは、誠に内容の説明は不完全ですがーーー。基本になる常識がないのですね。「ハンディキャップ者に対する敬意がないこと と ステッキなどを振り回す見える範囲の障害者しかハンディキャップ者と見ない狭い了見」しかないのでしょうか、健常者はハンディキャップ者用場所には絶対に入らない坐らないという道徳観、美感がないのですね。日本はそういう点ではかなり後進的です。世界に恥ずかしい。大阪はそれが顕著で平気な顔で悪げもないのです。これは「都構想」以前の問題でしょう。