楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

クリスマス・ソングに満ち溢れた日曜

2012年12月09日 | 日記

9日(日)は好天と曇天が入り混じるお天気でした。でも気温は昼間に7℃か8℃程度で風もきつく、強烈な寒さでした。外出には、手袋、首巻、厚手のコートの出動でした。

正月早々目の手術を控えているので、年末恒例の夫婦忘年会(と言っても音楽コンサートとお茶程度)を済ませに出ていきました。モスクワ・アカデミー合唱団のコンサートを、ザ・シンフォニーホールで聴いてきました。前半がロシア民謡、後半が宗教(クリスマス)音楽中心でした。10歳位の子ども10人位加えて40数人の合唱隊でした。音楽を聴きながら私は古い思い出に浸りました。一つはロシア民謡「アムール河のさざなみ」が流れた時です。私が幼少のころ(昭和16年ころ)、当時熊本市在住で父のいとこだったO氏が、水前寺にあった連隊の会計中尉だったと思います。馬に乗り兵卒を従えて挨拶に我が家へ来たと覚えています。行き先は分からないが、異動の別れだったようです。その後満州に渡り、終戦後シべりアへ向かう汽車から逃亡しアムール河(中国名 黒竜江)で消息不明になったと、帰還した戦友の報告だと聞きました。合唱の旋律の美しさもこの寒い連想で消えていく感じでした。もう一つは、戦後の若者に流行った「歌声喫茶」です。どこへ行ってもロシア民謡でした。大阪の遠い親戚の娘が大学生で、アルバイトに大阪なんばの「歌声喫茶」で唄ったり、ピアノを弾いていたので、私は、若いサラリーマン時代には、数回義理もあり聴きに出かけたものです。彼女はその後どうしているのか、知りません。当時覚えたロシア民謡が今日はロシア語で聴けました。幾つかの思い出を思い起こさせてくれたコンサートでした。帰りに見たピロティ―では2m位のツリーの前には、人だかりでした(上の写真)。

阪急電車で帰ってきた曾根駅前で、ある教会の人たちが、10数人黒人霊歌を唄っていました。黒人が奴隷だった頃のアフリカ民謡でしょうか。アメリカ黒人のキリスト教音楽です。この寒い中、何かの募金でもされているのでしょうか。若い女の子たちはお互いに寄り添い体を動かしながら歌っていました。ただ、ジャズ風のリズムは、ある映画の歌い方の真似事のように聞こえました。     今日は、クリスマス・ソングの多い日でした。どこもかしこもクリスマスね。


                               阪急曾根駅前で寒い中歌う聖歌隊