楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

雨後の「タケノコ」論争を

2013年04月30日 | 日記

29日(火)は朝方かなりきつい雨になりました。連休の最中のカレンダー出勤になり、お仕事をする人たちは、傘を翳して大変でした。

昼からの雨上がり、空を見上げながら「雨は止んだみたい」と公園の散歩に出ました。遠距離で遊びに来る人や座り込んで弁当食べる人、禁止のバベキューをやるような人たちは朝の雨であきらめたのでしょう。人影がありませんでした。下が濡れているし、公園中が濡れて乾いていない状況でした。私は公園内の竹林を見てから公園の事務所へ立ち寄り討論してきました。私「この公園の竹林には黙ってタケノコを盗ると犯罪です、という看板が大変多いが美観などから考えても度が過ぎていないか」  公園女性事務官「タケノコを盗る人が多いし、今日みたいな雨後のタケノコは盗まれやすいです」  私「雨後にできるタケノコは具体的に毎年どう処理しているのか」  公園女性事務官「竹林管理は実際ボランティアにお任せしている。多分そちらで処分している」  私「タケノコに限らず、野犬に餌を与えるな、鳥に餌を与えるな、犬の糞は飼い主が処理せよ、犬を鎖につないで、等という看板が多すぎると思う。3m間隔に看板がある。看板が多いから皆さんが言うことを聞くと何か勘違いしていないか。最小限の看板で美観を損なわず、常識ある府民対応を促す看板適正数を考えてほしい。税金で看板も作っているのだから」  女性事務官「ここの所長によくお伝えしておく」でした。効率の悪い広報看板方式の感じを正したつもりです。公園の美観維持は条例やルールで決まっていないのでしょうか。雨後のタケノコは誰も盗らないのかどんどん伸びて2m位のものが林立していました。


          雨後の濡れた林      植木市も止めてクローズ


連休には色々と仕事があるよ

2013年04月29日 | 日記

29日(月・祝)も好天で暑くなりました。私は、下着の上に半袖ポロシャツを着て過ごしました。近所の散歩にもそのままでした。

連休に対策をしなければならないことが結構あります。いつもワイフに任せている色々な事にも「手伝ってほしい」と言われて力を貸しました。一番は、虫除けネット(プラスチック)が古びてきたのでアルミサッシ窓二枚分を交換して張り替えました。結構手間のかかる作業でした。後は、夏物着用のシャツ類への切り替え(仕舞い込んでいるものを出して冬物を仕舞う)とか、また扇風機を押れから出すのを手伝いました。午後、散歩に出ると熊野町(豊中市に古くからの農村が残る一帯)で半年前から建てていた5階建てマンションがほぼ完成し姿が見えていました。この地域は寒村だったところが千里の総合開発で「土地成金」が多く出た所で、昭和中期豪壮な邸宅を建てて競った有名な所です。代が変わって考えが変わったり、色々と事情があるのでしょうか、お家を壊してマンションに変えていくお家も多いようです。3、40年前とすっかり変わった町(村?)になって行くようです。町の姿が完全に変貌しています。時代が変わりました。さらに歩いているとあるお店の閉めた柵の向こうに変な犬(同じくらいの大きさ)がいるのかと思いましたが、よく見ると「カバ」の置物(モデル)でした。ああびっくりした!!


                                       カバでした


大型連休の初日は地元で

2013年04月28日 | 日記

28日(日)は暑いくらいの好天でしたが適当な風があり汗が引きました。薄手のブレザーを着ていましたが、脱ぐほどでもありませんでした。

大型連休の初日で梅田へ出たり、なんばへ出かけるつもりは全くありませんでした。あまりにも好いお天気なので、地元ということで、午後からワイフと一緒に千里中央へショッピングに出て行きました。広場で見る感じでは普段によりやや多めの人でした。特に子供連れの夫婦と年寄りの5人連れ、6人連れが多いと言う感じでした。Dショッピングプラザが改装して連休を目当てに開店したという情報を知っていたワイフの提案で立ち寄りました。あまり変わり映えがしないという解説でした(私はあまり知りませんが)。安いわたし用の半袖シャツを一枚買ってお茶を濁しました。色々な店を連れまわされたので、お休みを兼ねてあるビルの喫茶室に入ると、午後3時頃意外に休んでいる人も多くないし、けっこう空いていました。何時も中年おばさん達が屯している所なのに、今日は姿が見えませんでした。ちょっと拍子抜けです。大型連休の初日ですから、皆さん慎重なのかな。

 

                                喫茶室は空いていた


パチンコ屋さんもいろいろサービスする時代

2013年04月27日 | 日記

27日(土)は暖かいと言うより暑い陽射しの日でした。大阪は初夏もいい所です。皆さん薄着でお出かけでした。

大阪の上六(谷町9丁目)を地下鉄から地上へ出た所にゲームセンターがあります。以前からパチンコ屋さんです。今でも建前はパチンコをやっています。パチンコも以前と違い多くのフアンがいる時代ではないと聞きます。機械式で一発一発を弾いたころと違い、今の機械は自動化され「あっと」いう間に多額の金額が消えてしまうようになり極めて博打性が強くなったと聞きます。私も昔にパチンコはした経験がありますが、ここ40年くらいはやっていません。どういう具合に変わったのか知りません。今日たまたま前を通ると(自転車で来る人が多いのか)空気入れがありますとか、傘があります、という看板が置いてありました。こういうサービスは昔にはなかったと思います。随分様子が変わったものだと思いました。自転車で来た人が雨が降り出し傘を借りて、サーカス気取りで危険な格好で帰るのでしょうか。勝っていれば、意気揚揚という感じになるのですが、負ければしおしおで、傘を片手にサーカス的に運転しながらご帰還ですか。今後が見ものです。パチンコは今後も流行るのでしょうか。パチンコはどんなゲームか分かりますが他のゲームの名前が書いてあり「戦国無双、押忍!番長、新鬼武者、マイジャックラーなど」はどんなゲームなのか一般の人にはまず内容が分かりません。これではこれ以上普及していくのは難しいでしょうね。いくらサービスしても普及は限界でしょうね。


いくらなんでも「さくらもち」は実体に合わないのでは

2013年04月26日 | 日記

26日(金)は朝方はのんびりとした春の陽射しがあり平穏でした。午後3時頃、にわかに天候がおかしくなり暴風雨的なお天気になり凄まじい雷音が聞こえました。30分ほどでまた春の陽射しがある好いお天気に戻りました。スコールというより一瞬のヒステリー癇癪(かんしゃく)にあったような気もちですよ。おかしなお天気でした。

明日から大型連休に入ります。私達高齢の者は、日頃から時間があり、何も大型連休を待っている訳でもありません。連休中は家でおとなしくして連休が終われば人の少ない迷惑を掛けないコースをのんびりすればいいと思っています。ところが、電車や盛り場を見ると、必ずというほど高齢者たちが(いつ行ってもいい様な分際で)人混みに大勢いるように思えます。はしゃいでいます。特に今年は、大阪北部では「大阪グランフロント」が公開されると聞きます。この連休にわざわざ出かける意義を感じない年齢層の人たちが大勢いることに違和感を持ちます。

今日は、仲間の会の会議があり阪急豊中駅近くまで行きました。途中で「さくらもち」と書いてある所があり季節がらこんな所にお菓子屋かと思って眺めると、これが何とデイ サービスの施設名でした。そりゃ、名前などは何と付けても構わないだろうと言われればそれまでです。でも名は体を表す、とか名前からの連想とか言います。いくらなんでもデイ サービスの名前に「さくらもち」は実体を表すとは思いません。若い女性のもち肌の連想なんかとんでもないですね。またそのすぐ近くに「タコセン」という貼り紙がありました。大阪の人は伝統的に昔から知っていますが、中身の具に蛸でも入れた柔らかい練り物を置き、サンドイッチ型に両面を固いせんべいで挟む物です。子どものためお八つ代わりにこういう粉ものがあるのです。店屋物の一種として庶民に愛されてきたようです。私も最近知りました。一瞬何のことか分からない他地域出身の人に教えてあげたいです。何も目新しい料理の名前ではありません。衛生的には保障できませんが。連休前に色々と。

 

                                 


五月のGWが近づくと「鯉のぼり」が

2013年04月25日 | 日記

25日(木)は風のない好天で夏を思わせる暑い日になりました。青空が広がり、真夏のように白いワンピース姿やTシャツの人が急増でした。

家の前や、マンション窓に小さな鯉のぼりが多く見られます。最近男の子が産まれたのか、まだ幼いのでしょう。現在の日本は少子化傾向だし多くのお家が都会での核家族でしょうね。昭和の初めごろまでの古い農村で封建家族だった頃は、男女の生まれにも差別があり、男子が生まれたり、成長して行けば「端午の節句」ではお祝いがあり、家系の跡継ぎができたと慶ばれ、その象徴が大きな鯉のぼりに表れていたものですね。特に田舎の田園では庭地に鯉のぼりの竿を立てる土地余裕もあったし、鯉のぼりが五月の空に靡いている牧歌的な風景があったのですが。でも昭和の二桁頃には、これが封建的な田舎の風習と性差別の要因が昔風だと若い層には嫌がれもしました。いま、都会の片隅にこういう小さな鯉のぼりが取り付けられるのは、単に昔に対するノスタルジーからだけでしょうか。多くは自分の子どもの頃を思う気持ちと、親が男の子に対する「思い出づくり」だと私は思っています。特に男親は男の子どもに対するいい思い出を持ってもらう為、意識的な動作をする努力が多いのですね。女親よりそれは強いでしょうね。核家族でしたが、私も息子2人が幼い時は「兜を被った武者人形」をちょこんと箪笥の上に飾ってやって「いいだろう、強い男に成れよ」などと言っていた思い出があります。覚えているのかな。


                                 


暖かいけど、しとしと春雨の日は

2013年04月24日 | 日記

24日(水)は朝から春の雨が降っていました。気温は結構高いのですが、外出して雨に濡れるのには何となく抵抗があります。結局外出を控えました。

午前中は以前からビデオ配線関係で予約していた電気屋さんが訪ねてきました。ワイフ不在ですので、私が対応してきちんとしてもらいました。昼にアメリカ大リーグプロ野球の観戦(BSのTV)をしていたのですが、エンジェルスとレンジャーズの試合は後半接戦で目が離せなくなり、ずっと観戦しました。若い頃、私も野球狂で草野球をやってはまりこんだ覚えがありますので、大リーグには特に注目です。ドジャーズがブルックリンからロスアンジェルスに本拠地を移動したころです。映画ニュースでウイスコンシンやデトロイトなどで厚手のジャンパーやコート姿の観客をしり目に寒い中でも大リーグ野球をやっているのを見て「可笑しな国だな」と思ったものです。当時はアメリカの広さやにわか天気の異常な急変さが分からなかったのです。ある田舎球場に天井有りのドーム球場ができて不思議に思いました。後年、出張時アメリカ国内のTVで、11月アメリカンフットボールの試合を見ると、フィラデルフィアやシカゴで雪中のゲームをやっていて「これがアメリカでは普通で、この天候の中、半そでシャツを着た選手たちは当然の如く試合している」と思い、認識を新たにしました。大リーグ野球の今日は、4月終盤のロスアンゼルス近郊での試合ですから思いっきり初夏の出で立ちでした。アメリカ人は日本とお天気、気温に対する感性が相当違うことを感じます。そういえば、夏のアメリカでは会社の冷房温度設定など、皮下脂肪が結構あった私でも寒くてコートを着たいくらいになったものです。スポーツの実施とか開催設定も観客だけを相手にして居れない事情もあるのでしょうか。大阪で春のしとしと雨で外出をあきらめるなどは初歩的な話ですね。


地下鉄駅に貼ってあった行方不明者

2013年04月23日 | 日記

23日(火)朝、大阪地下鉄なんば駅構内を通っていると、大阪警察からの行方不明者捜索への協力を書いた貼り紙がありました。統計的には、行方不明者は警察に登録されている人で全国年間約10万人と聞きました。実際はその2倍、3倍の数字ではないのかと言われています。その7~80%は若い女性のようだと言われています。このなんば駅に貼り出してあった人は、老いも若きもいました。一番目についたのは、大正15年生まれの現在年齢で80数才の人の捜査願いです(上の写真)。10年ほど前、私にも遠縁の70歳ほどの老人が痴ほう症(認知症・アルツハイマー病)で親族が思い切って、病院施設へ入れた人がいました。数年でなくなりました。まだらボケという感じでしたが、目を外すと彷徨の傾向があったそうです。危険でしょう。施設入院は仕方ないです。この高齢の貼り紙捜査している人も同じ傾向だったのではないかと、胸が痛くなりました。書いてある通りだと、家を出かけてそのまま行方不明とか、です。捜査は本当にいつ頃出されたのか分かりませんが、寒中であれば生命の危険もあるでしょう。自分自身が相当年齢行くと他人事ではないのです。つい貼ってあった行方不明者の5人ほどの捜査願いの経過を時間かけ見つめてしまいました。

 

                             


会社勤めのお父さんのお昼は400円台のお弁当

2013年04月22日 | 日記

22日(月)は好天で春の暖かさが帰ってきました。風もほとんどなく、出歩きには好都合でした。

銀行への用事と、I-PODnanoの不調の用件で心斎橋まで出かけました。午前中の方が客数が少なく相談がしやすいので、朝9時過ぎには心斎橋にいました。9時ごろ北から南に向かうのは出勤ラッシュの真っ最中で最寄りの桃山台駅から久しぶりに群衆に揉まれていきました。サラリーマン時代を思い起こしました。はじめに銀行に立ち寄り、意外に懇切な処理で対応してくれました。朝一番はいいものだと思います。次いでアップルのショップは、傷んだ電池の交換をすることとなり依頼をして早めに用件が終わりました。午前11時半ごろ適当な食事場所を見ながら本町(会社が最も多い地域)を通り帰りかかっていました。最近は、お昼前には食堂やレストランが自作の弁当を外へ並べて飾り「持ち帰りお弁当」として売る傾向のようです。コンビニやスーパーの弁当ばかりでなく、一般の食堂やレストランでも店先で売るのです。食堂へ入り、注文して食事すると800円から1000円はかかるから、この方が手軽で安くて済みます。400円とか450円という需要の多い安い金額のお弁当が置いてありました。今日みたいに好天で好いお天気の時には、公園の片隅やベンチが置いてある場所で食べるのでしょうか。お父さんは小遣いを節約しているのですかね。大阪本町には、随分たくさんの「お弁当」販売の所がありました。ちょっと会社勤めのお父さん達はかわいそうだね。

 

                          


フェスティバル・ホールの改装こけら落としに

2013年04月21日 | 日記

21日(日)は、大阪のお天気はまずまずの好天でしたが、寒い寒い気温でした。3月中旬に戻った感じでした。コートを着ている人も見えました。

数か月前に予約した「フェスティバルホール」のこけら落としに出かけました。ネット販売の予約ができた野村万作・萬斎中心の狂言舞台でした。この一週間はクラシック音楽、オペラなどが披露されていますが、いずれも申込み殺到で予約ができませんでした。予約できたのは野村親子が中心の狂言でした。こけら落としの祝祭大狂言会というに相応しい楽しい狂言でした。フェスティバル・タワーは36階建てで色々な会社や店が入りました。その4階から上3階くらいをフェスティバルホールが占めていることになります。正面階段は絨毯で覆われ(上写真)、横には、ちゃんとエスカレーターもありました。狂言舞台は特設され(下の写真左)たもので、何カ所にも出演出口を作っていました。見せてもらった番組は、木六駄ーきろくだ と 茸ーくさびら でした。前者が雪の中お使いに出た太郎冠者が寒さで荷物の酒を盗んで吞んで酔ってしまう大昔の喜劇、後者が家の周囲に嫌がる茸が沢山出来るため 山伏に忌避祈願を依頼し拝んでもらうが失敗するおどけ、になっていました。狂言舞台の後、英国留学体験がある萬斎の独演で「ボレロ」が披露されました。関西初披露というふれ込みでした。有名なモーリス ラヴェルの曲を背景に独演していました。後に行くほど徐々に音量が上がる例の曲です。私は、狂言の番組には保守的です。こういう伝統芸能の世界は、何があっても日本伝統の美しさを表すべきだと思っています。西欧音楽などを背景に黒の柄帽子に白装束で狂言(和式)の恰好で踊るのは和洋折中もいいところで伝統を汚すものだと感じました。女性の多い観客席からは、ボレロが終わって盛んな拍手がありましたが、私は苦々しい感じを持ちました。狂言は狂言で正当に伝承していってほしいものです。

 

            特設狂言舞台                     フェスティバルタワー全景