楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

寒い大晦日にご苦労さま

2010年12月31日 | 日記

12月31日(金)、今年も最後です。朝からどんよりの上、猛烈な粉雪の降るお天気でした。大阪では、最高が7,8℃しかない寒い日でした。昼からはいくらか良くなりましたが時々みぞれが降り、北風の吹く寒い一日でした。

豊中市にある公園の外れの「ユースホステル」前に宮城県のバスが止まっていました。この寒い大晦日にどんな酔狂な人たちが来ているのかと、疑問を感じました。「聖和学園高等学校女子サッカー部」という張り紙がしてありました。第一そんな高校の名前は知りませんし、どこにある学校かも知りません。その上「なんでこんな所まではるばる」の疑問も晴れません。家でインターネットからHPで調べてみました。学校は宮城県にある高校でした。大阪遠征で堺カップという試合で来ているようで31日までという記事が書いてありました。今日の昼過ぎにこのバスが止まっているということは、夕方に帰るとしても夜行になるでしょうから、宮城県まではかなり時間がかかるので元旦の朝までには帰りつかないのでしょうね。それにしても堺での試合を豊中から通っているのですね。遠征も泊まりも遠方でお疲れさま。夜行バス内では除夜の鐘は聞けないでしょうがいいお歳を。


コイン洗車場は年末客でいっぱい

2010年12月29日 | 日記

28日(水)は穏やかなお天気で一日好い日でした。風もさほどなく、お休みに入った人にはもってこいのお天気でした。気温も12~3℃はあったでしょう。

コイン洗車場の横を歩いていると順番待ちといった混み方でした。以前私も数回お世話になりましたが普段はそれほど混んでいなかったと思います。洗車にもいろいろ種類がありますが、ワックス掛けで2000円近くしていたと思います。自宅でできない条件の人や、マンションで水道の便が悪い人が年末に殺到しているのでしょう。でも精神的になぜ年末に自動車を洗うのでしょう。なぜ空いている時間や時期にやる方法をとらないのか不思議です。それほど自動車はその人にとって正月には汚れを落として迎える程、「人生」、「生きがい」か「生活の財産」でしょうか。私は「車は便利な道具」と思っているし、思っていました。正月だからと洗うほどの「依存」はしなかったですけどね。この人たちに何か、心のゆとりとか余裕を感じません。思い込みの歳を越すという自己満足の処理にしか感じません


しめ縄も張られて正月準備

2010年12月28日 | 日記

28日(火)は気温が低い(たぶん10℃くらい)の感じでした。お天気はどんよりしており時々北風が突風になって吹きました。何かの空缶がカラカラと音を立てて転がっていました。

近くの豊中市「八坂神社」にしめ縄が鳥居に取り付けられていました。しめ縄は神域を俗界と結界する印だと聞いています。ここは神域だよというつまり縄張りです。いろいろあったのでしょう。縄張りとはヤクザ社会で使う言葉だと思います。昔、市川雷蔵が出ていた頃、時代物やくざ映画などで、この縄張った範囲は「誰々の縄張り」などと抗争(出入りというの?)の原因になっているのを見たことがあります。あれは「この範囲は自分のシマである」という言い方もありました。いずれにせよ、神様用語とヤクザ世界の用語がなんとなく似ているのは滑稽です。鳥居内の範囲を神社の縄張りとして主張するのは本当は神様でなく生活域にしている宮司や神主のシマ側ではないのでしょうか。こりゃ罰当たりかな。


通信販売の購入にもやや心配が

2010年12月27日 | 日記

27日(月)はいくらかどんよりしたお天気でしたが、晴れたり曇ったりしてたまに日差しもありました。年末としては、暖かい方でしょう。

公園の事務所の前は年末らしき木立の色でした。もうやることは終わったので、正月休みを待っているいう感じで人の通りや出入りはあるようではなかったです。

この一年を振り返ってみると、だんだん通信販売の購入が増えて届けてもらう率が増えました。私が年初めに自動車を止めたこともあり、買いに行って持ち帰ることができなくなったせいでもあるでしょう。パソコンは4月大手の量販店で買い、送ってもらった他 プリンター、デジタルカメラ買い換え、みかん、ラ・フランス、コンサートチケット、芝居チケット、等をインターネットで買い込みました。出て行って買い込むために交通費を払うのであれば、クレジット(確かな相手だと)購入し送ってもらう方が手っ取り早いです。ワイフは物によって送料や手続き料がかかるので、そのやり方にいくらか懐疑的で、今でもファックスや電話で注文しています。そちらの注文は脚立、リンゴなど等。でも時にはお店へ行って顔を合わせて購入するのも一番安心ができます。インターネット購買は(ファックスや電話もそうですが)顔が見えない不安があります。品質、相手の人柄、受注後の対応など注文後不安を感じます。ワイフの依頼で、正月に遊びに来るという孫と楽しむため「歴史人物カルタ」をどこで売っているのか分からないので、今朝インターネットで探して発注しました。年内に来るのでしょうか。ちょっと心配です。


いつものお客がいない?

2010年12月26日 | 日記

26日(日)は今年最後の日曜です。寒くて、場合によっては雪になる天気予報でした。すっかり、好い方に外れて、少し寒いがお天気は良好で、布団を干したくなるお天気でした。

買いたい「週刊誌」を求めに桃山台の書店へ出て行きました。残念ながら置いてなく、他のチェーン店にもなく買えませんでした。次に大阪まで出る機会がいつか分かりませんので、この週刊誌をあきらめるしかありません。仕方なくコーヒーでも飲んで帰ろうかと思いました。喫茶店を眺めてみるとがらがらでした。お客がほとんどいません。午後2時ごろです。いつもは、中年のご婦人がいっぱいです。文化教室からの帰り道らしき数人連れのお客が多く、コーヒーは安価だし、長時間とぐろを巻くにはちょうどいい場所なのでしょう。はじめ今日は年末の日曜日で忙しいのかな、と思いました。でも本当は家に旦那はいることだし、子どもも冬休みでいることでしょう。自分も家にいるしかないでしょう。彼女たちの本音は出かけたいけれど、出難いところではないですか。だから席が空いており「すっからかん」のはずです。

 


蠟梅(ろうばい)の花が黄色く

2010年12月25日 | 日記

25日(土)はまずまずのお天気でしたが、寒気が厳しくとうとう大阪でも昼過ぎには今年初めて雪(初雪)が降りました。周辺の県や市では今後も雪が続くといいますから、尋常ではありません。本当の「ホワイトクリスマス」です。

ご近所で知人の一人H氏が年末に来て心不全で急逝されました。81歳。元学校教師(英語?)で礼儀正しく厳格な人でした。(仏式ですが)クリスマスにお葬式を出すということで、葬儀場へ行ってきました。この寒さは色々な面で影響があるみたいです。公園の隅に「蠟梅」が咲いていました。これは、正確には公園敷地内ではなく隣接する畑の中に咲いている感じです。毎年極寒の頃黄色の小ぶりの花を咲かせています。「ろうばい」を辞書や歳時記で調べると まず狼狽、老梅などが出てきて狼狽します。この蠟梅は中国原産で寒い時の花では珍しかったのでしょう。季語は冬であり本によると花は黄色でよいのですが、ものによって暗紫色だというものがあり、どれが本当か分かりません。私は昔、俳画をかじったことがあり、お手本の色から黄色い花が「蠟梅」だと信じています。寒い時に健気です。

「 蠟梅の 香りが身に添いて 年守る 」   三宅一鳴(俳句歳時記 角川書店)


「スヴャトスラフ・リヒテル」というロシアのピアニスト

2010年12月23日 | 日記

23日(木・祝)は暖かい好いお天気の一日でした。天皇誕生日はクリスチャンにとっては、イヴイヴの日でもうクリスマス御祝の真っ盛りでしょう。

今日は、調べることが多く、一歩も外出しませんでした。朝から毎月送ってくる雑誌「The CD club」を頼りにダウンロードばかりでした。2月号ではロシア音楽特集のような感じでした。その中に1997年に亡くなった「スヴャトスラフ・リヒテル」というピアニストに惹かれました。名前は生前知り得ていましたが、静かに一人で味わったのははじめてです。革命前のロシア、共産主義最中のロシア、亡命して各地でのロシア人、そして解放後のロシアにいろいろな音楽家もいたでしょう。それのそれぞれが特徴があるように思います。このリヒテルのモーツアルトのピアノソナタ15番もダウンロードして聞いています。その優しさ、激しさを感じ、一時名をはせた所以(ゆえん)を感じました。ロシアのアーティストが持つ悲哀のある静けさというか、雪深いロシアの奥まった感じの音が私たちには興味深いものに思えます。


ソーラー発電素子の光電変換率は

2010年12月22日 | 日記

22日(木)はややお天気が回復し、晴れたり曇ったりという感じでした。時おり北西の強い突風があり気温もあまり上がりませんでした。もう冬至です。

昔(もう30年ほど前)、会社時代、総合メーカーにいましたので、ソーラー発電を一戸建て住宅屋根に導入するか検討していたグループとある会議で接触をしました。その会議では、専門の会社がシリコン系ソーラー素子を上げていて、当時の光電変換率があまりに低く、あきらめた記憶があります。今日、人が歩き回る公園の一角で休みながらソーラーの発電素子を眺めました。これはどこかのメーカーが試作でもして取り付けたものでしょう。その後素子の光電変換率はどのくらいになっているのか、と思いました。こういう技術の人たちは、10年一日の如く、わずかな改良をして数字を上げるものと聞きます。当時、0.3くらいでした。今は複合素子主体になってもう1になっているということで、これは飛躍的な進歩だと思っています。世界中に取り付けられている素子はどのくらいの進歩した物なのでしょう。興味があります


心斎橋の年末風景

2010年12月21日 | 日記

21日(火)は朝方きれいに晴れて、なかなか好いお天気でした。でも昼下がりからぽつぽつ雨が降ってきて、夕方から土砂降りという感じでした。

断れ切れない付き合いがあり、医者の禁止もありましたが、先約ということで心斎橋まで出かけました。まだ本格的な雨でない時間です。心斎橋の上はアベックや旅行者がいっぱいです。日本人の若者は、今、就職活動や進学準備に忙しい時期のはずです。どう見ても、歩いている若者にはその緊迫感がありません。このような所をうろついている若者は時代感覚がないのか、問題意識がないのか、と思います。若い人の中には、中国語(中国?台湾?)を喋っている人もかなりいるように思います。日本人的な格好をしてくる人もかなり多いのでしょう。でもこういう人はぶっつかったり、接触しても「ごめんなさい」がありませんから、別の意味ですぐ分かります。それと、引ったくりが多い町と聞いてきたのでしょう。ショルダーやカバンをかっちり肩に紐を掛けています。だから、ああ遠くからのお客だな、とすぐ分かります。中國、台湾でも日本同様、海外へ出るとき随行員からいろいろ注意をされるのでしょうね。いずれにしても心斎橋の年末は人、ひと、人でした。


病院のクリスマスの飾りは?

2010年12月20日 | 日記

20日(月)も好いお天気でした。ぽかぽか天気でコート不要の感じすらしました。好いお天気ですねと挨拶が交わされます。歳末の雰囲気とちょっと違います。

私の小指骨折からギブスを嵌めて大よそ一か月になり、心待ちにしていた外す時期です。でも主治医Y先生の曰く「あなたは多少血糖値が高いし、途中血流を悪くした経過があるので、安全を考えてあと1週間、今年末(27日?)までギブスは外さないほうがいいでしょう」でした。確か、手術して1か月でギブスを外すのが普通ですが、私の場合正確には手術からこの20日で28日目くらいです。チョッと待てという感じです。残念な気持ちで病院を出ようとすると玄関にクリスマス・ツリーが飾ってありました。どこがクリスマス・プレゼントよ、と思いながら出てきました。あのツリーは分かるけど雪だるまの持つ「箒」は何の意味か分からんよなあ、などを呟いて憂さ晴らしです。「似ても似つかぬ魔女の持ち物?」と、ちょっと八つ当たり的ですね。