楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

この人は運賃2倍だね

2016年05月31日 | 日記

31日(火)、今年も5月が終わりました。もう夏。梅雨入り間近です。火星が大きく見えて地球に接近とか、そんな優雅な気持ちには成りきれません。

夕方、大阪地下鉄に座っていると、前の席に中年女性が座っています。まだラッシュではないですが大きな荷物を持参しているのか、自分の膝上に一個置いていました、その上横の座席にも置いています(上の写真)。ガラの悪い私鉄などに乗ると、50歳~70歳のおばさんがそういう犯人のケースが多く、他に迷惑をかけている事に気がつかない人が多いのです。この人は40歳くらいの人でした。まだ若い。お客が混んできて、そういう事をしていることに気がつくかと思いきや、全く平気の平左でした。結局いつまでも2人分座席を占めていました。もう完全な中老型のマナーなしの感覚に思えました。こういう座席への荷物置きの人には、ペナルティーで2倍の運賃を請求することをお勧めします。その近くにいた会社員とみられる人は、自分前に荷物を置いていて、こちらはマナーは問題なしだと思いました(下の写真)。この無神経な荷物脇置きの人は、残念ながら日本人女性でした。

                            こちらは問題なし


日本人も難民問題をもっと身近に

2016年05月30日 | 日記

30日(月)は、雨が降ったりやんだりする曇り空が続く一日でした。もしかして梅雨の始まりかも知れないような感じでした。ちょっと早いかな。

身近な雑誌をめくっていると、難民を考える記事がありました。今は、どう見ても中東の難民問題が世界的に有名です。バルカン半島を通ってヨーロッパを目指す人と、アフリカ系で地中海を渡る人がいるとか。どちらも、内戦を逃れ有料でお金を払って乗った船が転覆するなど問題が多いです。私達日本人はこの場合、中東で発生する難民をどう受け入れ、どう処理すべきか、遠方でもあり処理をしたくてもできないという問題があります。過去には、ベトナム等のインドシナ半島の難民を幾らか受け入れ、最近は落ち着いてきました。でも、私のような、高齢の日本語ボランティア等の場合、日本では腰が落ち着かない、気持ちが落ち着かないという難民に出くわすケースがありました。それは、日本人は親切で優しい人が多いが、何をする時でも建前を前提にした人が多く、本音が見えない、伝わってこないという難民が多かったように思います。いま、ヨーロッパがいま宗教心等を基礎に受け入れに努力する人と実態を見て受け入れに抵抗する本音の人がぶつかっていると聞きます。難民問題については、もっと身近な問題として、本音が気のどくな難民環境である事とその対応になるように努力がいると思います。難民問題は本音で対応すべき身近な問題ではないですか。貴方の傍に難民が居ると思うと言う感じを。船が転覆し大勢が死亡する難民を報道で見て心が痛みます。


”畑かかし”はお下がり物で

2016年05月29日 | 日記

29日(日)、大阪は晴天、お昼過ぎにはお天気が崩れると予報を聞いている人は大急ぎ家路についていました。午後4時、雨の感じはないです。

近くの農園にいつも立っている「かかし」が暑くなっても変わりません。普通は毎年、秋のコメの刈り取りごろ、鳥類の被害を対象にした かかし が立つことは、皆さんよく知っています。コメ以外にも年中、鳥の被害が多い農園では、案山子を立てています。コメのかかしが、へのへのもへい型や男の子型など田圃に勇ましく毎年工夫されるのに反し、一年中立っている”畑かかし”は、女性物もあり、それも多くが不要になった廃棄物のお下がりを着た かかし が多いのは不思議です。かなり草臥れたものを着ています。どちらかと言うと、対象が主食的な穀類が少なく、おかずにする野菜や果物が多いためでしょうか。蒔いた種をつついて食べたり、実った果実を狙う鳥に対する かかし なのでしょうね。これから雨の多い季節を、鳥への脅しも大変。でも、もうちょっといいもの着れないの? ちょっと可哀そうね!

                           こちらにも


新種ホットクは美味しいよ、と

2016年05月29日 | 日記

28日(土)は、朝に言っていた晴天の予報に反し曇天で天気予報は当たりませんでした。時々雨もポツリポツリしてきて傘を持っていない人は空を見つめて困った顔。でも私は平気です。

夕方、大阪・鶴橋にある韓国人市場へ立ち寄り、ビール・水割りの当てを買ってきました。狭い市場の途中で韓国系のおねえさんから声を掛けられて「新種ホットクが美味しいよ」でした。ひとつ買ってみました。ホットクは韓国・朝鮮では主に冬季、間食系の屋台などで売られている、安価で庶民的な菓子パンで、一言でいえば、中に甘いが入ったホットケーキのようです。買ってみると結果、新種は餡の代わりに餅が入っていました。結果幾らか甘いですが美味しいでした。そう言えば、先日、西地中海クルーズへ遊びに行った時、ミラノ・イタリアの裏町で買って立ち食いした人気の揚げパンにちょっと似た味でした。それにしてもホットクとはどういう意味でしょう。日本語の”放っとく”とちょっと似た語呂があるので。面白い名前ですね。


転ばぬ先の杖、という”ことわざ”で

2016年05月27日 | 日記

27日(金)、北大阪は昨夜の驟雨が嘘のような、好天でした。特にお昼からは気温もどんどん上がり、初夏のお天気。我が家では今日から扇風機が登場。

先日診断していただいた整形外科の医師によると、あなたのような(軽いとはいえ)下肢障害がある人は、転倒は危険ですので、ステッキ(杖)を早く使用しては、と言うものでした。もし転倒事故があると、寝たきりや車いす生活ですよ、と脅されました。私はこれまで、ステッキには抵抗がある、と言って使用しないできました。これには伏線があります。第一の理由。少し若い時、電車内の目の前で、50歳前後の中老の女性が、空き席を見つけ、持っていたステッキを小脇に三段跳び的なステップで、席を確保したことです。ステッキを持っている人には、各種有るのだなと痛感しました。それ以後、ステッキ保有者嫌悪に陥ったのです。第2は、バスや電車にステッキを持って乗ってくる人の多くが、これ見えよしにステッキを振り回す人が多いのが実態です。そんなことはしたくない、と言ってきました。この2点で抵抗してきました。この度、「転ばぬ先の杖」と言いますね、と言われ、渋々、脳梗塞入院時(約20年前)のステッキを持ち出し、杖付きの練習を家の中限定で開始しています。自分なりに思う事は、転ばぬための最善策は、動かないで寝ているか座っているか、行きたい所にもいかない、ではないのか、です。そんな人生は考えられないです。動いたり、歩いたりして多少の転倒はしかたないのでは、と思ったりするのですが。今日、杖を片手に郵便局を出ていく老婦人を眺めながら、そんなことを考えました。


「血圧」を重視する患者は多い

2016年05月26日 | 日記

26日(木)、大阪はやや涼しく、昼ごろには雨だというTV天気予報を信じていましたが、薄日さす生暖かい、お天気でした。雨はないので助かりますが。

月一の恒例の整形外科と隔週リハビリテーションに中規模総合W病院へ行ってきました。待ち時間に座っていた座席の丁度前に無料で測定できる腕を突っ込める血圧計が置いてあります。サービスに印刷して出てくる紙をもらっていきます。朝まだ早い時間(午前9時頃)でしたが、血圧を測ってみる人が結構多く見られました(上の写真)。皆さん、普段から血圧を重視しているのでしょう。私は、測定を多くしたいので乾電池式の血圧計を買い込んであり腕に巻いて、適当に測っています。測定器の違いや測定方法の仕方で多少の数値の誤差はありますが、時間・体の条件・生活条件等の方が数値への影響は大きいのではと経験上知っています。また2~30%くらい、先生や看護師が測るときには高くなりますね。会議や話し合いの中で「そんなに怒っては、血圧があがるぞ~」と言われるのはしょっちゅうです。血圧上昇要因は一般的に、○朝起きた時 ○食事をする時 ○ストレスを感じた時 ○入浴する時 ○排便する時 ○喫煙する時 ○性交渉の時 と言われていて、毎日、行動している人は、幾らでも上がったり下がったりですよ。血圧を測定する人を眺めながら、この時間毎日同じ条件で測定しないと効果が少ないのでは?と思いました。

                                私・自分用の


至る所に ツツジ が咲いて

2016年05月25日 | 日記

25日(水)、大阪は朝から夕方まで重苦しい曇天でした。気温だけはけっこうありましたが、25℃位か?雨はなしでした。

色々散歩していると、やけに ツツジ の開花が目立ちます。あそこにもここにもと言った感じでした。近くの霊園墓地には、お墓前に公私のツツジが植えられていて、どこも満開でした。墓地の ツツジ が多いことには、祖先を敬う何か謂われがあるのか、と感ずるほど多い墓花でした。近くのマンション前植え込みにも、多くのお家の庭木に、植木鉢にも見られました。庭木をよく知る人に会いましたので、聞いてみると「ツツジはこの時期一斉に咲くよ。皆さんが植えているツツジはまあ、あまりお高く(高価で)ない物が多いのでしょう。大体15,6種あって、高いものは、高いが花の鮮やかで派手なピンクなどの安い種が好く売れるらしいよ。水分さえ気を付ければ、放っといていいのと、日当たりが好ければ花が豪華だからねえ~」と言っていました。祖先を敬うという花言葉は関係なしでした。安くて見た目派手だからか。でも、放っておいても花が咲くことが一番かな。

                           ツツジの垣が

                           マンション前にも


ちょっとした指先の怪我で使った紙を

2016年05月24日 | 日記

24日(火)大阪は、やや曇天が混じるお天気でしたが、気温は真夏並みの高さでした。私のいたビルや電車・バスでは漸く冷房開始でした。

歩行中、躓いて指先と手の甲に道路との擦り付け切り傷を負いました。わずかですが、傷から少し血が出てきました。急いで手持ちのティッシュペーパーで血を拭いて、それを近くのゴミ捨て箱に捨てる気でいました。私がいたビル内と同じように、いまナンバ近くの地下商店街には、ゴミを捨てられる箱はないのです。仕方なく、血の付いたティッシュパーパーを丸めて血を拭きながら、ゴミ箱のある、大阪地下鉄ナンバ駅の中へ入りました。あれ~ここのごみ箱には「特別警戒実施中」の札が取り付けてあり、ゴミは捨てられない状況です。確か三重県などでサミットが行われるらしいですが、首都や関西中心に二万人を越す警官が警護しているのだそうです。こんなに遠く(ほぼ15Okm)の地下鉄駅で、爆破テロなどが起こる心配があるとするのだすると、大阪市内や周辺都市で民間一般の商業ビルや雑居ビルのごみ箱などは、一体どういう警護をしているのでしょう。帰りついた千里桃山台の駅構内のごみ箱にも大きく「閉鎖中」が貼ってありました。ずっと持ち続けた血の付いたティッシュペパーは、桃山台駅のすぐ前の商業ビルに置いてあったゴミ箱へきちんと捨てました。この商業ビルのゴミ箱は警護の心配はないのですか。何か、全国的で民間も協力できる系統だったテロ警護になっていない感じを抱きました。政府と警察と一部の交通機関だけのお祭り騒ぎのサミット警護になっていませんか。今日私は、血のにじむティッシュペーパーを数時間持ち歩いたことになりました。ああ、驚いた。

                                桃山台駅で


「小満」について考える

2016年05月23日 | 日記

23日(月)も暑い真夏の日でした。夏日。大阪は最高30℃くらいは記録したでしょう。関西は各地それ以上と言います。一昨日の小満(旧暦)がはたして相応しいのでしょうか。

小満と言うのは、「陽気盛ん万物漸く長じ満つ」と言われ、新暦で5月の21日頃を言います。確かに昔は、野山は緑で満ち、花類も キリ、フジ、ハナショウブ等が咲き乱れ、この季節には何故か紫色の花が多いとされています。日射量、光量、気温などが花の色を決める根本原因かと、昔、生物学授業で習った頃聞いた覚えがあります。今の地球は、歴史的に幾らか状況が変わってきて、インド西北部などは、5月中旬で気温50℃を超す日が続いるそうだし、日本でも各地で30℃を超すような気温と聞いています。生物学的には、この異常現象は世界的に季節感が完全に狂ってきて、”心地よい気象の5月小満の頃”と言えなくなっているように感じます。基本的に今日など「満ち溢れた力、それが五月の美しさ」といった小満という表現を感じません。海水等も水面の気温がこれほど違うと、プランクトンの発生も変わってしまい、日本近海でも漁獲する魚類も随分変わってくるでしょう。年々旬の野菜も穀物も、花卉類も、魚類も変わってくる覚悟が要りますね。小満がこんなに暑いのでは、初夏や盛夏と言う言葉自身も変えざるを得ないことになります。本当に異常やな。


呉服、和服、着物の違いと差は

2016年05月22日 | 日記

22日(日)も大阪は好いお天気で、青空が広がり、午後は暑いくらい、風もなく皆さんほとんどが夏姿に。

ある大手の呉服屋さんが、大呉服市という催しをやっていました。以前に、私は一端、呉服、和服、着物の違いとか差について調べた記憶はありますが、随分前でもう忘れました。そこで、入口にいた30歳くらい女性に「全く素朴な質問で恐縮ですが」と断って、お尋ねしてみました。この人も面食らったような顔つきで(PC端末を前に置いて)「私、不勉強で分かりません、調べておきます」でした。横にいたお若いアベックに顔を向けると質問が聞こえたのでしょうか、「私達、ここへ入った冷やかしの通りがかりのもので~」という、そっけない反能でした。仕方なく、帰宅後、調べてみると諸説ありますが、多数決的に要約すると:

1、呉服とは 中国の呉の国から我が国の江戸時代に入ってきた反物の織り方で、着るものの名前ではない。日本ではこれで大切に着るものを作った。絹類などの細いもの中心とか。

2、和服とは 江戸時代後期に洋服などとの対比として生まれてきた日本生まれの着るものの意味らしい。私は手作りの普段着とか作業着だと思っています。植物繊維(木綿など)などの太い繊維でした。

3、着物とは 洋服の着方は日本と多少違い、身に通す”着るもの”に対し 日本型着物は”被るもの”中心だったので、合せて身に纏う全ての衣服をいう意味だと言われます。

やはり、ややこしいですね。