楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

税金が少々上がるのでーー

2014年03月31日 | 日記

31日(月)は好い天気になりました。3月も最後。年度末になります。平成25年度は終わりました。桜咲く絶好の日和ですが色々と問題ありの年度末。

今日で、消費税5%が終わり明日から8%に上がることになります。少々、税金大国の仲間に近づいたのでしょうが、まだ多くの税金を払っている国もあるでしょう。野放図な税金無駄遣いをしてきた、政治家や役人は心が痛むはずでしょう。国民が税金で国の赤字補てんをするのは、やや疑問です。私は空調用パテ(空気漏れ対策の粘土)を吹田市江坂にある東急ハンヅ(DIY)で買うため出かけしました。この品物は前から買いたかったものが今日になりました。レジまで持っていくと、なんとレジ前には数十人の列でした。皆さん、税金が上がる前に買い込みたいものがあるのでしょう。ただ「急いで必要ないものの無駄買い」もあるのではと、ちょっと心配しました。並んでいる人の中にはどう見てもたくさん買って置くほどでないものまでのものも見えました。賞味期限が短いものや年数回しか使わないものなどを多く買ってもあまり得策ではないように思いました。焦る気は分かりますがーー。皆さん、落ち着いて最低必要品だけを買っておきましよう。

                                          こちらでも

 


オーケストラでオペラ音楽など

2014年03月30日 | 日記

30日(日)は大雨でした。朝小ぶりでしたが、昼前からは土砂降りという感じでした。夕方には上がりました。気温は20℃近くもあり、寒さはなかったです。

先日、豊中市の公民館でもらったチラシに、廉価なコンサート(オーケストラなど)があったので、予定していました。お昼から地元豊中市民手づくり的なオーケストラというので、参加して雨の中聴きに行きました。市立アクア文化ホール(コンサート会場)です。なんと2000人収容のホールが満員。開始する時、浅利豊中市長の挨拶もありかなり知られたコンサートだったようです。私立大阪音楽大学(豊中市)の現役や卒業生で構成する本格的なオーケストラ 約50人に、府立豊中高校吹奏楽隊50人が一部参加して加わった大勢の体制でした。前半の楽器説明や後半の指揮者代行遊びなどもあり美しい音を楽しみました。大体曲目がオペラ曲でそれも知られたものばかりでしたが、本格的ソプラノや打楽器、金管楽器、木管楽器、弦楽器などの変わった構成の試し音楽も聴けて楽しい2時間半でした。終了後、散歩を兼ねて徒歩で帰宅しました。雨の上がった公園ではちょうど桜の満開が見え、これも目に鮮やかな感じでした。

                   コンサート入り口  公園の桜


大阪国際交流センターも変貌してきて

2014年03月29日 | 日記

29日(土)は曇りで、暖かい風は吹いていましたが、出歩いている人は少ない感じでした。

私が毎週土曜日にボランティアで通っている大阪国際交流センターが少し変貌してきました。私が参加してからもう10数年になります。大阪市の主催してきた大阪国際交流センターが、民間の第三者機関へ委託されるとのことです。請け負った企業は公務員からセンターを改質していくのでしょう。中にあったホテル業も4月から変更と聞きます。これからは、企業意識の運営になるのでしょうか。入り口近くに立っているブロンズ像は誰のセンスかは分かりませんが残るのでしょうか。”女・流木” という名前のブロンズ像はこのまま残してほしいものだと思います。日本人の制作だようです。4月にはいずれにしてもここは、随分変わると言われています。無茶な運営で赤字の運営できたのでしょうか。大阪市政の影響をまともに受けている感じです。今、事務所なども改造していると聞きます。今後、変わってくるでしょう。このブロンズ像は無言で立っていました。


ラオスという国はあまりよく?

2014年03月28日 | 日記

28日(金)は暑い感じの初夏を思わせる日でした。多少風があると涼しい感じでしたが、春の青空が美しく、全国的に好天という感じだったそうです。3月も残り少ない。

会議で千里中央へ出かけた時、商店街のある店で「ラオス」という立て看板を見つけました(写真)。何か布地を売っているのでしょうか。ラオスですぐ連想したのは、私が火曜日のボランティアで日本語を一緒に勉強している二人のうちの一人です。40歳位の女性で日本人男性と結婚している家庭の奥さん。先週までラオスへ帰国し、里帰りしてきたP・Tさんのことでした。このP・Tさんはラオスの首都ビエンチャンからさらに奥地に実家があると聞いていました。どういう経緯で日本人男性と結婚したのか疑問です。この2月はじめに一時帰国し1カ月休暇を取りましたが、3月初めには日本へ帰って来ると言っていました。が日本へ帰国したという連絡は来ないまま私も他国の人と継続でボランティア(日本語レッスン)していました。このラオスとタイ両国は隣国同志でもあり、言葉もかなりの部分共通するようで一緒に勉強をしていました。私はこの国(ラオス)についての知識は皆無。こんにちは、という言葉が、ラオスでは サバーイ・ディー というくらいは教えてもらいました。なんと3月末になってのんびりした顔つきでレッスンルームに「サバーイ・ディー」と急に顔を見せたのです。一緒に帰国したタイの人からも音沙汰なしでしたがやってくる来る気配です。タイの「サワディー・カップ(男性語)」の”こんにちは”に言葉は似ています。両国は歴史的にも近い存在でしょう。色々なやり取りも、のんびりさ、おおらかさ なども感じが似ています。この近辺の(旧インドシナ半島各国)はメコン川を挟んでそれぞれ面白い歴史と文化を感じます。ベトナム、カンボジア、も例外ではないでしょう。この急な日本へのご帰国に私はちょっと慌てました。人により日本語レベルの相違などがありボランティアとは言え中を取り持つ複雑な輻輳になって困っています。仕方ないので来週は両者の調整ですか。


お天気の好い午後、大阪湾遊びを

2014年03月27日 | 日記

27日(木)、午前中は曇り空でかなり冷たい風もありました。午後からは気温も上がり、青空に変わりポカポカでした。

午後から孫とワイフと3人連れで大阪湾を楽しむ日になりました。はじめの発想は、大阪港近くの海遊館(水族館 + 小型南洋動物の展示館)で半日過ごす気でしたが、すぐ側の天保山桟橋から何となくカリブ海を行く船のような物が見え、クルーズ船だと思いました。海遊館でジンベイザメを眺めたり南米の魚類などを眺めて数時間過ごした後、このクルーズにも乗ってみようと話し合いました。午後4時ごろです。私にすれば、関係のないカリブスタイルの船に乗り、大阪湾の海からの眺めなど、埋め立て地や前からある工場地帯と高速道路ばかりでーーと思いました。取りあえず今日最終便のサンタ・マリヤ号(なぜこういう名前になるのか分かりませんが)に乗り込み小一時間の沿岸クルーズをしてきました。工場勤務の経験がある私には、遠くに見える工場群を見つめながら「年月が経っても変わり映えのしない風景だな」と思っていましたが、ワイフや孫になるとこれがいたって好評で「面白い風景だ、珍しい景色だ」となりました。船のエキゾチックなスタイルはあまり好評ではないようでした。どこかの国の物まねはみっともないね。日本歴史の魅力を。

 


タブレット型PCへの指先接触がーー

2014年03月26日 | 日記

26日(水)は朝から雨になりました。甲子園のセンバツも順延と聞きます。従って今日1日のお天気見通しは、あまり好くないようです。

関東に住む孫の中学生Yクンが一人で、雨の中春休みだということで、新幹線で様子を見に立ち寄ってくれました。2泊ほどしてくれます。後、お母さんの実家(京都)へ立ち寄る前です。来宅後、話し合う時間の合い間に私たちの指先接触型PCを触っています。見ていると指先はさすがに若いだけ柔らかで、ソフトなタッチです。先日私はスマフォの文字盤センサー故障で修理をしましたが、反省すると、私の触る指先(私の場合、ペンタッチ)に力がこもり、静電気感度というよりいくらか強く押す圧力感度を指向していた傾向があります。結果的にはメーカー責任となりましたが、その押すことの影響が全くないとは言えません。Yクンのような若いソフトな指先で静電気を感知させればいいわけです。文字盤などへの触り方や画面送り方もソフトなものでした。でもその後、本人からすると、学校や自宅で触っている普通入力(マウスやタッチパッドなどの)方式PCに比べ、少々慣れの少ない指先接触型は「やはり少しやりにくいね」でした。流石に若い人はペン入力はしないので、指先入力はソフトなタッチです。でも今後(将来)は、手が不自由とか、指に障害がある人、私のように(病気などで)接触ボタンへ指が行きにくい人間もいることを、前提にしたタブレット型機種開発も必要に思います。アイコンや文字列の指先入力には世代間相違とか、障害者対策とかもあるので大いに検討してほしいものです。


今でも残る心斎橋に”呉服”のお店

2014年03月25日 | 日記

25日(火)は暖かいですが曇り空の天気でした。雨には遭いませんでしたが西の方角から怪しげな雲が流れてきました。明日は雨かも。

午後4時ごろ、ボランティア終了後、心斎橋通りの横丁を通りました。この一帯は昔(40年前くらい)は、呉服問屋や小売商などが多かった所です。ほとんどの店がその後の需要衰退と大型店との競争と後進国との競争に敗北して、店じまいしたり、転業や土地販売して今はもうすっかり姿が見えなくなりました。と思ったら、呉服 という看板の店がありました。大手の大丸百貨店の南の筋でした。呉服という言葉は最近聞かれません。私は、ずっと和服と混同してこの言葉を使ってきました。中国の紀元前200年頃の名前ですから「呉」という国の織り機や織り方が日本に伝来したということになっていると聞きます。でも日本は神武天皇以前の頃ですからこれは信じられません、やや近代の江戸時代くらいに歴史を調べた人たちによる命名でしょうか。呉時代からの古い方式で作るよ、と言う意味だったのでしょう。呉服に似た呉に関する名で服部、呉春などがあるようです。やはり、古くは京都がもとで、地方に散った子孫がつけた名前のようです。心斎橋にまだそういうお店が残るのは喜ぶべきか、まだ頑張っているのか、と思うのか、複雑な気がしました。


カメラ初心者コースの修了者写真展を見て

2014年03月24日 | 日記

24日(月)は、昨日と同じく暖かい(暑いくらい?の)春日和でした。お昼からは薄手ジャンパーで外出できました。長いコートでなく薄手だし、身軽に感じます。20℃?

ある写真展を見てみました。いずれかの「カメラ初心者基礎技術習得コースの終了写真展示会」のようでした。こういう基礎を勉強してから写真を写そうという真面目な人もいます。一方で、とにかく写真を撮るのが楽しくてやってるが、高度な技術などはプロに任せる、という我流の人がいます。私は、後者できました。大したカメラもない上に、技術の基礎ができていない引け目はいつも感じます。でも、我流とは言え、写真技術とかカメラに強い力を入れている人もいます。もうそれは玄人はだしになっています。そういう半プロになるのが夢なのでしょうか。この写真展を見るとどこらへんを基礎コースで学んだのかよく分かりません。魚の写真(上の写真)を眺めながら分からないなりにその技術とかを感じたいものだと思いました。基礎を習っていない人との差はどこでしょう。

カメラ・写真技術の基礎コースというのは一般的には、

カメラ入門-基本
カメラの種類の違い

カメラの使い方
上手な撮り方の技術

になるようなのですが、こういう勉強後、高価なカメラを買い込んだり、撮影後の写真を修正するPC専門ソフトを買い込んだりするケースも多いと聞きます。私はやや歪んだ見地で写真を眺めました。反省。


農婦と「アカシアの歌」の話を

2014年03月23日 | 日記

23日(日)、朝は幾らか曇りで寒い時間もありましたが、昼からはぽかぽかの好天で、青空になりました。本格的な春の陽気です。

花が一斉に咲き始めました。近くの農園片隅(作業小屋の前)に、黄色の小粒の花がいっぱいに寄り添って咲いていました。満開です。横にはピンクの桃の花らしきも咲いていて、春らしい豪華な感じでした。通りかかった鍬を担いだ60歳くらいの犬連れおばさん(農婦)に「あの黄色の花は?」と尋ねかかると、すぐさま「アカシアですよ、ミモザアカシアです。石原裕次郎の歌で有名になったあのアカシアね」と言いながら鼻歌が出てきました。この農婦の家のアカシアかどうかは分かりませんが自慢そうでした。私達の年代は裕次郎の歌よりも1960年代にはやった西田佐知子の ♪ アカシアの雨がやむ時 ~ ♪ の方が思い出が多いでしょう。でも何となくアカシアの花は白いと思ってきました。調べてみると、黄色の花はミモザアカシアで 黄色い小さなボンボンが集まった可愛い房咲き これもとっても大きくなります、とのことです。だからこの畑のアカシアは黄色でミモザアカシアでしょう。裕次郎のアカシアの歌では”白い”と歌っていた(歌詞に)と説明がありましたので、ちょっと違うのではないですかね、鼻歌のおばさん。花ごころが「愛の告白」とは憎いね。おばさん。


蒔き時の解釈も人により

2014年03月22日 | 日記

22日(土)は一転して好天で春らしい暖かい日になりました。朝方多少寒い時もありましたので、着込んで出かけた人は汗をかいたでしょう。

ボランティア帰り、大阪上本町のあるお寺の掲示板にいい言葉が書かれて貼ってありました。お彼岸頃は「いい種を蒔く」時期だとのこと。旧暦時代、暖かくなるこの時期は農業(少し前は百姓)の人にとっては、春や初夏に採り入れする野菜、農作物の種を植え付ける適切な時期だということでした。朝鮮半島や中国の一部にはまだ旧暦が現存し農作業の時期を考える人が多くいると聞いています。収穫を多くするためには、少しでもいい種を蒔いておきたいです。この時期は種蒔きには最高でしょう。

でもちょっと違った観点では、この言葉でもある意味で大変な誤解を生じます。昔の大名をはじめ明治以後のお大尽や戦後成金等の男たちには、側女、妾、2号さんなどと言った「そう言うことができる甲斐性=金と力がある」と言っていた時代もありました。春うらうらの頃は後継者を設ける意味で、色々な種?を植えつける時期でもあったのでしょう。年配の人の中には男親の葬式で初めて会う義兄弟(腹違いの)がいたりした経験者もあると思います。お寺も気を付けて貼り紙されるのがよいでしょう。色々な種付け(種蒔き)がありますよ。