楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

「恵方」とはどこまでをいうつもり?

2015年01月31日 | 日記

31日(土)は、1月の終わりです。雨も上がり、大阪は好いお天気になりました。冷たい風を感じますが、その底に何気なく春を予感します。

大阪市天王寺区のスーパーには、もう早々と「節分」に合わせて”恵方巻”の宣伝用幡が立っていました。大阪地方に昔から残る寿司で作る太巻き寿司(海苔巻)を恵方を向いてガブ齧りすると何か縁起がいいのだと言い伝えらています。古い言い伝えですが、大阪人は話半分に聞いて、面白半分(誰も本気にしていないが)に太巻きを頬張っています。今年の恵方は、西南西だそうです。でもこんなグローバル時代に恵方とはどこまでをいうのでしょうか。世界地図で見ると、西南西方向でいま何処かの宗教の拉致や虐殺が行われています。この言い伝えに嵌っている人に尋ねたいのです。どこをまず起点に致しましょう。太巻きを売っているスーパーなのか、自宅なのか、それとも決まった神社なのか、分かりません。そこから、何キロ先までを対象にして言うのでしょう。根拠はなぜですか。海を越え海外の方角まで、恵方は関係するのでしょうか。この科学性のない言い伝えは、クリスチャンでもない日本人がクリスマスやバレンタインディーにデパートや商店街の宣伝に踊らされ、ケーキ類やその他を買いまくる愚と同じではないのか、と思います。寿司屋やスーパーの訳の分からないこじ付けにもっともらしく踊らされている感じでしょう。あほらしい。

調べると恵方とは、NETでは:

恵方が非科学なのは明らかです。科学には普遍性があります。根拠があっていつでもどこでも、また普通ではありえないような極端な条件でも成り立つものがより正しい考え方というわけです。北極点にいる人はどちらを向いても南ばかりで、恵方と言われてもねぇ・・・

恵方(えほう)

 恵方は「明けの方(あきのかた)」ともいいます。その年の歳徳神(としとくじん)のいる方向をいいます。古くは正月の神の来臨する方向を指していたのですが、九星術が流行してから現在のような意味になりました。その方位とは

  甲・己の年 甲(寅卯の間)の方位(東微北)
  乙・庚の年 庚(申酉の間)の方位(西微南)
  丙・辛の年 丙(巳午の間)の方位(南微東)
  丁・壬の年 壬(亥子の間)の方位(北微西)
  戊・癸の年 丙(巳午の間)の方位(南微東)         

とのことです。ご参考に。


ドジな話で雨の中お詫び行脚

2015年01月30日 | 日記

30日(金)、大阪は雨になりました。冷たいと思い着込んで出かけ、意外に暖かいのに驚きました。木も草も春の息吹を感じている?

昨日、大変なドジを踏みました。下手を打ったと言うべきでしょう。大手S銀行豊中支店へ寄って、記帳しその後、ある喫茶店へ入って発注後、財布がないのに気付きました。大慌てになりました。小銭入れもありません。てっきり先ほど寄った銀行に忘れてきたと思い、早速訳をいい、喫茶店従業員のケイタイをお借りして電話をしました。探してくれましたが、見当たらないというご返事。その辺で財布を家にはじめから忘れてきたのかも、と思うようになりました。いつも家にいない時間にたまたまワイフがいた(すぐ出かけたのですが)ので、小銭入れに付けている自宅キーを使うことなく、のんきに出てきたので、財布忘れに気がつかなかったのでしょう。それでも財布と小銭入れ(キー付き)を忘れたことを確認するには、家に誰かいないとできません。仕方なく、喫茶店に事情を説明し、無銭飲食して、時間を2時間ほどいさせてもらい帰ってきました。夕方ワイフがまだ家に帰っていない事が分かり、暫く近くで時間待ちしました。財布と小銭入れはきちんと家にありました。今日は雨の中、ご迷惑をかけた喫茶店、私用ケイタイを貸してくれた人、S銀行豊中支店、それに帰宅していなかったワイフを数十分、待つ間坐らせてもらったご近所のお宅等を、行脚して借金支払い、お礼とお詫びをしてきました。財布と小銭入れを忘れて出かけたのは、私の記憶では数十年ぶりでした。前の時には、会社の同僚から幾らかのお金を拝借して問題はなかったのですが、今の老人孤立状態でこんな事が起きるのは、全く想定外でした。私のドジを反省し、暖かく受け入れてくださったこれらの皆さんに深く感謝しています。多謝。(写真は今日雨の阪急豊中駅前)


MRI検査室の前で待つ間に

2015年01月29日 | 日記

29日(木)は、冷たさが一段と進み、お天気は冬空がどんよりしている時間と、意外に晴れている時間が交互でした。雨はなし。

成型外科で長年やっている下肢不調の定期受診とリハビリテーション指導受けに医者に出かけてきました。時間が、午前10時ごろです。仲間連れか、ご近所仲間かわからない小母さん達が医者の時間待ちに大声で話し合ってうるさいので、多少離れた所で順番を待っていました。暫くしてよく見ると、その待っている椅子の前にある部屋のドアには、MRI検査室という看板がありました。私もMRI検査を他の病院では経験しています。昔から、体の内部を検査する方式で、内視鏡カメラを別格に、レントゲン、超音波、CTスキャン、それにMRIとお世話になってきました。医学的には検査と言えども人体への影響が懸念される方式もありますが、頻度が少ないことで検査をしてもらってきたわけです。今日眺めると、MRI検査は被検査者にすると、直立不動で横になったまま呻る検査機で検査をされますが、 これはmagnetic resonance imaging, MRI)で核磁気(nuclear magnetic resonance、NMR)現象を利用して生体内の内部の情報を画像にする方法であるというものだそうです。したがって、私は素人として核原子と磁気の共鳴現象だなと勝手に解釈しています。この部屋には鉄の物、磁場を持つもの等の持ち込み等厳しく制限する表示がありました。ずいぶんいろいろな制限があるものですね。冗談ですが、鉄の女、とか 鉄心臓の小母さん等は、入室が難しいのか、と思いました。怒られそう。


参った、参ったの冷たい冬景色

2015年01月28日 | 日記

28日(水)はまずまずの晴天でしたが、北風の吹く厳しい寒さでした。大阪では、昨日までがあたたかい感じでしたので、一転して寒いと思います。体感は寒い。

昨日まで昼間14か15℃あったのに、今日は5℃か6℃の中、霊園や公園を散歩してきました。北風が厳しく感じました。意外にも多くのおじさん達が歩いている様子であり、驚きました。昨日まで多かった若いお母さんの子連れの遊び場はすっからかん。お母さんが子どもを盾にとって、寒い日は止めにしたのでしょう。霊園ではお地蔵さまが赤い帽子と肩かけを付けていてあたたかい感じでした。幾らかあった田んぼでは、昨日までの暖かさに反能した春の緑の芽がありました。上がったり下がったりの気温と北風には自然も勘が狂いますね。公園の大型円形花壇にはいつもの人だかりはありませんでした。どこを歩いても、寒い、冷たい、という感じでした。

                 田のには緑が    無人の公園


駅員さんと多少の討論を

2015年01月27日 | 日記

27日(火)は、暖かい朝でした。でも行く所行く所で暖房が利きすぎて暑いくらいでした。あるビルでは思わせぶりな人が(上のコートは脱いだのでしょうが)半袖Tシャツで共同トイレを使っていました。夕方、帰宅時には一瞬雨がかなり降ってきて、傘を持たない私は急ぎ喫茶店へ雨宿りしました。

帰りの地下鉄電車に、ピクトグラムマーク表示で、車いす、ベビーカーの乗車は示されているし、いずれも乗車に問題はないものと思っていました。その乗せ方や方向のため、手すりもあるし場所の指示があるのだと思っていました。念のため、桃山台駅に降りた時、制帽に赤線が入った管理職らしき駅員に尋ねてみました。「車いすやベビーカーを使う人は、乗り方や乗せ方に進行方向とか、斜め向きとか方向性はあるのですか。車両に手すりが付いていますよね。」というと、この駅員は「車いすは、別格で法律的にもどこの電車でも乗車できますし、乗る場所は他の乗客迷惑を考慮して、指定しています、方向性も自然とできます。その代わりプラスティックのスロープを使いうまく乗降できるようサービスしています。」とのことでした。さらに「ベビーカーはやや考え方が違います。法律的に軽車両は車いすと同じですが、ベビーカーは電車には本当は乗れません。でも折りたたみで乗車したり、いつの間にか押し車を載せているケースが多いのが実態です。したがって、大阪地下鉄ー北大阪急行はベビーカー乗車を黙認して、他の迷惑にならないようにすることや混雑時間に持ち込まない事を注意してもらっています。若いご夫婦やお母さんが押しますので、よく迷惑であると苦情があります」。という説明でした。後で話してくれたことでは「こういう黙認は会社によって違うので、どこでも乗れるとは限りませんがね」でした。ベビーカーの中には貴重な赤ちゃん達が乗ってはいるけれど、法律的には本当は駄目なのですね。いい勉強になりました。

 


昔の若いころの万年布団は

2015年01月26日 | 日記

26日(月)は午前中どんよりしていましたが、午後は雨になりました。冬の冷たい雨で、外歩きは中止しました。

ある本によると、人間が寝ている時、身体や室内湿気を吸い込んで、平均してかけ布団は約60g、敷布団は約120g重たくなると言います。目に見えない水蒸気もばかになりません。日に干すと、これが外に逃げ出すばかりでなく、消毒にもなると言います。昨日などは、個人住宅ばかりでなく、ほとんどのマンション窓際にも布団が干してありました。しかしこれを放置して午後4時以後まで外気にほっておくと、水分を逆に吸収していまい、逆効果だと言います。古い話ですが、私は独身時代(学生時、職についても)、自慢ではないですが、布団を干した覚えがありません。特に今のような、真冬時には、冷たい重い布団にくるまって、寝た思い出があります。当時、布団を干すことはあまり重視せず、干すことをしなくても布団に自分の体臭がしみこんだり、汚れが付くだけで、自分がそれを我慢すれば、誰にも迷惑をかけてはいないので、かまわないのだと思っていました。時折やってくる母親が「匂いがする」と私の布団を太陽に干すと、あたたかくて善い感じでしたが、その後は以前と一緒でした。万年床(万年布団)は結婚まで続きました。結婚前、私の布団を見た母親が「この布団、私の手作りだけど、こんなに草臥れてしまっては、新婚生活には、向かないね」となり、新しい布団購入と同時に処分しました。もう何十年もたって、個人住宅やマンションの窓・ベランダにかけてある布団類を眺めてこの印象が残りました。今日は雨の日でしたが、昨日の日差しに布団干しした人は、賢明でした。布団は適度に干しましょう。


狭いフォームの駅で長い行列が

2015年01月25日 | 日記

25日(日)は暖かい好いお天気でした。空を見上げると、一見、冬が去って、春到来を感じました。あるお宅の庭樹に芽が出ている感じもありました。

大阪・天王寺に近いJR駅で「東部市場前」と言う駅があります。狭い駅です。午後1時前にその駅に降りると、旗を持った何かの団体の人が一斉に降りました。30人ほどの人たちです。この人たちは急いでいたのか、狭いフォームを横になってどやどやと降りて行きました。この時は私は気後れして、その一団が過ぎ去るのを待ちました。その後、私が用事を済ませこの駅に午後4時前に返ろうときてみると、たぶん同じ団体の人と思われる多人数、反対方向へ向かう人で行列して並んでいました(写真)。上り階段にまで張り出していました。階段の先まで行こうとする私達には大変迷惑です。この人たちは、狭いフォームですから申し合わせたのでしょうか。しかも次の天王寺駅で乗り換えに有利な車両の後方に乗ろうとしている気配です。ここで気づきました、これはたぶん学会の名がつくある宗教団体だな、と感じました。以前、大阪・吹田市でもこの宗教団体の講習か、祈りの会か分かりませんがあった時、終ったあと狭い歩道を駅の方向に一杯になって歩くので、反対から歩いている我々には非常に困る事となり、文句を付けた覚えがあります。人の迷惑も考えていない宗教団体が何の祈りか、人の道かと思います。今日の狭い(2mもない)駅フォームの幅も狭い所で、こんな多くの人を集めるには、もう少し人の迷惑にならない方策が要るのでは、と思いました。


浪花節だよ人生は!

2015年01月24日 | 日記

24日(土)はいいお天気になりました。青空が広がり気温もぐんと上がりました。冬は去ったのでしょうか。少々早いかなあ。

大阪市の貼り付けてある広報に、浪花節の広告が出ていました。一カ月ほど後に国立文楽劇場で開催となっていました。それを見て、最近ですが、i-podで私の好みの♪音楽を聞いていて、懇意でもない知人から言われたことを思い出しました。私が付けているi-podのイヤーフォーンを見て「何をを聴いているの?」との質問に、私が「ちょっと古いものをね」と答えると、「浪花節? それとも講談?」というご質問です。「いやー、違います。クラシックです、音楽の」で分かってもらいました。そういえば、古く10歳のころ、伯父の家の廊下先で、PL版の浪花節「清水の次郎長」広沢虎造(二代目)のうなり声を聞かせてもらった記憶があります。その後大きくなって、わざわざ高座を見に(聞きに)行ったこともありました。物語に引き込まれた覚えもあります。三味線相手にお涙ちょうだいの義理人情話ばかりでした。最近は、もう平成になって浪花節(浪曲)をやっているような人達がいるとは思っていませんでした。こういう広報ではきちんとその名前が出てきます。もともと「浪花節」とは大阪起源の名称です。もしかして大道の口述師が話に節をつけたのではないのでしょうか。それとも、大阪近郊の伝統的な節回しに、物語をはめ込んでいたのかもしれません。いずれにしても、知人が私に尋ねた「浪花節?、講談?」は私の高齢な年齢を如実に表しているのかも。うーん。でも、あの時私がi-podで聞いていたのはドビッシーのピアノ音楽でしたが~。私には、「浪花節」の方が似合うのかも?

 


かなり遅めの新年会は

2015年01月23日 | 日記

23日(金)は、多少のにわか雨はありましたが、まずまずのお天気でした。特に午後1時ごろ以後は晴れてきました。

1月も終わりかかる今日、高齢仲間の新年会をやると言います。20数人の数ですのですぐの予約は無理で、幹事役が皆の希望を聞いて、場所を予約してくれました。それが、しゃぶしゃぶで問題のあった「木曽路」です。“銘柄牛ではない牛肉”を「松阪牛」などと偽って客に提供していた問題で、しゃぶしゃぶチェーン店の「木曽路」は昨年8月15日、会見を開いて謝罪したと聞きます。店を統合したり閉めた支店もあるのでしょう。豊中の千里にも支店があったので、そこでこの会の会席をした覚えもあります(私はその時は不参加)。何とその豊中店の店はなくなり、かなり離れた国道171号線にある隣接市の箕面店を予約していたのです。と、団体のお客には、中型バスでの送迎が付いているというサービスです。おかげで千里からバスで15分ほど揺られて行ってきました。比較的に安い会費でした。しゃぶしゃぶも混ぜた、いろいろな種類のおかずでいっぱいの品数でした。お客の減少で回復を目指しているのでしょうか。着くとまずお出迎えの若いお姐さんが、そろいの着物姿で恭しく迎えてくれました(上の写真)。問題のしゃぶしゃぶは、数枚しかないので、松阪牛(?私にはわからないですが)だったのでしょう。全体は沢山でお腹がいっぱいになりました。まあ問題もありましたが、今日は総合的には合格点でしょうね。

                                     


道路をとおりやすくするための意見交換会に出て

2015年01月22日 | 日記

22日(木)は雨になりました。小振りだった午前に比べ、午後はかなり本降りでした。ずっと一日中傘が必要でした。私は用事を全部バス利用で。

午後、広報で募集した豊中市役所 都市基盤部道路センターが主催する「道路をとおりやすくする意見交換会」に参加してきました。市民約30人くらい、市役所の関係部所や府の道路関係者、地元の警察署等も計20人くらい顔を出していました。私は、先般同じ所からきた脚部障害者アンケートでかなり多くの意見を述べたので、責任を感じ参加しました。結局は、市民の声を市政に反映していこうとする”地方行政のある意味のゼスチャー”だなと思いました。お金のかかる歩道用の土地買収とか、歩道で絶対数が多い自転車の禁止・罰則等をこの話し合いから除外するという状態でした。車いすの人 や 眼の不自由な人も参加していましたので、歩道の段差や波打ち、横断歩道の見にくさなどバリヤフリーが、主になっていました。坐った椅子では、地域ごとに分けられ、予定する歩道整備計画の順番により、苦情が多い、少ない等の特徴もありました。役所の主催する会合などにあまり大きな期待はできませんが、もっともらしい名前を付けた会合だなと思いました。私は、この日のために写してきたという多くの写真資料に(乗り回している多くの)自転車が映っていないことは”実態とは違う”事を指摘しておきました。