楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

災害用ロボットの話です

2011年03月31日 | 日記

31日(木)も好いお天気でした。随分温かい感じです。23日にはじまった甲子園のセンバツもいつの間にか準決勝まで来てしまい、時間が過ぎるのは早いものです。

福島原発での地震による破壊で放射能漏れ事故が騒がれています。〇〇ミクロシーベルトという単位が言われます。風評被害も国際的に大騒ぎをされています。日本人は義援金やボランティアで「皆一体だ」と言いながら、都会のスーパーなどで無害でも被害地からの野菜は遠ざける人が多いと聞きます。人前で建前でしゃべることと実態が違う人が多いことが分かります。自分さえ安全側にいれば何をしても勝手、という独善的な考えです。こういう時こそ、無害で問題ない被災地からのものなら「買ってあげる勇気」がほしいものです。

フランスなどが福島原発炉心に近い所に無人ロボットで樹脂カバーをするアイディアを提示しています。私は、それは当然必要だし、その通りだと思います。普段、ロボットを開発している研究者や会社研究員はなぜそういう能力実績をここで発揮できないか気がかりです。もし今後出来れば災害対策として、県や市町村の役所を起点に災害の危険がある時、無線で無人空中ヘリコプターで観測・通信したり、被災現場で無人のロボットが生存者・不明者の探査ができるように設置され、実働されることを、願っています。こういう本当に要る時の技術の為に技術コンペや研究があるのです。技術的なレベルでは、可能だと思いますがなぜか実践的でないものが多いのは何が原因でしょう。


大阪「追手門通り」に白木蓮が咲く

2011年03月30日 | 日記

30日(水)は不思議なお天気でした。朝から快晴で、風もほとんどなく、出歩きに持って来いという感じでしたが、10時過ぎに医者から帰るころには、土砂降りの雨が降ってきました。雨宿りすると、20分ほどでピタッと雨がやみ、元に戻りました。一種のスコールです。

お昼から知り合いの病院見舞いに谷町4丁目まで行ってきました。その帰りには、一人でとことこ梅田まで歩きました。途中、大阪府庁の横を通っている「追手門通り」を歩くと、クリーム色のような、ミルク色のような街路樹の花が咲いていました。白木蓮の花です。この花は阪神大震災の頃、別館として使っていた大阪城横の事務所ビルの庭に咲いていた記憶があり復興の努力をしていた時の思い出に繋がります。3月から4月に花開くようです。花言葉は「自然への愛、持続性」です。恋愛とか、仲間には通ずる花言葉なのでしょうが、地方政治にも繋がる花言葉ですかねえ。??


人影が少なくなった道頓堀通り

2011年03月29日 | 日記

29日(火)、朝方は晴れているのに首回りは寒い感じで、ブレザーにマフラーを巻いたスタイルで出かけました。昼過ぎからは、暖かい感じになり、桜の開花も間近いでしょう。

なんばのボランティア帰りに、堺筋へ出る用事があり、道頓堀を歩きました。先般まで観光などの人がいっぱいにタカっていた名物「オオダコたこ焼き」の屋台が、不法撤去されてすっきりはしたように見えます。ただ、この通りは正直、人が非常に少ない通りになりました。不法ですから撤去は正しいのですが、対策として「具体的対案」のないまま、撤去だけした市政にもなにか問題はあるのではないですか。道頓堀川を北に渡ったところに、大阪市水道局の名前を付けた、「天然ガス利用」というバン(自動車)が止まっているのを見つけました。たまたま運転台に運転する女性職員らしき人が座っていました。「こういうガス車の場合は燃費は本当はいかがですか?」と尋ねると苦しそうに「あまりよいとは思えませんね」と正直なご返事でした。建前を信じ、早々と導入はしてもNOx、COxは多少軽減していても、燃料を当初予定より多く使用するのであれば、結局一緒と言うことになります。何事も建前だけでやることでは大方の市民の理解は得られないことをここでも実感しました。

 


曾根崎心中のお初天神で

2011年03月28日 | 日記

28日(月)は晴れ渡って明るい日差しの在る一日でした。でも数日寒かったので、すぐに対応できず軽い半コートを着て出かけました。結果は多少暑かったです。

梅田で買い物の後、久しぶりにこの辺の名所「お初天神」(玉津天神が本当らしい)に立ち寄りました。近松門左衛門によるお初と徳兵衛の悲恋物語で心中があった所と言います。私も数十年前に人形浄瑠璃でその芝居を見た覚えがあります。その舞台では江戸時代の当時、今大阪の繫華街である梅田や曾根崎は海辺か川の中州だったようで、街はずれもよい所と言う設定でした。玉津天神の横には、石の象で心中した二人が腰かけていました。写真も絵もない人の石像ですから,きっと人形や芝居をモデルにして近代に観光用にできたのでしょう。こんな格好いい男と女のはずはないねと、幾らか、はすかいに石像を眺めてきました。今日は、珍しく人はあまりいませんでした。


懐かしい名前だが現実離れか

2011年03月27日 | 日記

27日(日)は朝方は時おり冷たい北風が吹き突ける厳しいお天気でしたが、だんだん晴れてきてポカポカの春日和になりました。一挙に桜の花も蕾が膨らんだことでしょう。

午後2時ごろですが吹田市の住宅街の中に誰も遊んでいない遊園地がありました。タヌキ遊園だそうです。少子化で子どもが少ないセイからでしょうか。ママがお家で遊びましょう、と外出させないのでしょうか。今日は日曜日で、パパがお相手してくれる子がいるはずですが、誰も姿は見えません。私も幼い子ども時分、都会での生活が長かったので「タヌキ」というのは、お話に出てくるものでお腹がポンポコポンとおおきくて、本物を目で見るのは相当後年になって動物園で見たものくらいしか記憶がないです。でも幼年用図書には、日本は昔、狐や狸、がいて童話や歴史書には、漫画化された親しく感ずる絵が出ていました。現実の狐や狸がそんなものでないことを後で知るという不思議なイメージが残っています。こういう遊園の名づけは誰がするのでしょう。担当者は相当古い童話くらいしか分からないで、現実を十分に認識した人達ではないように思いました。ジョークですが、吹田市にもこの近所の多くの〇田さんにも「田」が付いていて、田ヌキでないよね。いま時、現実に子どもが見たこともないタヌキを使い、こんな名前と石像でーー。現実離れ。時代錯誤。


「バネ」という言葉

2011年03月26日 | 日記

26日(土)は好いお天気でしたが昨日にまして一段と寒さが厳しくなりました。あわてて外出用コートを持ち出し、2月と同じ格好になりました。でも、無風の時坂を上ると小肌に汗をかきました。

大阪谷町筋を歩いていると、かなり歴史のある商店が残っています。今でもそれで商売しているのだろうか、と不思議に思える商店があります。メリヤスとか、ボタンとか難しい漢字で看板に書いてあります。今日、たまたま「発条」の漢字を書いた店がありました。これがスプリング(バネ)という意味は分かっていましたが、若いころ、これをハツジョウと読むのはきちんとした仕事をしているのに、「発情」を連想してあまり良くないと思ったことがありました。戦争時、敵国語のスプリングは使わなかった歴史は認識していました。バネは跳ねるから来た和製の言葉のようです。でも、発条はどこから来ているのか、分かりませんでした。どうも、先祖は中国語になるようです。機械部品としてスパイラルな鋼製で弾力あるバネ(スプリング)を意味しますが英語より日本では歴史的に古いので、戦前から戦時中もそれで使われてきたのでしょうか(ほんまかいな)。でも今の若い人は素直に「ハツジョウ」を適正にスプリング(バネ)と解釈するでしょうか。


千里の桜もやや開きかげん

2011年03月25日 | 日記

25日(金)は日差しの明るい春の感じでした。でも時おり冷たい風が吹きつけ「大さむ~」と言って前を合わせる人もいました。3月下旬としては寒かったです。

千里中央で会合があり、約40分ほど桜並木の坂を上ってゆきました。ソメイヨシノの桜かどうかは定かではありませんが、ほとんどの桜がまだ開花していない中に、一部3分咲き、5分咲きの気の早い桜がありました。種類が違うのでしょうか。それとも日当たりがいいのでしょうか。大阪市内の桜予報では、今年は26日から27日頃と言っていましたが、この寒さで多少遅くなるのでしょうか。それでも、例年並みと思いますので、気象台の気温予測や、例年のデータの取り方が少々おかしいのでしょうね。こういう自然のものの予測技術は古いデータの蓄積と人間の勘で合成するものでしょう。いい加減な予測をするな、と言っては可哀そうかもしれません。少しでも桜が咲いているのを見て「春到来」と思っているのは、私だけかなあ。


豊中青色パトロールのワッペン

2011年03月23日 | 日記

23日(水)は、明るい晴れた日になりました。ただ風が強く吹き、結構寒い感じになりました。半コートの人が主流でした。

近くを散歩していると、昔からお住まいのお家で、車に大きなワッペンを貼り付けているのを見ました。中型車の前、横に大きく「豊中青色パトロール おかっぴき隊」というワッペン(ステッカー?)です。名前からすると、近所の犯罪防止の安全や子どもの保護などのための自警団のように思えます。よく見ると、ワッペンのデザインは子どもを対象のように思えます。車の天井には青いランプがついています。おかっぴき隊という名前はちょっと古いので、子どもには理解がし難いのではないでしょうか。やや前、自警団はニューヨークのガーディアン・エンゼルスが地下鉄犯罪対策で有名でした。日本でも昼夜なくボランティアで近所の安全を継続して守っていく仲間たちがいるのでしょうね。頭が下がる思いでした。でも本当にそういう人達がいるのでしょうか。あまりそんな話を聞いたことがないのは私だけかなあ。


色々な人間がいるなあ

2011年03月22日 | 日記

22日(火)は曇天でしたが無風で暖かい感じ(寒いという人もあった)でした。私は普通のブレザーで特に寒さを感じませんでした。

御堂筋の心斎橋辺りを北に向かって歩いていると、自転車が歩道に置き去りされています。乗ってきてそのまま駐輪禁止のマークのある所に平気で置き去りにされています。それでなくとも大阪の不法駐輪は目に余るものがあります。市役所も対策に大わらわですが、市民の意識は平気の平左という感じです。今日午後4時ごろ「ほんまこれでは、あかんなあ」と思いながら見つめていると、その不法駐輪の自転車の前かごやイスの上に「何かのカタログか宣伝チラシ」を置いていく奴がいました。置く自転車にも問題がありますが、さらにその上にチラシなどを置くような人間も存在するのですね。大阪の市民意識と民度のレベルをまざまざとみせつけられました。


今日も大阪へ出かける

2011年03月21日 | 日記

21日(祝・月)は朝からしとしとと雨になりました。傘なしでは多少きついので、皆傘をさして出て行きます。気温は下がっているようですが、さほど寒さは感じませんでした。

近親者に急病人が出て、私達はお彼岸中日の墓参りを中止し、昼から大阪市法円坂の病院まで見舞いに出かけました。連休の最終日も結局大阪市内へ出て行ったことになります。連休はどこへ行っても人でいっぱいです。帰りに通った梅田地下街の阪急乗り場近くでは、夕方帰宅したい人とこれから市内へ入っていく人がお互いに続きます。どう見ても何かしなければならない「用件」がある人ばかりに見えません。病院帰りの私などは、とぼとぼ歩くのに対しこの人たちは、勝ち誇った感じで皆元気がいいです。見た目は幸せいっぱいに見えます。僻目(ひがめ)かな。