楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

10年ぶりに会ったボランティア仲間と会食

2013年02月28日 | 日記

28日(木)は本当に春の到来でした。青空が見えて、風もなく、ちょっと歩くと着ている物を一枚脱ぎたくなるお天気でした。晩生の梅の蕾も膨らんだでしょう。

10年近く前に梅田で一緒にボランティアしていたWさんと会い、梅田近くで一緒に食事をしました(写真の和食レストラン)。なんばでボランティアご一緒のYさんも梅田ボランティア時期(都合で3年前解散した)には顔見知りですから同席しました。Wさんは昨年ご主人を亡くし、Yさんも数年前ご主人を亡くされており、お二人とも寡婦という気の毒な状況です。でも食事の時から思っていましたが、このお二人の70数歳になるご婦人達は、寡婦であろうと現実を生き抜いていくために、いつまでもくよくよせず「吹っ切れた明るさで新しい人生を切り開く」力強さを持っているのだと感じました。大阪から他地域に移住されて、また子どもさん達がいる大阪地区に帰ってきているWさんもお元気に笑顔を見せてくれました。河岸を変えた喫茶店でも、仲良しだったYさんとも話が弾んでいました。心の中で「男というのは相手を失うともろに”がくん”とくるが、女性は力強く生き抜いていき、強いな」、というのが実感でした。社会の一般でも寡婦の方が多いと言われることは、「旦那、亭主の独居生活は絶滅危惧種の一種類なのかな」と思って、黙っていました。女は強いね。


「情報セキュリティー講座」の途中に緊急避難

2013年02月27日 | 日記

27日(水)は好天で暖かく、すっかり春の感じでした。どこで知人にお会いしても「暖かいですね」でした。マフラーと手袋は必要がなかったです。

年に一度の「情報セキュリティー講座」(講師は本格的なプロの人)が行われるので、豊中市中央公民館へ行ってきました。パソコンやスマフォのウイールスの話や詐欺、ダマし等の対策についてプロの話を聞きました。部屋には40万人の都市で10人の受講生だけでした。週中でもあり意識のある高齢者・若い主婦が対象でしょうか。話も終わりに近い頃(午後4時ごろ)、突然、公民館館内放送が鳴り響き「隣接ビルで火災発生です。階段を使い緊急退避しください」と流れました。講座は一時中止です。我々は3階の部屋ですから、すぐ避難対応しました。公民館脇の4か50m幅「池」向こうにあるマンション4階くらいから焔が上がっていました。公民館利用者だけでなく野次馬がいっぱいでした。「これこそ対岸の火事だね」と私が冗談を言うと担当していた市役所職員もクスリとしたようでした。危ないのは、火焔というよりも”煙とガス”でしょうから、放送は適切だったのでしょう。随分経ってから消防車の到着でした。放送から20分は経っていたでしょうね。一応コートなど着て建物外部にいました。講座は野次馬のいる広場で好天でもあるので立チンボの質疑応答をやって終わりました。ああ驚いた。

          立ち上る焔   眺める野次馬                                                    

                         遅まきながら


飲料自動販売機も最近はよく分からない

2013年02月26日 | 日記

26日(火)はまずまずのお天気でした。気温も上がって手袋をしている人は少ない感じでした。夕方からは、冷たい小雨がぱらつきました。

大阪なんばのあるビルで飲料自動販売機で飲み物を買うつもりでした。120円の温かいお茶を買おうとしていました。販売品の会社の人が扉を開けて詰め込み作業中でした。暫く待つしかありません。冷たくしたり温めた飲料はちょっと待っていただくことになります。というので待つほどでもなく、積み込み作業員から温度に関係ない常温のままの「フランス製」水 330mlを100円支払って買いました。買う時にこの人に「この機械では何が良く売れるの?」と訊くと「一番売れているのはその水ですよ。ここのは温めたのもあまり売れませんね。」とのことでした。「安いからね」というと「飲料自動販売機は不思議なんです。ここ(あまりお客が買わない奥まった所)では水やお茶が良く売れます。人通りの多い所にある機械では紅茶やニュードリンクが良く売れます。そこでは温かい物が売れます。」と言ってくれました。お客の筋が違うのでしょうか。同じビルの中で自動販売機の販売品が場所により全然違うのだと知りました。高い金を支払って、加熱、冷却の機械対策をしていても期待通り買ってくれないのだそうです。私がはじめて知ったのは、販売機で外見できる「見本商品」と中に納まっている各種商品数は関係がないということでした。一番売れている水は見本は小さいボトルだけしか見えませんが中には多本数が詰まっているのでしょうか。よく分かりませんでした。


天竺川護岸の工事現場で監督と

2013年02月25日 | 日記

25日(月)は暖かい春の陽射しが帰ってきて出歩く人もやや軽装でした。私は暖かい・寒いの両面を考えてマフラーは外し、帽子は厚手ネズミ色の北欧風スキー帽を着けてみました。暑いくらい。

暫くぶりに天竺川に沿って駅二つ分離れた「江坂」駅まで行ってみました。歩いて約3または40分程でした。途中の天竺川ではパワーショベルが動いていて工事中でした。橋の上で監視している「ヘルメット帽に黒線が入った」現場監督?に橋を渡る時、話しかけてみました。「寒い所ご苦労さま、護岸工事ですね」というと、「そうなんです。今年の工事は寒い日が多くて大変。川の底にもコンクリートを張る様になっているから大工事ですよ」と言っていました。川岸だけを見ると「打ち込み板の護岸板張りはほとんど終わっている」ように見えましたが、川底の工事はこれからのようで、まだしばらく続くのでしょう。この辺(豊中市服部近く)は天井川になっていて洪水や決壊があると大変だと聞いたことがあります。雨季になる前に完成することを願っています。

家近くに帰ってきてあるお宅の前に「猫の子」の里親はいないだろうかという募集の貼り紙がしてありました。「子猫を上げた とか もらった」という話は聞いたことありますが、猫でも人間並みに里親という言葉を使うのでしょうか。ばかばかしい、人間扱いもいい加減にしてほしいです。自分の猫の子への人間扱いを他人にまで混乱して使う非常識さを感じました。ほんと、いい加減に「せ」。

 

                                


枯草が覆う「墓地」を眺めて

2013年02月24日 | 日記

24日(日)は晴れていましたが、一日中不定期に粉雪が吹き荒れる冷たい日でした。

散歩から他所へ出かける用事があったので近くの公園墓地を歩きました。久しぶりに歩行用の周遊道路を歩いてみました。季節柄、所々に、墓守はいるのかと思われる荒れ放題の墓地が目立ちました。日本も少子化で墓守義務感のない人や遠方に住む人も多いです。色々な事情でしょうが、実際にお墓の前で「なぜ、墓地の抽選に参画し、お金を払っていったんお墓を作っているのに、後をほったらかしにするのだろう」と思いました。親族がその墓守や法事のことを話し合わないのでしょうか。先日、ある中国人留学生と話し合うと、中国でも墓の問題は深刻だそうです。生活の為、遠くの田舎を離れて都会暮らしの人が多い上、もし機会あれば外国にでも移住(移民になることも)したりする時代ですから先祖代々の墓や一族の墓などの感覚がなくなってきたと言っていました。どこに自分の親や近い親族が埋葬されるのか分からない人も多くなっているとか。(こちらにも中国一人っ子政策のしわ寄せが出ているのでしょうか)。散歩した荒れた公園墓地の墓石が枯草の靡く木枯しに寂しく立っているのは、心痛い思いでした。そんなに新しくない墓石や墓標を見ると、墓には最近あまり訪れる人がいない感じでした。


                                


最近、wi-fi環境で学んだこと

2013年02月23日 | 日記

23日(土)は気まぐれな春のお天気でした。朝は好天で青空でした。大阪市内では昼ごろ好いお天気の中で雨がすこし降り出し粉雪も見られたとか。夕方は傘をさすほどではないが小雨でした。

夕方、大阪国際交流センターから出ようとして出口付近の壁にwi-fiについての貼物が目につきました。ご存知のようにwi-fiとは簡単にいえば無線LAN環境を言います。私はもう既にノート型PCは家庭用のwi-fi環境を設置していますから、家の中であれば自分の部屋以外でもインターネットへ接続ができます。家のどこでも無線で自動的に接続する便利さを味わっています。でも他の人と一緒に外出し、カフェ、ホテル、駅等でPCを持ち歩いて使う気になり家の中と同じ感覚で使おうとして、接続ができないことが分かりました(先日実はこれで幾らか失敗しました)。恥ずかしながら、いわゆる公共無線LAN環境ができていないことが原因だと分かりました。一般に知られる「ソフトバンク」「Docomo」「Au」等のwi-fiスポット(使える場所)に登録して、月額幾らか(多分数百円から数千円くらい)を払うとその会社のアクセスポイントでは使えるのだと分かりました。勉強になりました。大阪国際交流センターはDocomoスポットのお知らせを貼っているのでした。wi-fiについては、私たちのささやかなパソコン経験では、まだ実感がわきません。無線通信のセンスも要るようです。難しい。

大阪市内で裏通りにむやみに駐輪が増えています。自転車の置き方が乱雑だし、有料自転車置き場へは置きたくないまたマナーのない老若男女の物が多いように思えます。橋下某市長の息がかかっているのか、幹線の禁止場所に置いてある自転車がどんどん持っていかれる(レッカー車排除の)反動でしょうか。それは善いことでしょうがいたちごっこのようにも思えます。裏道歩道は大変。

                


豊中市役所近くの「養蜂場直売店」は

2013年02月22日 | 日記

22日(金)は冷たいのか暖かいのかどちらともいえるような好天の日でした。「寒いね」で挨拶は済みました。

会合で豊中市役所近くに行きました。帰りに住宅地の中の「養蜂場直売店」の前を通りました。ここはもう10年以上前から三重県養蜂場のアンテナ ショップというか、直売店のようでした。おじいさんが店番をしたり、若い奥さん風の人が店番をしていました。以前には立ち寄って、いろいろ品物を見せてもらったこともあります。蜂蜜を筆頭に関連の飲み物、お菓子や調味料、飴などもありました。最近あまり寄りませんが、通る時、店が開いていない時が多いです。定休日かと思っていましたが、こう頻繫になると店番している人に何かあるのか、販売不振(これは前から)なのか、養蜂場に問題があるのか、他人事ながら心配です。もともと住宅地にこういうお店は珍しく、繫華街と違い人はほとんど寄り付きません。何となく養蜂場関係者の殿様商売に見えます。あまり せした商売をやりたい人ではないのかな、今日も閉まっていました。


久しぶりに出かけた吹田市で

2013年02月21日 | 日記

21日(水)は朝方好天でしたが、小寒い風も吹いていました。でも午後からは暖かい青空が見えて散歩の人も多いようでした。

午後久しぶりに吹田市方面へ出かけました。日光を浴びた軽い散歩です。阪急千里山線「南千里」駅前に立派なビルが出来上がっていました。なんのビルかと訝しく思っていました。たまたま知り合いのお婆さんに出合いビルのことを尋ねました。図書館や郵便局、情報センターなどが入っていると聞きました。これから図書館へ行く予定だと言うことでした。まあ、いわば「公共の雑居ビル」という感じでした。神武景気に燥いだころ、当時何でも言える某豊中市議会議員に対し「予算分配に余裕があるとすぐに箱ものに飛びつく役人と議員が多いよ」と言った覚えがあります。豊中市も単年度予算でもあり地方税に余裕があった時代、無謀とも思える建物、箱モノを増築、新築して、今見てごらんなさい、どこも部屋貸し業になっている無様さです。吹田市のこの建物がそうなるのかどうか心配です。市民の為と言いながら本当は役人や議員の存在価値鼓舞や天下り先の確保になっているのが多いのです。このビル一階最高の場所に「千里花と緑の情報センター」と書いてありました。いい名前でしょうが民間が必死で喘いでいるこの経済状態の中、何をする所か、もうちょっと市民の本当のニーズに合う役に立つことはできないのでしょうか。

          

                  花と緑の情報が要る?         近くの吹田南公園の紅梅


春の訪れが足音高く

2013年02月20日 | 日記

20日(水)は天気予報では極寒になるのだと聞いたので、身構えていましたが、午前中もさほどのこともなく、昼からは春の陽射しが暖かい日になりました。

知人の入院見舞いに出かけました。帰りに病院と他の建物の二つの隙間にある残されたような畑を眺めました。これは、素人の畑ではないようです。立派なネギとホウレンソウが青々としていました。昨日まで寒々としたお天気で野菜の色など気にしなかったのですが今日は暖かい好い日和ですから気持ちが違います。確実に春の足音が聞こえます。それで気になったのは、日本人はなぜ緑色のことを「アオ」というのでしょう。青信号の緑色などは「青」と言っていてなぜ緑色かと質問する外国人がいます。ちょっと調べてみると日本の歴史における緑色は、古くは「青」のカテゴリーに属していたようです。平安の昔からだそうです。混同しているのは、染物・焼き物・着物・絵画など緑や青の種類がものすごく多くて、その境目がはっきりしないこともあるようです。従って両者合わせて青扱いにした歴史があるのでしょうか(ここは私の推測)。緑の種類を調べてもあまりに多くて、表現が難しいです。ギブアップ。

また履正社高校の横を通ると、春の選抜高校野球の甲子園出場が決まったようでこちらも春満開のようです。勝ち進むことを願っています。何時もここの高校は1,2回戦敗退ばかりで期待に反します。この春はいかがでしょう。でも春の話題ですね。

             

 

 

 


大阪「新世界」「通天閣」に百年の歴史が

2013年02月19日 | 日記

19日(火)は昨日の雨が残ったうえ午前中、大阪市内はかなりの雪になりました。春雪とは珍しいです。雪はそんなに積もるほどではありませんでした。

なんば生涯学習センターの壁に「新世界・通天閣百年祭」のポスターが貼ってありました。眺めた昼休みに、そうかどこかの真似や導入をやってもう100年になるのだなあ、と毒口をたたいていました。でも100年は一応の歴史です。私は若い頃、天王寺動物園、天王寺グラウンドなどをよく利用しました。会社から近いセイもあり、夏などは会社終了して遊びに行き、その後この近くのジャンジャン横丁で時々吞んだものです。串カツをアテに怪しげな焼酎を吞みました。ちょっとした共通皿にソースが入っていてそこに「二度漬け禁止の串カツ」と書いてあったものです。私達には美味しいのですが「何の肉か分からへんよ」と客同士が食い物情報をやり取りしたものです。昭和35,6年頃はまだ食料が十分でなく、そういうジャンジャン横丁によく行きました。一種の立のみ元祖という感じの所でエリートサラリーマンはまず姿を見せたことはありません。私達吞み仲間が意識的に底辺探索でという感じで行っていました。帰りに新世界・通天閣を通っていると暗い所で明らかに男娼と思える人が声をかけてくるという凄まじいところでした。すっかり変わっているでしょうが、今でもこの界隈は大阪では底辺の人が多い所と言われます。百年祭はいいけれど、正直な所、大阪としてはイメージはあまり良い所でないです。克っては、通天閣だけだったビリケンが増えて行き、吞み屋の前に置く所も多くなり、写真は今日帰りに「道頓堀の吞み屋兼レストラン前」に置いてあったもの。