楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

もう今日で10月も終わる

2011年10月31日 | 日記

31日(月)は好いお天気で青空が広がりました。気温も少々上がりましたが、夕方には多少涼しい(?)風が出て、丘を通る時は、向かい風の抵抗を感じました。

畑のある所を歩いていると、隅に「コスモス」が咲いていました。この花は9月から10月末の花と思っていましたので、もうそろそろ終わりでしょうか。でもひょろ長い背の高い(約2mくらいの茎)の花は、路傍とはいえ、まだしっかりとした花を開いていて暫く持ちそうです。コスモスはピンクでか細い上、しとやかで可憐な花ですが、意外に芯はしっかりしているのかも知れません。「なでしこ」ばかりでなく、そういうところは日本女性の感じに近いです。花言葉は純真とか真心とか、聞いています。これを市花にしたり、県花にすると嫌味なところが出てきます。日本の女性も「コスモス」に例えられる人は、僅か一握りになった印象のように思います。意外と花言葉に「しぶとい」とか「しっかりもの」などを加えれば、良いのではないですか。もう10月が終わりです。


運がいいのか、「京都・ミスきもの」の写真を

2011年10月30日 | 日記

30日(日)は、どんよりした厚い雲に覆われた空になりました。毎日、小春日和のお天気でしたので、くらい、小寒いお天気は久しぶりでした。

用事ができて、京都、東本願寺の近くに出かけました。用事の後、JR京都駅に出ますと、駅前にテントをはり、京都の官製おまつりかイヴェントの為に、大勢の人が集まっていました。綺麗なきもの姿の女性を見つけ、近づきました。これがなんと、「京都・ミスきもの」だったのです。今年の春にオーディションで選ばれた4人の内、2人がいました。誰も写真など撮りません。私が思い切って、「通りがかりの大阪人ですが、写真を撮らせていただいても?」と尋ねました。「いいですよ」と言ってこのお二人は、にっこりとポーズしてくれました。私は運が良かった、と思い後ろを見ると、写真OKが分かって外国人も含め数人が写真を撮っていました。でも私にはポーズをしてくれた「このミス達」は後の人には、何も仕草はしないようでした。やはり、紳士的に「よいですか?」が効いたようにおもいます。お互い、人間ですから、情の問題ですかね。昔は、「京都きものの女王」とか言っていましたが、この春から名前が変わったようです。


時代錯誤か、今頃「大阪マラソン」だって

2011年10月29日 | 日記

29日(土)は曇り時々晴れと言う感じでしたが、気温はけっこう高く、夏物へ逆戻りした薄物の人も見えました。おかしなお天気です。

大阪市内を歩いていると、やたらに「大阪マラソン」という看板が立てられています。30日(日)予定ですから明日です。雨が予想されています。終戦直後(60年ほど前)、広島県出身の19歳田中茂樹さんが「ボストンマラソン」で優勝して、私達同県人としては特別に喜んだものです。原爆被害者の多い地域で、戦争直後アメリカに特別な意識を持っていた中での優勝ですから、誇らしく思ったものです。でもボストンという町がなぜマラソンを主催するのか、私はまだ若く理解に苦しみました。当時それが古い歴史あるマラソンと言うので、その町の大事な行事だと受け止めました。その後、ニューヨーク、ロンドンやベルリンなど世界の各大都市でマラソンが行われ、知名度を上げるイヴェントになってきました。日本でも、東京はじめ最近は増えています。でも、追っかけの人真似の感じは否めません。創造性、新規性を感じません。何を目指して大阪がマラソンかと思います。赤字に苦しむ府民や市民をしり目に何がマラソンか、と思っています。交通規制するようですが、その価値があるでしょうか。


誰もが使える公園を「わがもの顔」で

2011年10月28日 | 日記

28日(金)は、暖かい、と言うより暑い感じの快晴になりました。朝方の冷え込みは昼にはなくなり大阪地方はシャツ一で十分と言う感じでした。

昼過ぎに打ち合わせに会合に出かけました。途中で豊中市立大曽公園グラウンドを横切ろうとすると、老人達がいっぱいいました。グラウンドゴルフか、ゲートボールかなにか知りませんが、ここを占有して仲間内でなにかやっています。仲間練習や競技が出来る場所ではありません。一般市民が使う場所です。ところが数をおして、所々に棒を立てたり、旗を立て、いかにも自分たち占有の場所の形にしています。いくらか、常態化している感じでした。かなり年配の人生経験豊かな、常識ある人達に見えましたが、自分のこととなると、都合の良い甘えが出てくるのですね。私は むかっ腹が立ったので、プレー中の競技の真ん中を歩いて横切って渡りました。プレー中のおやじは突然変な人間の出現に「どこのだれ?」という感じで私を見ていましたが、堂々とゆっくり真ん中を歩きました。誰が通るか分からない、あなたたちの占有競技場ではないよ、と胸を張って歩きました。さすが、私が歩く意味が分かるのか、しばらく競技をやめて私の通り過ぎるのを待っていました。おじいさん、おばあさん達よ、皆少なくとも一般市民に迷惑にならぬよう、節度を持って、気を付けて生きましょうよ。考えてみなさい、それでなくても、百害あって一利なしのお邪魔な老人です。


私のPC指南役は、ドックの若い人

2011年10月27日 | 日記

27日(木)は木枯らし1号が吹いた昨日と違い、快晴の上、無風状態でぽかぽか天気でした。でも何となくカラッとしていましたので、乾燥していたのでしょう。

昨日夜遅く、wi-fi型のノートPCで楽しんでいました。寝るため電源を切ろうとすると、画面が勝手に切れ、電源ランプが点いたままの状態になりました。最初はひと月ほど前にバッテリーの交換修理をしましたので、その再発かと思いました。でも電源ランプは点いたままです。画面はどのキーを押しても出てきません。仕方なく、電源スイッチを長押しするなどの緊急対策をしましたが、言うことを聞いてくれません。仕方なく、今日購入先のヨドバシカメラ梅田店へ持参しました。この店には「PC-DOCK」というPC修理専門のコーナーがあり、有料無料の修理をしてくれます。私は意外に回数多く利用させてもらいます。今日も、そのコーナーで事情を話すと若い担当者が「スイッチを長押しして、電源が切れるまでひっぱり、リセットするといいです」と強引な手を使って無事に復旧しました。解決に時間僅か30秒程度でした。鮮やかな手さばきに感心しました。私は、毎回こういう若い人から技術を指南して貰っています。残念ながら、高齢者には他に師範はいませんのでありがたいです。ディスクトップで慣れてきた我々は、ノート型には疎い所があり、特にそう思います。、


車道でしか自転車は乗れないのだ

2011年10月26日 | 日記

26日(水)朝方はちょっと冷え込みましたので、着こんでいる人もいましたが、昼過ぎの帰宅では、暖かくて腕をまくっていました。

あるTVのトークショウ番組によると 「警察庁が3m以内の歩道で自転車を乗れないようにする」と各地域の警察に通知を出したといいます。私が以前から何度も主張してきたことと一致します。余りにも自転車のマナーと節度がないのが原因のようです。朝日新聞の朝刊にも一面に大きく出ていました。いままで事情があって狭い歩道しかない郊外や地方ではやっと安心して歩行者が歩けます。特に高齢者、身体不自由者、幼児。1~2mの細い歩道を精一杯速度を上げた自転車が曲がった道でもスピード落とさず次から次へやってくる状態は法治国家ではありません。中国の状態を見たことがありますが、日本、特に大阪郊外は低次元だと言われる中国以下だと思います。それはひどいものです。この通達が早期に実現して怪我をしたり困るのは自転車側になれば、(ちょっと言い過ぎだけど)いい気味です。中には、乗ってはいけない狭い歩道で自転車が前を歩く人に「退いてくれ」警告リンを鳴らすのがいます。これからこういう人間には、不法ですから目玉が飛び出るほどの罰金を科すべきでしょう。いまは、刑罰も軽く「なめている」のではないですか。ある駐車場を見ていると家庭ではなく、個人に一台くらい自転車(軽車両)を持っているから影響は大きいでしょう。私は、昨秋この近辺歩道が狭いので、私側が怪我させる事故が心配で自転車も廃棄しました。


安藤忠雄氏と岡本行夫氏の対談講演から

2011年10月25日 | 日記

25日(火)は暖かい日で、夕方までは半袖で過ごした人もいたはずです。夕方から急に寒くなり、半そでではムリだったでしょう。

今日は、一日大変にすることの多い予定がありました。私の勝手ですが、忙しい日でした。午前9時前に家を出て、夕方までボランティア。夕方、大丸デパート北館にある大丸劇場まで行き落語独演会の情報集め。その後、午後6時半からの淀屋橋の朝日生命ホールで行われた大阪出身の建築家 安藤忠雄氏と外交評論家 岡本行夫氏の対談型講演会へ参加してきました。家に帰ってきたのは、午後10時過ぎでした。大丸デパートの北館(旧そごう)はあまりお客の姿が見えませんでした。特に14階の劇場周辺には、売り場もあるが全く人影もなくちらほら中年女性数人が座り込んでいるだけでした(写真)。これではこれから心配です。「そごうデパート」がうまく行かなかった延長でしょうね。講演会の方は、歯に衣せぬ安藤氏の「大阪の最近の凋落現象は当然。文化も教養も日本他地域はおろか世界に劣る。その理由の第一は、子どもの教育にある」という指摘は私の持論と近似しており面白く拝聴しました。若いママたちに聞かせたい内容でした。結論は、「金稼ぎに走る大阪人は、きちんと子どもの教育をしていない、大きくなっても教養不足」でした。最低の民度と言っていました。岡本氏も教養不足には賛同しているようでした。情けない話。


「七五三まいり」にまつわる話

2011年10月24日 | 日記

24日(月)は朝から好天でした。かなり温かい日でしたので、夏姿でもいいと思いました、さすがにもう10月も終わりに近いので、皆さん一応薄手の長そでを着ていました。

近くの八坂神社を通ると鳥居前に、今年も「七五三まいり」の立札が立っていました。古くからの習わしで、熱心なお家は今でもやるのでしょう。男の子が3歳、5歳、女の子が3歳、7歳と聞きました。無事な成長を祝って、新調の着物を着た子供が神社やお寺に詣でる(参る)儀式です。私自身は、戦災時代のことと両親にそういう信仰心がなかった理由で、やったこともありません。昔は、生まれる時の危険も大きく、折角生まれても、幼児の生存率が低かった時代に出来た「神頼み」だったのでしょう。先日TVで見たアフリカのある国では、まだ幼児の生存率は50%以下と言うことです。その理由の第1は衛生面とかウイールス系の伝染病かと思っていたら、なんと子どもの「摂取する栄養偏り」だそうです。親が得られる子どもの食事がバランスせずある物にだけ偏ったものになっているためだそうです。昔は日本も自給自足だったわけで、やはり同じ理由で成長できず幼児の生存率が低かったのでしょう。今の若い親もまともなバランスした子どもの食事が作れないのが、多いと聞きます。何が神頼みかと思いました。もうちょっと、子育てで努力する点が違うのでは。七五三まいりはしなくてもきちんと成長した人は多いのだから。


高校生たちの新しい音楽が分かる?

2011年10月23日 | 日記

23日(日)は曇りがちでしたが、とうとう雨は降りませんでした。時々細かい雨を感じましたが、傘の必要なほどのこともなく過ぎました。

千里の中央公民館(コラボ)で秋にやる恒例の「コラボまつり」に色々イヴェントが開催されていました。私たちの仲間もボランティア活動の基地としてここを使いますので、室内で参加していると思います。私は、ワイフと別用があったため、この横を通りかかりました。すると突然数人の高校生らしき人たちがエレキギターなどの楽器を持って、大きなスピーカー音で歌を唄い始めました。私達のような年齢にはうるさいばかりで分かりにくい音楽です。どこが面白いのでしょう。すぐ側にあった、総務省近畿局の行政相談テントにいた私より若い40台の人に「あれは何というジャンルの音楽でしょう?」と尋ねました。「いやあ、よく分かりません」というご返事。近くにいた同僚らしき人達も「さあ?」でした。その中の一人のおばさんが「多分ロックの近代テンポでしょう」とのことでした。ほんまかいな、と思っているとそのテントの中から私達高齢ボランティ仲間のMさん(女性)がひょっこり出てきて、「我々は、知らなくてもいいのよ」と笑っていました。この知り合いの出現は私には二重の驚きでした。この人、行政相談って何やっているんだろう。年金の話かな?その音楽を熱心に聴く?高齢者もいました。本当に楽しんでいるのだろうか。


有機栽培の野菜販売店で

2011年10月22日 | 日記

22日(土)は天気予報は雨が降ったり、曇りになるはずでした。気温も下がるはずでした。でも出かけるお昼前後には、気温が上昇して色々な所で半袖姿が見えました。夏姿です。

大阪天王寺区で「有機栽培」という野菜を売っている店を見ました。オーガニック ファーミングとか言って数年前に欧米の外国の真似で始まったと聞きます。依然としてフアンがいるのか、店はそこそこ流行っているように見えました。よく考えてみると、我々子ども時代の野菜は、化学肥料や除虫も機械化もなく、完全有機肥料散布だったわけです。それが、戦後除虫や増産で体に良くない除虫剤や化学肥料に代えられしかも外国からの輸入品も信頼を欠く結果になったのですね。しかし果たして元の70年、80年前にやっていた「完全有機農業(栽培)」が体に良いからと、旧式に戻るべきでしょうか。疑問です。有機栽培の野菜販売もユーザーに負担(値段が高い、生産が少ない)をかける等のプレッシャーを与えながらやっているのでは、先が見えます。将来は、生産性の良い、清潔で利用者(ユーザー)にプレッシャーを掛けない野菜提供になって行かねばいけないと感じました。