楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

iーtunes購入の曲ばかりが増大し

2015年11月30日 | 日記

30日(月)大阪は、好いお天気で暖かい感じでした。11月が終わり明日はいよいよ今年も師走です。この調子では「暖冬」になる?のでしょうか。

i-tunesで音楽のダウンロードを始めて10年くらいになります。はじめはAPPLEのこのソフトもユーザーの希望に沿って音楽や英語聞きとりなど、扱いやすい感じでした。私は、I-PODに希望曲を買い込んで、自分で買っているCD曲も一緒にフォルダーへ取り込んで音楽を聞きながら電車やバス内で楽しんできました。でもいつの間にかi-tunesのバージョンも上がり、著作権問題対応やユーザーが自由にならなくなってきました。このソフトでの購入分の音楽リストだけは、今でもいつでも聴けますが、自分で取り込んだ別途購入CD音楽曲は、もうあまり簡単にフォルダーやファイルに入れる事が出来なくなってきたと思います。10年近くになると、i-tunesカードで買い込んだ曲数も大雑把に(行方不明分の数百曲除いても)1000以上にはなります。自分購入したCDからの取り込み曲はさらにその数倍になりますから、画面でグループ分けするのも大変です。4つのバージョンが違うI-PODを適当に使って、音楽を楽しむのも、ダウンロードを真面目に使い購入をしていかねば、そのうち埒外扱いにされるようになるのかも。もう時代的にDVDなどの画像 + 音声 + 音楽に対応するソフトに切り替わってきているのでしょうか。まだ古いI-PODを旧々と使う利用者がいることをお忘れなく。大切に古い機種(v1、v2、など)をまだ使っています。


モスクワ・アカデミー合唱団の声を

2015年11月29日 | 日記

29日(日)、お天気が好く暖かでした。昨日の寒風に比べ、かなり薄着の人も多かったでしょう。私は、ブレザーの下にヴェストを着て外出して過ごしました。

先日チケットを購入していた、モスクワ・アカデミー合唱団のコンサートに行ってきました。大阪ザ・シンフォニーホールです(その入口全景が上の写真)。ほとんどが知っている曲でかなり日本ファン向けになっていました。第Ⅰ部はロシア民謡が中心、第2部はクリスマスソングや日本の童謡歌などが入っていて、国際色のあるものでした。このアカデミーは国立のようで、音楽専門の学校とかで男子が8才くらいから小、中、高、大学までがあり、音楽や素質を考慮しエリートを選んで入学させる学校らしい。女子の方は歴史がまだ浅く、中学、高校、大学の人だけなのだそうです。今回のメンバーは、全数は不明ですがその中から約40名程度が選出され来たようです。8歳くらいのボーイソプラノが6名、女子が15名程度入っていました。なかなかロシアからの合唱団を直接聴く機会がないので、ロシア的な味とそのハーモニーのうまさ、声の強弱の使い分けや独唱者への気遣いなど、面白いなと思いました。私の印象ではロシア民謡の中、もっとも思い出深かったのは「アムール河のさざ波」でした。伴奏のピアノも指揮者(このアカデミーの校長だとか)も同アカデミーの人らしく、よく息が合っていました。日本では、12月半ばに盛んになるクリスマスソングが幾つも現れ、まだ11月で大阪では特にちょっと早いかなと言う印象でした。私は帰りに日本向けロシア民謡CDを買い込んできました。50年近く前の若いころ、大阪市内で私の遠縁の女子音大生がこういうのを歌うロシア民謡喫茶でバイト(コーラスとピアノ)をしていたので、時々訪れてやりました。その思い出もありました。でも当時、かなり左翼系の人のアジトだったのだと後で知ったものです。

                               買い込んだCDケース


長蛇の列になぜ「おばさん」が

2015年11月28日 | 日記

28日(土)は、大阪は好いお天気になりました。お天気はいいのですが、午前中は冷たい風が吹き、厚着に防寒をしましたが、午後は暖かい気温でやや汗ばむ感じ。

毎週末に行く大阪国際交流センターの大ホール前で、今日は何故か大勢の人が行列し立っていました。何事か、と訊くと華道のある流派家元の発表会とかと言います。たかが華(花)を生けたり、飾るのにこんな人の行列が必要かな、と疑問を抱きました。こういう事に詳しい同僚の高齢女性に聞きました。曰く「茶道や日本舞踊などの昔からある流儀」には師匠などの流儀が残っていて、名前を付けて〇〇流と言って未だにその方式が残っていますよ」とのこと。その人の弁によると、茶道では茶筅などの竹細工は切り裂く数は約千本にもなり、かき混ぜる流派が違うのだそうです。お茶を入れる時の泡立ちや味わいが違うとのことです。でも今日見た多くの行列にはちゃんとすわって花を生けたり、日常座敷に正座し、和服を召す感じの人はあまりいないように思いました。時代に沿って生きる人の方が多いのでしょうか。自分個人では和服が着ることができない人やスマフォ片手の人,の行列に思いました。行列に並んでいた50~60才くらいのおばさん達の心には、自分の「こういう歴史的な事をまあまあやっている」のだとか「こういうことが財的にできるようになった」とか「着る機会があって和服などある意味でのファッション」等という自己満足がかなり入り込み、行列する力を手伝っている感じがしました。何とか派の師匠や家元のお家継続にも大事でしょうか。私には訳分からぬ世界です。


折り紙で祝い箸の作成に挑戦

2015年11月27日 | 日記

27日(金)は、大阪は好いお天気でしたが、ゾクとするような冷たさで、慌てて暖房の準備でした。朝方は室内で5℃前後だったのでしょうか。

近くの暖かい公民館で行われたシニア・ボランティア仲間の会で、折り紙で色々面白いものを作成しては、子どもたちの会や高齢者施設に出かけるグループから、今日の余興でお正月用に「祝い箸」を皆で作ってみようと提案がありました。何十年も昔、折鶴や風袋程度を女の子の見よう見まねで作った覚えがある程度の私も、面白がって参加してみました。そのグループは、活発に色々行くらしくかなり豊富に材料を準備していました。どうせお正月には既製品の祝い箸を買う事になるので作ってみようと言う事になり、始めましたが、折紙で鶴の飾りのついた祝い箸を作成するのは、意外に難しいものです。男女の参加者がかなりの数いましたが、説明だけではなかなか独力では完成が難しく、どの人も折り紙グループの人たちの手助けを受けながらやっと完成しました。まだ締めつけ用の輪ゴムバンドが付いたままで、私の作成のものを一応写真に撮りました。材料は私では、夫婦二人分(左が男もの)の物をいただき、和紙を折りたたんで(手助けしてもらいながら)完成に約1時間かかりました。ちょっとした挑戦でした。でも一人での再製はちょっと難しいかも。


年々増えていく「喪中のご通知」

2015年11月26日 | 日記

26日(木)、大阪は、曇ったり雨が降ったりの傘が手放せない不安定なお天気でした。気温もかなり低い感じで、高齢者には厚手コートを着た人もいました。

毎年、年末が近づくと、過去一年間に近親者でご不幸があった方から「喪中のご通知」をいただきます。当然私も発信した経験があります。若いころと比較してそのご通知をいただく方がずいぶん多くなったように思っています。今年も11月末でもう相当な方から受け取りました。若いころは、いただくご通知は病気による死亡が少なく、事件、事故によるものやご病気でも癌などが多かったと思います。したがって喪中ご通知はそれほど数はありませんでした。だんだん中年になった頃には、ご両親が高齢で亡くなるケースが多い感じでした。やはり、年賀状のやり取り交換は同期同級生、会社の同年代同僚、また同年輩でお付き合いいただく方等が多かったので、自然とそうなったのでしょうか。そのうち、気がつくと、ご本人とか兄弟やその配偶者のご不幸が増えてきました。もう私も80歳間近になると、友人知人、同級生や配偶者の喪中がずいぶん増えてきています。年賀状は、ご本人から「暫く会わないが、まあまあ元気にやっているよ」という年一回のメッセージだと思っているので、他の方のお名前でご本人の喪中ご通知をいただくと、離れて過ごしていていきなり会いもせず往ってしまう哀惜を感じます。最近は、年末のご通知で初めて知るご不幸が多いです。ずいぶんいただくご通知がせめてご本人でないことを祈っています。こういう事を考えるのも年ですね。


山に昆布があるの?

2015年11月25日 | 日記

25日(水)北大阪は、曇天にぽつぽつ程度の小雨がありました。深夜にはもっと降るのかもしれません。

用事で出かけたなんば虹の街地下商店街を歩いている時に面白い表示がありました。昆布の店に「山だし昆布」の表示。山から出すと言う昆布はあまり聞いたことも、手に入れたこともありません。昆布と言う食物は海で採れる長い海藻だと思ってきました。江戸時代から大阪では代表的な食品です。表示を眺めていると、店の女の人が、「いらっしゃいませ、で何か?」と尋ねてきました。私は、「昆布の山出しと言うのがあるの?何処かの山で昆布に近い生産品があるの?」と話かけました。彼女は笑いながら、「流石に陸では昆布はできないでしょうね。北海道の海岸で採れた昆布を港湾のある地域まで運ぶ時に山岳地帯を越えたので、その名があると言われます」とご丁寧な説明でした。だとすれば、山だしと言うより正確には「やまごえ昆布」だなと思いました。素人は、名前から山でできたのかと思いますね。後で調べると、この「翁昆布(おきなこんぶ)」屋さんは大阪ではかなり有名な店のようで江戸からの老舗でそこの支店でした。大阪のうす味を広めた昆布出汁の元にもなったそうです。でもその昔、高齢の翁がきつい仕事をして山を越えて運んだのでしょうか。多少いまでいう高齢者虐待のイメージを持ちました。この山出し昆布は北海道道南産(函館の西)の真昆布(マコンブ)だそうです。全くの素人がいい勉強をいたしました。

                    


浜松周辺へ遅い秋の小旅行(下)

2015年11月24日 | 日記

24日(火)、大阪は薄日でどんよりの曇天でした。雨が夜になって、降ると言われます。下り坂です。

(昨日ブログの続き)

浜松で、航空自衛隊の基地に色々な飛行機が見学できると聞き、基地に入って、見て回りました。男の子のいる家族や、青年が多いのであろうと思っていましたが、意外に女性の姿が多く、それも20歳前後の若い子の姿が多かったのでびっくりでした。これは、何故かと言うと、後で分かりましたが、申し込んだ人は、更衣室で航空自衛官の制服が貸与され着替えができる事でした。女性用も子ども用もありました。中には、子どもをパパに預けて、ママだけが制服になっている人も見受けました。日本航空自衛隊が過去購入した歴史的なアメリカや各国製の小型飛行機が多く展示してありました。中には、据え置き物に搭乗できるものもありました。ただ、天井につるしてあった、グアム島沖で海底から戦後発見されたと言う戦時の戦闘機ゼロ戦(復元整備したもの)があったのは、私には、幾らかの衝撃でした。古いでしょうが、当時内地で戦争被害を体験した一人だから。

寄った「うなぎパイ」の製造工場で、どんなお菓子をパイと言うかと尋ねたところ、受けつのお嬢さん二人とも、「パイはパイですよ」だけのご返事。ウナギを挟み込んだお菓子などとはどういうイメージかと思いました。簡単に言うと、実際は煎餅にウナギの粉が混ざっているような感じですね。私の知っているパイは厚手の焼いた粉の板に焼いたウナギ肉でも挟んでいる感じです。私の思うのは、私の思っていたパイは食品であってもお菓子煎餅とは違いますがね。パイと実態はかなり違った印象でした。

息子の借りたレンタカ―で浜松内外をあちらこちら眺めて歩きました。仕上げは、徳川家康の浜松城、ここはあまりの観光客数に驚き、私達は遠くから眺めただけでした。(おわり)

                   ゼロ戦の復元もの

                   パイ工場

 


浜松周辺へ遅い秋の小旅行(上)

2015年11月23日 | 日記

22日(日)、23日(月・祝)は、からっとしたお天気はごく一時でした。全体的に、どんよりとしたお天気でした。でも雨なし。

息子などが住む関東組と丁度、浜松あたりが真中で、お互いにその辺はあまり旅行を経験していないと言う理由から「浜松の近辺で温泉」を探してくれたようです。今まで、奥熱海とか修善寺とか、伊豆半島には、彼たちに誘われて有名な温泉もあり出かけてきました。今回、私自身の〇〇記念と言う年齢が来たお祝いをしたいと言う誘いでした。舘山寺温泉という浜名湖の北奥にある温泉だと言うので、大阪からワイフと出かけてきました。私以外お互いに皆、勉強や仕事のある身なので、22日と23日にしました。まずおいでになった出来事は、「ウナギ」です。どの料亭やレストランなど、どこでも「ウナギ」の登場です。かば焼きやウナどん、ウナギは垂れで食べるものだと思いました。

色々この周辺をうろついて、今まで知らなかった「浜松近辺の見所や、浜名湖の広さ」等を知りました。まず1600年ごろの近世にできたと言われる、東海道の要所として江戸防衛と海陸交通のためにあった新居関(あらいぜき)が、(静岡県湖西市主体で)屋敷ごと保存されていたこと。浜名湖は思ったより大きく広く、ホテルサービスの遊覧船クルーズなども体験できたこと。弁天島の横の総合グラウンドでは、全国の代表によるユルキャラコンテストとが開催されていたようで、凄い人出と渋滞で「何だこれは」と驚きだったこと。浜名湖の舘山寺温泉は、近辺の人には、意外に好く知られているのか、泊まり客が多かったこと。でした。

                     新居関跡

                    浜名湖クルーズ


地名・駅名などの音、訓の使い方

2015年11月21日 | 日記

21日(土)、大阪は晴れでいいお天気になりました。3連休になる人もいますが、だんだんお天気悪化だと聞きます。今日が一番でしょう。

ある真面目な若い中国人学生から、日本での地名・駅名・個人名などの固有名詞には、音読みと訓読みが混ぜこちゃになっていて、はっきりしたルールがなく覚えにくいと言う指摘がありました。そうです、大阪の地下鉄でも本町(ほんまち)とか谷町(たにまち)と訓・訓の読み方があれば、大国町(だいこくちょう)、弁天町(べんてんちょう)と音・音になる所もあります。訓・訓とか音・音ばかりでなく音・訓、訓・音等もあるでしょう。歴史的な読み方や、明治時代の文化、維新の考えなどが入り混じったのでしょうか。個人名でも 平さん を ひらさん、へいさん と言う人もいれば、たいらさん と呼ぶ人もいます。昔むかし、中国から漢字が輸入された時代、この音と訓はいろいろ煩雑な使い方だったのでしょうか。はなし言葉で歴史の中で、漢字あてはめなど適当に読み方などができてきたのでしょうか。明治になって、さらに政府や中央集権的な力学で混乱したのでしょうか。駅名などは近年でしょう。仕方なく「日本漢字は読み方には、とにかくルールがあるようで、ないのです。適当に覚えていくしかないでしょうね。」と胡麻化しておきました。音と、訓の使い分けにはホントに、一般が理解できるルールがあるのでしょうか?大阪を 音読みで だいはん とは読みません。兵庫は へいくら ではないですね。私にとっても、(不勉強者ですが)謎が多い所ですよ。


もうあれから半年以上も

2015年11月20日 | 日記

20日(金)はまるで昨日が嘘のような好天になりました。さすがに、昼ごろ晩秋の風はやや冷たく、中にヴェストを着込みましたが、途中で脱ぎました。

豊中市の児童施設から今年2月28日に行方不明になっていた疋田逞大君(6)が大勢の捜索にもかかわらず、次月15日、施設から約100メートル離れた公園の池で、水死体で発見されました。あれからもう8カ月もたちました。私も時々このコースを散歩することがあり、不明の報道を聞きそれなりに気にはしていましたが、全く予測くしにくい場所で転落したらしいです。今日、用事でその池の淵を通り過ぎました。池の現場ではまだ多くの花束や植木などが飾られていました(下の写真)。関係者や親族は悲しみが消えないでしょう。お気の毒に感じます。健康な幼児ではなく、何かの障害をもったかわいそうな子どもだったと聞きます。池の反対側から眺めると、池は静かで秋の色が映えていますが、私の気持ちは、こんな静かな池でも色々な幸・不幸の歴史が滲んでいるのだと思いました。黙祷!