★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「帰国顛末記」

2022-10-24 18:07:20 | ベトナム・ハノイ

 「円安対応のための仕事を増やすための弾丸出張」があっという間に終わり

昨日帰国した。「大案件3つのうち2つは契約にこぎつけ、後1件は検討中」になった。

成果としては「まあまあだろう」そのために「体調不良のなか、出張し、大金を使ったのだから」

成果が出てよかった。しかしながらその間にも「円安」はものすごい勢いで進んでいる。

こんな状況では「どんなに頑張っても焼け石に水」状態なのかもしれない。

それでも

 日本に居る間「ベトナムでは食べられない魚」を毎朝食べた。(火曜から土曜まで5日間)

*アジの開き

*マグロの西京漬け

*鰆の粕漬

*鮭の塩焼き

*鯖の西京漬け

という具合だ。日本の魚は「大変おいしい」

そして日本に行ったら食べたい昼食(5日間)

*ステーキ宮のステーキとハンバーグ

*かつやのかつ丼

*近所の「木村精肉店のハムカツコロッケ、メンチ」

*丸亀うどん(かけうどん並みとかき揚げとちくわ天+稲荷ずし)

*幸楽苑の醤油ラーメンとチャーハン(ほんとはいつものラーメン屋の塩ラーメンとチャーハンが

食べたかったが?すでに閉店していた) ひと時の贅沢である。

 自分が住んでいる群馬県は陸の孤島である。成田発9:15の便に乗るには「前泊」しなければならない。

以前のように「4時発のバスがあれば、間に合うのだが、コロナ以来今も復活していない」

仕方なく「東横イン成田」に前泊し6:50のバスで成田空港に行った。

(ここの東横イン、大浴場もなく、朝食も普通だった、しかしすぐ前が成田空港の敷地、窓から

飛行機が見えるのは良かった) 今回「自宅のふろ設備(オール電化のボイラー)が故障」し

風呂もシャワーも使えなかった。鍋でお湯を沸かし体をふいて、水で頭を洗った。

1日は「泳ぎに行った市民プールでジャグジーに浸かりシャワーで頭を洗った」銭湯代わりに使ってしまった。

でもしっかり1000mは泳いだ。300円は安い。

 そして帰国前日「東横インの風呂に2回も浸かり」日本のあかを落とし「ベトナムに帰国した」

ベトナムでは「浴槽は無い」シャワーだけの生活が続くのである。これから寒くなると

浴槽に浸かりたいのだが?叶わぬことである。

 さて今日から普通出勤している。「円安からの立て直しのために、いろいろ手を尽くしているが、果たして

乗り切れるだろうか?」やらなければならない事が山ほどある。まだまだ「ベトナムの田舎に引っ込んで隠居生活をするのは

先になりそうだ」 あっという間に一日が終わり、やっとブログを気にできる時間が出来て

そんなことを考えた。

 

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ベトナムハノイの「弾丸発熱出張顛末記」

2022-10-18 16:09:49 | ベトナム・ハノイ

 「円安対応のために、急遽出張になった」

出発日まで客先対応、お客さんを送り出し、午後1時:出張準備を始めたがなんだか「体が重い」

熱を測ると「38.3℃」だるいわけだ、慌てて解熱剤を飲んで少し休憩し

とにかく日本に行ける「荷造りだけは終わらせた」午後2時:

その後「家中を片付け、観葉植物に水をやり、洗濯と掃除、疲れてボーとしていると

5歳友人宅から「夕飯食べますか?」と言うお誘い。こんな状態なので

何も準備していなかったので「ありがたくいただくことに」行って食べてはみたが

いつもの勢いがない。事情を話し部屋に戻り熱を測ると「38.6℃」に上がっている。

慌てて食後の解熱剤を飲む。この間「フライト日程が変えられるかどうか確認」

変えられるが「それなりの追加料金が必要」

薬を飲んで、熱も上がり切ったのか、少々楽になった。仕方ない「出張を継続」することに決めた。午後7時:

「空港へ着き、プライオリティパスでラウンジに入り、休息をとる」熱は相変わらず38.6℃ある。午後9時:

時間になり、飛行機に乗り込む。(ここでラッキーなことに、3列シートに自分だけだった)午後11時:

今思えばこのおかげで「1日目のミッションがクリアできたと思う」

 すかさず「解熱剤と眠剤」を飲み、ベルト着用サインが消えるなり「すぐに3列を使った簡易ベッド」午前0:30

に寝転がる。途中で「食事があったが、食べた記憶はあるのだが?何を食べたか未だに思い出せない」

そこからはずっと寝続け、着陸30分前まで爆睡した。おかげで「熱は下がったような気がした」午前6:30:

いつもは無理には寝ないが、過去にこのような状況になったときに行うのは同じ方法だった。

「ホテルでも、飛行機でも、解熱剤と眠剤を少々余分に飲んで爆睡することである」大概はこれで

大きな問題にならず「仕事も切り抜けられるのだ」

 成田に着くなり、一番体が休めそうな方法でそして客先まで行き、午前11:00:

「何とか目的は達せた」気が付くと

また熱が上がるときの「あのいやな感覚が襲ってきた」それでも「旧友と1時間ほど会い」すぐに

家に向かった。なんと家の遠い事か?午後4:20

成田から海老名へそして家のある太田へ3時間近くかかった。午後6:55 着くなりダウン。熱は38.7℃。薬を飲みベッドの中に。

そして12時間近く爆睡した。午後8:00

 本日予定だった「客先訪問も明日にへ変更」した。何とか「回復し、円安対応のミッションを成し遂げなくては!」

年も取り、大病も患った体では、もうそんなに無理は効かないのかもしれない。

さすがに疲れ切った体で、そんなことをぼーっと考えた。午後4:47

 

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ベトナムハノイの「久しぶりの観光小旅行」

2022-10-18 15:51:37 | ベトナム・ハノイ

 友人が「タイから出張」に来ていた。日本人で日本の会社の社長だが

わけあって「タイの会社の社長にもなった」ベトナムでも自分と「ある会社を立ち上げるべく」ほとんど

毎月「ベトナムに来ている」今回は土曜日一日が「ぽかんと空きになった」

私は翌日から「日本へ出張に出る」ので準備や休息をとりたかったが?せっかくなので

社員にアテンドしてもらい「ニンビンのチャンアン」と言うところに行ってきた。

有名な景勝地だ。私もすでに5回ほど行っているのだが、それでもここのところの

ベトナムの「変わりよう」は観光地にも押し寄せ、前回に来た時よりもずいぶん変わっていた。

良く言えば、いろんなものが整備された、悪く言えば「観光ずれ」していた。

それでも「天候に恵まれ」さわやかな天気の元、楽しむことができた。」

たまには「こんな小旅行もいいものである」

すぐそばに似たような観光施設もある「タムコック」という。どちらかと言うと

そちらのほうが「素朴な感じだ」

静寂のなか、鳥のさえずりだけが聞こえる。気持ちいい。

1艘に4名、通関地点では「売店でビールも購入でき、おつまみと共に快適な時間を過ごした」

「陸のハロン」とも呼ばれる。同じような奇岩が乱立し、3時間近いセーリングだが

飽きることは無かった。

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ベトナムハノイの「緊急出張」

2022-10-10 17:52:29 | ベトナム・ハノイ

1$が145円??? ひどい話だ。

政府や日銀は「これを容認」しているように見える。

確かに「潤っているメーカは日本には多いのかもしれない」

しかし弊社のような「日本企業のために日本で契約し、実務を海外技術者を使って運営する会社」

にとっては「この円安は死活問題」を通り越し「すでに会社は瀕死の状態に陥っている」

 さすがにこの急激な「円安は予想できなかった」・・・「仕事量は大幅に減っていない」なのに

「業務拠点のベトナムに日本から送金すると30-40%の為替差損」が生じるのだ。

($、¥、ベトナムドン の関係が複雑に絡み円だけが一人まけなのだ)

「原価低減、経費削減など」で吸収できる限界を「遙かに超えている」

・・・よくよく考えたが「解決策は3つしか見つからなかった」

①経費削減

②作業単価の値上げ

③仕事を増やす   これしかないのだ!

①+②+③でこの40%の差損をカバーするしかないのだ

①・・・もちろん限界まで絞った、事務所面積を1/3にしたり、搾れるところは全て絞ったつもりである。

②・・・交渉中(弊社は10年大幅な値上げはしていなかったことも有り、80%の会社が承諾してくれた)

③・・・毎日毎日「できる限りの営業」をあらゆる手で行った。

今回③のために「急遽日本出張することになった」目的企業はそんなに大きなユーザではないが、そんなことは

言っていられない。「まずは確実なユーザを増やし少しでも売り上げを増やさなければならない」

日本行きの経費も惜しいが「これこそ必要経費」だ、LCCにちかい格安の航空会社(バンブーエアー)

で「最低経費で出張にいく」。 「コロナ禍」「円安」「自動車のEV化に依る仕事の減少」

それによる「自動車産業界の淘汰再編」と言う「3重苦、4重苦」に弊社は直面している。

生き残るには「あらゆる手を尽くして1$≒150円」でも運営できる「体質の会社を作る以外ないのだ」

はたしてうまくいくかどうかはわからない??? 頑張るしかないのである。

このように「円安の影響をもろに受けている企業」がベトナムハノイでもがいていることを

日本政府も思い出してほしい。・・・・

 

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ベトナムハノイの「踏んだり蹴ったり」

2022-10-10 09:28:38 | ベトナム・ハノイ

 もうこの年になれば「体にガタは来る」最近特に

「ポンコツ」になったと感じる。この1か月「体調的にろくなことは無かった」

・おそらく風邪?をこじらせ「熱を出し」

・気管支炎を併発し「咳が出続けた」

・ようやく落ち着いてきたと思ったら「お尻の近くのできものが爆発」

(まあ、持病と言えばいいだろう。時々爆発する)

・このことで「体に無理をして、今度は腰を痛めた」

・ようやく「動けるようになって」現在に至る。

つくづく思うのは「人間、健康第一」だということだ。

 そもそも「体調が万全でないと、思考までネガティブ」になってしまう。

そして「行う事や考えることに集中できないのである」

 薬を飲んだり、医者に行っては見たが、結局思うのは

「自分の自然治癒能力に頼るしかない」ということだ。だから

「薬を飲んでじっと待つことも必要だが」場合によっては

自分の「自然治癒能力を高める行動に出なければならないことも有る」

この腰痛がそうだった。以前も同じ腰痛になり「片側の足、そして手間でしびれてきたことがあった」

エレベータで「立っているのもつらかった」、「医者にも行き、いろいろ試した」

しかし結局これをなおしたのは「水泳」であった。今回も同じだった、医者にも行ったが

結局「回復を促したのは水泳」だった。 異国の地で11年、これだけ居ても、やはり状況は

日本とは違う、健康においては「最後は頼れるのは自分」なのである。

 長く海外に居て、やはり一番つらいのは「病気の時である」慣れてはいるが

「つらさは変わらない」 これからも「年を重ねるにつけ、当然だが健康状況は悪くなっていくだろう」

特に「自分は大きな爆弾を抱えている」・・・いつ再発するかわからない。

毎日このことで「考え悩み、鬱になる人が多いと聞く」もちろんよくわかる。

自分も同じだからだ。それでもこうして「異国の地で頑張り続けられるのは」何が理由なのだろう?

 日本で居場所がなくなったとき、受け入れてくれた国がベトナムだった。そんなことも関係しているのだろうか。

そして、人生の「最終コーナー」でも、「いつどうなってもそれを受け入れられる【覚悟】」を

このベトナムで毎日「育ててるのかもしれない」、人間はいつかみんな平等に「死んでゆく」その平等な

義務を自分らしく「全うできるようなこれからを送りたいと思う」

もちろん「そんなかっこいい事」でない事はわかっている。

ようやく「一時的な健康上のトンネルの出口が見えた時」

ベトナムハノイで「そんなことを考えた」

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