★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「緊急出張」

2022-10-10 17:52:29 | ベトナム・ハノイ

1$が145円??? ひどい話だ。

政府や日銀は「これを容認」しているように見える。

確かに「潤っているメーカは日本には多いのかもしれない」

しかし弊社のような「日本企業のために日本で契約し、実務を海外技術者を使って運営する会社」

にとっては「この円安は死活問題」を通り越し「すでに会社は瀕死の状態に陥っている」

 さすがにこの急激な「円安は予想できなかった」・・・「仕事量は大幅に減っていない」なのに

「業務拠点のベトナムに日本から送金すると30-40%の為替差損」が生じるのだ。

($、¥、ベトナムドン の関係が複雑に絡み円だけが一人まけなのだ)

「原価低減、経費削減など」で吸収できる限界を「遙かに超えている」

・・・よくよく考えたが「解決策は3つしか見つからなかった」

①経費削減

②作業単価の値上げ

③仕事を増やす   これしかないのだ!

①+②+③でこの40%の差損をカバーするしかないのだ

①・・・もちろん限界まで絞った、事務所面積を1/3にしたり、搾れるところは全て絞ったつもりである。

②・・・交渉中(弊社は10年大幅な値上げはしていなかったことも有り、80%の会社が承諾してくれた)

③・・・毎日毎日「できる限りの営業」をあらゆる手で行った。

今回③のために「急遽日本出張することになった」目的企業はそんなに大きなユーザではないが、そんなことは

言っていられない。「まずは確実なユーザを増やし少しでも売り上げを増やさなければならない」

日本行きの経費も惜しいが「これこそ必要経費」だ、LCCにちかい格安の航空会社(バンブーエアー)

で「最低経費で出張にいく」。 「コロナ禍」「円安」「自動車のEV化に依る仕事の減少」

それによる「自動車産業界の淘汰再編」と言う「3重苦、4重苦」に弊社は直面している。

生き残るには「あらゆる手を尽くして1$≒150円」でも運営できる「体質の会社を作る以外ないのだ」

はたしてうまくいくかどうかはわからない??? 頑張るしかないのである。

このように「円安の影響をもろに受けている企業」がベトナムハノイでもがいていることを

日本政府も思い出してほしい。・・・・

 

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ベトナムハノイの「踏んだり蹴ったり」

2022-10-10 09:28:38 | ベトナム・ハノイ

 もうこの年になれば「体にガタは来る」最近特に

「ポンコツ」になったと感じる。この1か月「体調的にろくなことは無かった」

・おそらく風邪?をこじらせ「熱を出し」

・気管支炎を併発し「咳が出続けた」

・ようやく落ち着いてきたと思ったら「お尻の近くのできものが爆発」

(まあ、持病と言えばいいだろう。時々爆発する)

・このことで「体に無理をして、今度は腰を痛めた」

・ようやく「動けるようになって」現在に至る。

つくづく思うのは「人間、健康第一」だということだ。

 そもそも「体調が万全でないと、思考までネガティブ」になってしまう。

そして「行う事や考えることに集中できないのである」

 薬を飲んだり、医者に行っては見たが、結局思うのは

「自分の自然治癒能力に頼るしかない」ということだ。だから

「薬を飲んでじっと待つことも必要だが」場合によっては

自分の「自然治癒能力を高める行動に出なければならないことも有る」

この腰痛がそうだった。以前も同じ腰痛になり「片側の足、そして手間でしびれてきたことがあった」

エレベータで「立っているのもつらかった」、「医者にも行き、いろいろ試した」

しかし結局これをなおしたのは「水泳」であった。今回も同じだった、医者にも行ったが

結局「回復を促したのは水泳」だった。 異国の地で11年、これだけ居ても、やはり状況は

日本とは違う、健康においては「最後は頼れるのは自分」なのである。

 長く海外に居て、やはり一番つらいのは「病気の時である」慣れてはいるが

「つらさは変わらない」 これからも「年を重ねるにつけ、当然だが健康状況は悪くなっていくだろう」

特に「自分は大きな爆弾を抱えている」・・・いつ再発するかわからない。

毎日このことで「考え悩み、鬱になる人が多いと聞く」もちろんよくわかる。

自分も同じだからだ。それでもこうして「異国の地で頑張り続けられるのは」何が理由なのだろう?

 日本で居場所がなくなったとき、受け入れてくれた国がベトナムだった。そんなことも関係しているのだろうか。

そして、人生の「最終コーナー」でも、「いつどうなってもそれを受け入れられる【覚悟】」を

このベトナムで毎日「育ててるのかもしれない」、人間はいつかみんな平等に「死んでゆく」その平等な

義務を自分らしく「全うできるようなこれからを送りたいと思う」

もちろん「そんなかっこいい事」でない事はわかっている。

ようやく「一時的な健康上のトンネルの出口が見えた時」

ベトナムハノイで「そんなことを考えた」

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