もうこの年になれば「体にガタは来る」最近特に
「ポンコツ」になったと感じる。この1か月「体調的にろくなことは無かった」
・おそらく風邪?をこじらせ「熱を出し」
・気管支炎を併発し「咳が出続けた」
・ようやく落ち着いてきたと思ったら「お尻の近くのできものが爆発」
(まあ、持病と言えばいいだろう。時々爆発する)
・このことで「体に無理をして、今度は腰を痛めた」
・ようやく「動けるようになって」現在に至る。
つくづく思うのは「人間、健康第一」だということだ。
そもそも「体調が万全でないと、思考までネガティブ」になってしまう。
そして「行う事や考えることに集中できないのである」
薬を飲んだり、医者に行っては見たが、結局思うのは
「自分の自然治癒能力に頼るしかない」ということだ。だから
「薬を飲んでじっと待つことも必要だが」場合によっては
自分の「自然治癒能力を高める行動に出なければならないことも有る」
この腰痛がそうだった。以前も同じ腰痛になり「片側の足、そして手間でしびれてきたことがあった」
エレベータで「立っているのもつらかった」、「医者にも行き、いろいろ試した」
しかし結局これをなおしたのは「水泳」であった。今回も同じだった、医者にも行ったが
結局「回復を促したのは水泳」だった。 異国の地で11年、これだけ居ても、やはり状況は
日本とは違う、健康においては「最後は頼れるのは自分」なのである。
長く海外に居て、やはり一番つらいのは「病気の時である」慣れてはいるが
「つらさは変わらない」 これからも「年を重ねるにつけ、当然だが健康状況は悪くなっていくだろう」
特に「自分は大きな爆弾を抱えている」・・・いつ再発するかわからない。
毎日このことで「考え悩み、鬱になる人が多いと聞く」もちろんよくわかる。
自分も同じだからだ。それでもこうして「異国の地で頑張り続けられるのは」何が理由なのだろう?
日本で居場所がなくなったとき、受け入れてくれた国がベトナムだった。そんなことも関係しているのだろうか。
そして、人生の「最終コーナー」でも、「いつどうなってもそれを受け入れられる【覚悟】」を
このベトナムで毎日「育ててるのかもしれない」、人間はいつかみんな平等に「死んでゆく」その平等な
義務を自分らしく「全うできるようなこれからを送りたいと思う」
もちろん「そんなかっこいい事」でない事はわかっている。
ようやく「一時的な健康上のトンネルの出口が見えた時」
ベトナムハノイで「そんなことを考えた」
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