★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「ベトナムで11回目の誕生日」

2023-08-30 09:57:02 | ベトナム・ハノイ

 昨日「誕生日だった」ベトナムに来て正確には11回目の誕生日である」

11年間「誕生日」に日本に居たことは無い。 経済的理由や仕事の関係で

11年で日本に帰ったことは平均すれば1年に1-3回だろうか?(日本会社のコンサルをやってた時は

1か月に1度は仕方なく帰っていたが、コロナになり状況は一変した)

そんな状況だから「自分お誕生日に日本に居ないことなど普通になってしまった」

 もともと「誕生日に特別な事をするような性格ではなかった」ベトナムに来ても

社員から「言われて初めて気づくことも有ったくらいなのだ」 昨日は起きてニュースを見た時に

「あー今日は誕生日か?」と思った。ありがたいことに「在宅勤務の中、10名弱の社員が昼食時に

パーティーを開いてくれた」 ありがたい事である。もうこの年になると「誕生日がめでたい」とは思わないが

それでも社員がこうして「祝ってくれるのは、うれしいものである」

「ケーキは相棒ミッをデザインしたものだった」(思いのほか似ていた)

しばし、「ケータリングしたベトナム食をみんなで食べ、ケーキを食べてひと時を過ごした」

ご丁寧なことに午後の3時休みにも「ハイランズコーヒー」からの「飲み物」を頂き、至れり尽くせり

の良い誕生日だった。性格的に「ことさら自分のイベントを積極的に企画するする方でない」が

こうして故郷を遠く離れたベトナムの地で、育てた社員が「このように祝ってくれるのはありがたく、うれしいものである」

感謝したい。「相棒ミッ」も「パーティー参加し、大好きな骨付きチキンをたくさん食べ、ご満悦だった」

こんな優しい社員たちに「円安故、苦労欠けていることを申し訳なく思う」自分ではどうしようもないが?

何とか「時期の流れの中で、良いことも有ってほしい」本当にそう思った。

そんな誕生日だった。

私の相棒ミッを形にした「誕生日ケーキだった」とてもうれしい心遣いだった。

思いのほか「雰囲気が似ていて驚いた」

その当事者の「ミッ」 無防備な姿で「白目をむき」爆睡の図である。

こんな感じで「昼食をケータリングし、みんなで食した」良い誕生日だった。

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