★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「動きの速いベトナム」

2024-09-12 13:09:06 | ベトナム・ハノイ

 台風11号(YAGI)によるベトナム北部の被害は甚大である。

連日「ベトナムのニュースは特集を組んでその状況を伝えている」それを見ていて

ベトナム故の「いろんなこと」を感じた。

・被害報告があってから、人員の派遣、救援物資の支援、募金 等のアクションが非常に早く感じた。

・昨日も自宅アパート回りをミッと散歩していると「裏手に大きなトラックが止まり、支援物資運搬である幕を車のフロントに

付けているところだった。(中には水や食料などがいっぱいであった)これから夜を徹して運搬するらしい!

・政府の役人、警察や、国会議員などが「最低1日の賃金分以上の金額」と制限までつけられて「募金を行っている」(その様子

がテレビで放映されていた)日本ではありえない「募金の強要」だが、それが許される「ベトナムである」

・ベトナムでは普段「兵役に就かされるのは、学校も行かず定職を持たない若者だが?」この時ばかりはそういう人材が

いち早く「招集され」被害地域に派遣される。

・土砂崩れ現場での様子が写されていたが「救援隊の足元は、なんとそろいのサンダルであった」、被害地域で作業している人は

ほとんどが「はだし」である。異物を踏むことも有ろうに?と(気候や習慣が影響しているのだろう)

・やはり災害慣れしていない地域であり、国の貧しさもあるだろう? 浸水地域でボートが足りず「竹を切り出し、いかだを作って

乗り出し」救助を行っていた。

・ハノイでは「これほどの風と雨、浸水」があったが、少なくとも自分の住み、働く地域では「一度も停電にならなかった」

倒木でおそらく電線への影響もあったと思うが? いち早く「電力部署が対応したということだった」 素晴らしい。

・被害の無かった「南部から、大挙して学生などの若者が北部に支援に向かっている」、日本などのように「細かい支援規定などはないため

着の身着のまま、助け合って現地で救援する」細かい事は差し置いて、まずは行動することは素晴らしいと思う。

(何が有っても自己責任は各自が理解しており、そのことで文句は言わない)

・最大利益を出したVIETJETなどは「救援に向かう人員の運搬」や「1チケットあたりに少額であるが募金額をいち早く決めて」

その額を寄付するそうである。すぐに決定するところが素晴らしい。

 今回、身近で「災害を経験」し、ベトナムと言う国、そしてベトナム人の助け合い意識を身近で見て

*災害慣れしていない国、地域での「助け合いは、日本から見ると危なっかしい現実はあるが?」

いち早く、自己犠牲精神を持つだけでなく、「素早く行動する意欲を持つ」人民に感心した。

 日本はようやく「首相と外務大臣がお見舞いの声明」を出したが、言葉ではなく「いち早い行動をとってほしい」

3・11の時に受けた恩をこういう時に「いち早く行動し返さなければ、先進国などとは言えないと思う」

日本のマスコミも「くだらない芸能ニュースなどではなく、近隣諸国で起きている、援助を必要としている事」に関して

もっと扱ってもいいのではないかと思う? 島国根性が悪い方向に当たらいている。アジアの先進国として

もっと「弱い人の支援にお金や支援」を使うべきである。

 外から「日本を見て、総裁候補選や知事のパワハラなどよりももっと大事なことに時間やお金を使うべきマスコミが

1つもないことにがっかりし、怒りも感じる」 散歩の道すがら「身近な支援を見て」そんなことまで考えた。

散歩の道すがら、支援物資を満載し「急ぎ被災場所に夜を徹して向かうトラックに遭遇した」

ベトナムと言う国は「自国の経済的な貧しさや、困難を乗り切って支援にまい進する強さを持っている」

長く「他国の支配」のもとに有ったが、やっと現在は貧しくとも自由である素晴らしさを知っている国民であり

長く困難を忍び、現在の国を作ったプライドのようなものを感じる。」

 お年寄りが被災地で「戦争に比べたらこんなことは乗り越えられるさ!」と言っていた言葉が印象に残っている。

頑張れベトナム

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ベトナムハノイの「嵐の前の静けさ?」(きれいな夕焼けと新都市交通)

2024-09-12 12:57:00 | ベトナム・ハノイ

 台風11号が接近しているころ、ハノイはいつもの夕方だった。しかしなんとなく「何か起きそうな予感があった」

西に面している「ベッドルーム」に行くと、そこからは「やっと開通した新都市交通が、夕日に向かって走っていくところだった」

しばし「美しいこの光景に見とれていた」(しっかりとブログ用の写真も撮って)

 ここのところ「空気のきれいになったハノイ」でこんなきれいな夕日を見るのは久しぶりだった。

 しかし今にして思えば「まさに嵐の前の静けさ」この翌日から「協力台風11号」にみまわれ

「甚大な被害を出したのである」 本日の時点では「死者数は300人に迫っている」

被害の全容さえ「分かっていない」(それほど大きな被害なのである)

夕日に向かって走る「新都市交通」絵になる風景である。

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ベトナムハノイの「雨の日の出会い」

2024-09-12 12:27:51 | ベトナム・ハノイ

 以前も「ハノイのカタツムリ」に関して「大きい」というブログを記したが、

ここ数日台風11号の影響で「台風が去った後も雨が続いている」カタツムリにとっては「良い環境なのだろう」

昨日も「朝からずっと雨で、相棒ミッ」も散歩できずに「ストレスがたまっていた」そんなわけで

仕事から帰宅し、夕食前に「雨の止んだ街に散歩に出かけた」いつも「巨大カタツムリに出会う場所」に差し掛かり

注意して見ると「今日は雨のせいもあり3匹」のカタツムリが「壁を這っていた」見ればそのうちの1匹は

今までで見た中では「一番大きそうだった」

「相棒ミッ」とは「これらカタツムリにはでんでん君」と名前を付けて、危険な場所に居る時には茂みの中に移して

保護している。 そんなわけででんでん君とはこうして「雨の日の出会いを、ミッと共に楽しみにしている。」

 30年以上も前になろうか?「そのころ勤務していた会社の命で、パリ1泊3日と言うのを2回やっている」その時に

現地でイギリスから来た先輩とシャルルドゴール空港で落ち合い、折角なので「シャンゼリゼ通り」の通りに面したカフェで

パリ最初の食事が「エスカルゴ」だったのを思い出した。初めての「エスカルゴ」、これが「でんでんむし」であることは知っていたが

初めて食した。味はと言うと「バターとニンニク風味が強く素材の味はわからなかった」ことを思い出した。

日本の「でんでんむし」では小さすぎて「食する」と言うイメージはわかないが?「ハノイで出会ったこのような大きなでんでんむし」

これだったら「食べる素材」として考えられても不思議はない! と思った。

 雨上がりの夕方、「相棒ミツ」と散歩し「巨大でんでんむし」と遭遇して「そんなことを考えた」

 自分の短い指でも「7~8センチ」ハノイの「でんでんむし」の大きさが

理解できると思う。しかし体が大きすぎて「この小さな殻に入れるのだろうか?」

そんなことも思った?

 ふと大きな「でんでんむし」を見て「子供の頃に見た【ウルトラQのナメゴン】を思い出した」

 

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