★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイ「今年最後の会社朝食、やっぱりバインミー」

2023-01-19 15:27:49 | ベトナム・ハノイ

 弊社は一応本日で「仕事終わり」である。現実はすでに明日の出社は決まっている。

明後日は「大晦日」さてどうなることやら。11年付き合い「事情がが分かるユーザ」様は

「だんだんベトナムテトには仕事を控える傾向が出てきた」

何とか社員をテトには休ませてあげたいのだが?(そんなわけにもいかない)

実は「5歳友人宅で知り合った、5歳友人の母上の妹さんの彼氏(ややこしくてすまん)

から「一緒に故郷に行きませんか?」とお誘いを受けた。彼の故郷はハノイから180km離れた

(ハノイから南西方向に下っていく)タインホアと言う場所だ。自分もまだ行ったことが無い。

しかも「彼はバイクで帰る」そうだ、私としては理想の交通機関なのだが?

 それでも「彼はベトナム語しか話せない」 ご家族も同じ。そんなベトナムの田舎に

突然「変な日本人」がしかも「テトにお邪魔するのはさすがに気が引ける」

と言いつつも「通常は行ってしまうのだが?」 昨年円安でダメージを受けた弊社は

今、「立て直し中」なのだ、そんな中、社員は「テト返上で頑張っている」やはりハノイに残ることにした。

 さて今年最後の「会社稼働日」の朝、ここのところしばらく行ってなかった近所の「ギアタン」と言う場所の

行きつけの「バインミー屋」に行ったが、すでに今年の営業は終了していた。ここギアタンは「市場があり」

通りもにぎやかだ。正月用品の屋台でごったがいしていた。

仕方なく「もう一軒のバインミー屋」で「いつものバインミータムザク」を買って

いつもの通り「早朝の誰もいないオフィスの自分の机で、インスタントコーヒー」を飲みながら

「あー今年も終わりか?」などと考えつつ、「そんなことを考えた」

今年最後の「オフィスでの朝食」

ケバブを挟んでこんがり焼いた「バインミータムザク」【円形の大きなパンから切り出した

三角のパンに「ケバブと多くの野菜(青いパパイヤ、パクチー、ニンジンなど)を挟み

マヨネーズ、チリで味付けしたバインミーである。】を頂いた。今年何度目のバインミーだろう?

 

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ベトナムハノイの「テトのベトナム文化」

2023-01-19 15:07:47 | ベトナム・ハノイ

 11年ベトナムで暮らし、おおよその文化風習はわかった。

同じ「仏教文化」アジアの国である。やはり日本と近い気がする。

先日ブログにもしたが「干支文化」年々に十二支がある。しかし「来年、日本はウサギ年」

しかしベトナムでは「猫年」なのだ、「いのしし年」は「豚年」だ。

そして「お正月のお年玉文化」も同じ「ポチ袋にいてれ渡すのも同じ」

お正月、家族そろって「であるお神酒」をささげ「家族で祈るのも同じ」である。

そして「年末にお世話になった人や家庭にお土産を(お歳暮)」を渡すのも同じ。

ちょっと違うのは「正月最初に合った人の性別や重要度」でその家庭の運が決まったりする。

これはベトナム独特。

 しかし今は日本と同じ「核家族化」が進み「ベトナム文化もすたれ始めている」

それでもまだ、「テトは大事」「家族と過ごすのがテト」などの文化は大事にされている。

そう、まだ日本が発展途上だった「3丁目の夕日」の頃と同じように。

少し寒いそして「テトまで人が少なくなり続ける道路」の隅の「本日でもう今年は終了と言われた、チャーダー」

で「チャーノン」(温かいお茶)を飲みながらそんなことを考えた。

(一緒にお茶を飲んでいる社員は午後故郷に帰る。これからそのお土産を買いに行くそうだ)

良いお年を。・・・

これが、「猫年」の「ポチ袋」だ。未だ「このような派手なポチ袋が主流」である。

(さて、5歳友人には【お年玉】いくら渡そうか?)

 

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ベトナムハノイの「毎度の夕食お呼ばれ」

2023-01-19 09:38:17 | ベトナム・ハノイ

 ハノイはもうすっかり「テト準備」に入っている。

街のあちこちに正月用品の出店が出ている。そして道路にはバイクに大きな荷物を積んで

故郷に帰省する人々が多くみられる。

 今日出勤時「昨日比べ極端に交通量が減っていた」(大体本日から、学校や会社も休みの会社が多い」

弊社も今日まで通常勤務である。

ところで昨年末に開店した「5歳友人のおじさまのブンカーの店」であるが開店が日本の年末そして

今、ベトナムの年末に差し掛かり「徐々に客足が多くなっている」 夜目立つ看板を取り付けたり注文整理をIT化したり

ビラを作ったり、色々と営業努力を続けている。オーナーである5歳友人のおじさまは

ハノイ近郊のフート省からご夫婦で店に泊まり込み「頑張っている」

バイクも故郷においてきているため「時々自分のバイクも貸してあげている」昨日は

5歳友人の住むアパートにおいてある母上の妹さんのバイクを「店まで持って行くデリバリー」を

依頼され、社長業を終了後「バイクデリバリー」を行った。

店につき、忙しそうだったので「いつものように手伝った」

しかし自分で切るのは

・食べた後の片付け

・ブンカーにはつきものの「野菜」の準備

・そしてテーブルの拭き掃除  程度だが。

昨日はお客さんに「外国人」(欧米系)が居り、帰る際

「あなたはこの店で最初の海外顧客です」とつたない英語で話しかけ

アメリカから来ていること、仕事でもう7年間ハノイに住んでいることなどをしばし会話した。

「また来てね」「また来ます」と送り出した。

 客足が落ち着いた頃、オーナーが「食事にしよう」ということで、本日も「夕食をごちそうになることになった」

メニューを見ると「今日は鉄板焼きである」大勢で食べる夕食楽しい。それでも

ネイティブベトナム人の中に入ると「会話についていけるのは30%だろうか」

自分のベトナム語能力の無さにがっかりする。

それでも美味しい食事を堪能し、5歳友人の車で帰宅した。同じアパートに住んでいるのは

便利である。 5歳友人を通し、この家族(一族)と知り合いに慣れたことは

自分のハノイ生活をがらりと変えた。現在はこうして週の半分以上を「この家族と食事を共にしている」

私もできるだけ「できる事は手伝うようにしている」 確かに「会社の社長しての業務」もあるが

この家族とのかかわりあいは「自分の長いベトナム生活の中で貴重な体験だと思っている」

帰宅後「シャワーを浴びて、頼まれた洗濯をしながら、そんなことを考えた」

エビ、ホルモン、豚肉、牛肉、野菜色々 ベトナムに来てこんな経験は初めてかも?

みんなで食べる夕食は楽しくおいしい。

 

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