今回の日本出張時、重要な目的のために「母の新盆のために生まれ故郷に帰った」昼には「イベントは全て終わり」
兄夫婦とも寺で別れた。時は昼時だったが、
(兄は泊まったホテルの朝食でブッフェであることをいいことに食べ過ぎておなかが減っていないようだった)
高速にインターに向かっている時、ふと「以前から気になっていたことが頭に浮かんだ」
自分が小学校3,4年ごろ家族は「ほんの時々みんなで外食に行った」
*「木材会館」
*「うどん屋」(名前は忘れた)
*釜めしや(つるや)
そして「たまには出前も頼んだ」
*キリン食堂
*千鳥
*いじまや
そして今でも「味として印象が残っているのは」
*木材会館のチキンライス(父は必ず瓶ビールを頼む、その時小皿についてくる柿の種をもらったものだ)
*釜めし屋の「ホタテの釜めし」(あの頃はハイカラな少し高級なお店のような気がしていた)
*キリン食堂の「ポークソティ」「かつライス」
*そして「千鳥のカレー」 だった。
現在これらの食堂の所在が分かっているのは「千鳥」だけだった。
ちょうど「高速インターに向かう道沿いにある」 なんと「暖簾が出ている」
ウインカーを右に出し「店の裏手の駐車場に車を止めた」
暖簾をくぐると「4人ばかりのお客さんが居た」 思ったよりも小ぎれいだった。
メニュウをを見ると「あの思い出のカレーがあった」せっかくなので「カツカレーを注文した」
価格は750円(このご時世、ずいぶん安い気がした)
しばらくすると「あの頃と同じように、チャーハンについてくるような中華スープ」と共に
カツカレーが運ばれてきた。 最初は「カレーと御飯を口に入れた」
「・・・・あの頃と同じ味だ(辛くなく、白っぽいカレーで小麦粉から作ったような少し粉っぽいカレー」
まぎれもなく小学校の時「家族で食べたあのカレーの味だった」(感無量で泣きそうになった)
無我夢中で「カツカレーを平らげた」・・・・美味しかった。・・・懐かしかった・・・
(味覚とは長年経っても印象深い味を忘れてはいない・・・)
感激に浸りながら「席を立ち、支払い時」・・「実は自分この町の出身で55年ぶり、そう千鳥が坊新田町にあったときに
良く家族で食べたんです。味は変わってなかったです。ありがとう・・・」そこまで言うと「なんか感極まった」
「店の人も懐かしそうに、そうですか、ありがとうございました・・・と」
店を出て「あの年齢だとあと何年ここは残るのだろうか?」と考えざるを得なかった。
それでも「55年ぶりの千鳥のカレーを母と父の法要の帰りに味わえたこと」そのことに満足した。
ベトナムに住みながらやっぱり「日本人としての味覚の基本」はあの小さなときに培われ、そして今も「変わっていない事」に
驚いた。 今度は「キリン食堂のポークソティ」が食べたくなった・・・・しかしあの店はもうない。
さみしい限りである。
もっと経年劣化が進んでいるかと思ったが? こぎれいな大衆食堂だった
これがその55年ぶりの「思い出のカレー」である。
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