数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

原発震災列島(4)伊豆小笠原地震+南海トラフ地震、慶長大地震に類似?浜岡原発は砂上の楼閣?

2015-05-20 20:27:16 | 原発震災列島
「南海トラフ地震」のことは警告されることが多いですが、「伊豆小笠原地震」の発生も間近との研究もあるようです。どちらも津波被害が尋常ではないようです。

「「国の地震研究者は南海トラフ地震のことばかり指摘するが、実はこちらのほうが危ない」

 琉球大学の木村政昭名誉教授(地震学)がそう指摘するのは、伊豆半島の東側から東に伸びて日本海溝とつながり、そのまま南に向かって走る「伊豆・小笠原海溝」だ。

「伊豆・小笠原海溝は東日本大震災を起こした日本海溝とつながっています。三陸沖の海溝に長い年月をかけて蓄積された歪みは東日本大震災で解消されましたが、伊豆・小笠原海溝の周辺には依然ストレスがたまった状態。実際、この海域では1960年以前に頻繁にM7クラスの地震が記録されていますが、1960年以降はピタリと止まっており、不気味な状況です」(木村名誉教授)
 現在、伊豆・小笠原海溝を震源とした地震への注目度は決して高くないが、木村名誉教授は“発生間近”と予測する。
「誰も伊豆・小笠原海溝については言及しないが、東日本大震災が発生するまで、三陸沖での巨大地震の可能性も多くは語られていなかった。私は2015年までに、最大M8.5の伊豆・小笠原地震が発生すると予測しています」
 つまり、あと1年あまり。今この瞬間に来てもおかしくないというのだ。では、ここで巨大地震が発生したらどうなるのか。
「この海溝でM8.5の地震が発生したら、伊豆・小笠原諸島は震度7の揺れに襲われるでしょう。首都圏や本州沿岸部でも最大で震度6程度が想定できます。より深刻なのは津波です。この海域にあるフィリピン海プレートは柔らかく、地震時の跳ね上がりは東日本大震災の比ではない。
 最悪の場合、房総沖から西日本沿岸にかけて、東日本大震災を凌駕する30m級の大津波に襲われる可能性もあります」(木村名誉教授)
(引用終わり)」

 伊豆小笠原地震は2012年+-5年、マグニチュード8.5と予想されています。

 木村教授は地震空白域での小地震が頻発している場所を「地震の目」として、震源域を予想しているようです。
 これは、ストレスが解消した地域(巨大地震が発生した地域)以外のストレスが蓄積してる地域(地震空白域)の中から、断層破壊活動の前兆である小地震(これは岩石を割るときの「クサビ打ち」に似ていると思います)集積地点を探し求めて、巨大地震の震源域を予想するものだと思われます(私の考え)。
「木村教授は地震の空白域と小規模な地震の発生回数に着目し、空白域で小地震が頻発している「地震の目」と呼ばれる場所を発見しました。この「地震の目」が観測されると、その付近ではかなり高い確率で大地震が発生するため、木村教授はこれを利用して地震予測の手法を確立させたとのことです。
番組中で木村教授は「伊豆諸島や鳥島沖(小笠原諸島)付近で地震の目が観測されている」と発表し、その裏付けとして昨年に発生した西之島の大規模な火山噴火などをあげています。
 地震と噴火には密接な関係があり、かつて関東大震災が発生する前にも伊豆諸島では大規模な噴火が発生していました。木村教授はこれらの情報をまとめた結果、2017年までに伊豆諸島でマグニチュード9クラスの巨大地震が発生するという予測を導き出したと述べています。
(引用終わり)」

 なお1605年に起こった慶長地震は従来南海トラフが震源域だったと言われていましたが、伊豆小笠原海溝が震源域ではないかとの研究もあるようです。
「2013年10月の地震学会で、石橋克彦・原田智也らは、慶長地震が
南海トラフのプレート境界型地震ではなく伊豆・小笠原海溝の一部(鳥島付近100km四方前後)の
M8.2-8.4の地震を仮定すると津波の再現ができるとした。

※石橋克彦, 原田智也(2013):
1605(慶長九)年伊豆-小笠原海溝巨大地震と1614(慶長十九)年南海トラフ地震という作業仮説,
日本地震学会2013年秋季大会講演予稿集,D21-03

東京大の原田智也特任助教らは伊豆・小笠原海溝で津波が起きると、各地でどれくらいの高さになるか試算した。
図2014117-1で示した12カ所の震源域を組み合わせて試した結果、
四角の斜線領域、鳥島の東側の100キロ四方の領域のM8・4程度の地震、海溝の東側の細長い領域のM8・2程度の地震の場合、
記録に残る慶長地震の津波の高さと最も一致した。(引用終わり)」

 また慶長年間は大地震が続発した時期のようです。慶長大地震
「慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年-1615年)に日本列島で起こった地震。慶長の大地震(けいちょうのおおじしん)ともいう。ただし、正確には慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年であり、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されている。
 1596年の3つの地震は記録の日付が錯綜しており、豊後地震を9月1日とするものもある。1605年慶長地震は定説であった南海トラフが震源ではないという異論も出され、従来三陸沖が震源とされた1611年の地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出される等、震源域に諸説あって不明なものが多い。

慶長伊予地震 - 1596年9月1日、伊予国をおそった地震。M 7.0、寺社倒壊等。中央構造線沿いと推定される地震。

慶長豊後地震(大分地震) - 1596年9月4日、豊後国をおそった地震。M 7.0~7.8、死者710人。中央構造線と連続している可能性がある別府湾-日出生断層帯で発生した(上記地震との)連動型地震とされる。

慶長伏見地震 - 1596年9月5日、近畿地方をおそった地震。M 7.0~7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされる。上記二つの地震に誘発されて発生した可能性がある。

慶長地震 - 1605年2月3日、南海トラフ巨大地震の一つとされてきたが、伊豆小笠原海溝付近震源説や遠地津波説など異論もある。M 7.9~8.0。紀伊半島沖と房総沖が連動したとする説もあり、M 8.4~8.5ともされる。津波地震と考えられており、地震動による被害は少なかったが、現在の千葉県から九州に至る広範囲の太平洋岸に津波が襲来し、死者1~2万人を数えた。

会津地震(慶長会津地震) - 1611年9月27日、会津地方をおそった直下型地震。M 6.9。寺社損壊、死者3,700人。

慶長三陸地震(慶長三陸地震津波)- 1611年12月2日に三陸沖を震源として発生した地震でM8.1。従来の定説に疑義があるとされ、千島・色丹沖の震源と連動した大地震・津波だったとする説もある。この大津波による北海道・三陸の死者・被害甚大。

慶長十九年十月二十五日の地震 - 1614年11月26日に起こった地震。従来高田領大地震とされたが、会津から松山に至る日本各地に被害記録があり、震源は不明。
(引用終わり)」

 上記の地震と現在を比較しますと、慶長伏見地震→阪神淡路大震災、慶長三陸沖地震→東日本大震災と仮定しますと、発生の時期は前後しますが、これから慶長地震→伊豆小笠原地震、慶長19年地震(南海トラフとそれに連動する直下型地震?)→南海トラフ地震が起こるかもしれません。あまりにも短絡的ですが、木村教授の予測でも伊豆小笠原地震の2年後あたりに日向灘地震(南海トラフ)が想定されています。もしかすると南海トラフに連動して中央構造線も動くかもしれません。また伊豆小笠原地震に連動して房総沖(東日本大震災の割れ残り)や相模トラフ(大正関東地震の割れ残り)などが連動することはないのでしょうか?

 伊豆小笠原地震及び南海トラフ地震による「津波被害」で最も危惧されるのは、浜岡原発です。放射能まみれになったら復興も何もあり得ませんので…。

「浜岡原発は、想定される東海地震の震源域の直上にあります。」
「浜岡の地下には、南東側から北西側に、フィリピン海プレートが年間およそ4cmの速度で沈み込んでいます。そのため浜岡の岩盤は少しずつ引きずりこまれていきます。(図11)
 図のように浜岡は、20km内陸の掛川とくらべると、毎年5mmづつ傾き下がっています。それとともに岩盤中には年々ひずみがたまっていきます。そして、限界に達したときに一瞬に岩盤が破壊されてずれ動きます。
 このとき、いままでの沈降分のほとんどは数10秒間に隆起します。その隆起量は1mていどになると予想されています。」
「1.原発の重要な建物は、建築基準法の3倍の強度で作ってあるという
  が・・・
 通常の耐震基準は、建物が壊れても人命に被害が及ばないことを目標にしています。
しかし原子力発電所では、放射能が漏れ出すことは許されません。」
「2.「活断層の上に建てない。周辺の活断層を調査している」としている
  が・・・
 浜岡原発から3~7kmのところには、活断層が姿をあらわしています。(図13)浜岡原発は、御前崎が隆起していく折れ目にあります。
原発のすぐ近くに、地表からは見えない活断層がないという保証はありません。 2001年鳥取県西部地震は、マグニチュード7.3の浅い地震ですが、活断層が知られていなかった場所で発生しました。」
「4.「堅い岩盤の上に直接建設」としているが・・・
 「固い岩盤」と聞くと、普通の人は「固い石」を思い浮かべるでしょう。ところが、原発の地盤は相良~掛川層群比木層という400万年前の砂と泥の地層です。工学的には「軟岩」に分類されます。
 東海地震説の提唱者である石橋克彦神戸大学教授は「浜岡での地震動の時刻歴や持続時間は、兵庫県南部地震の震度7の地点よりも複雑で、長時間で、はるかに激しいはずである。」と述べています。(『科学』1997・10月号)
 固い岩盤から軟岩へ入るところで地震波は増幅されます。軟岩から柔らかい沖積層へ入るところで再び地震波は増幅されます。地下の構造によって地震波は増幅・反射・屈折・干渉を起こします。地下の深いところの構造はほとんど分かっていない。神戸では、六甲から大阪湾の底へ続く固い岩盤の形から、場所によって地震波が大きく増幅されたと考えられています。また、神戸では強い揺れは10秒間ぐらいでしたが、東海地震の浜岡では2分とほど続く考えられます。(引用終わり)」

「東海地震の震源域に位置する中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の前面の海域には、浅い海底が外洋に突き出すように広がり、津波のエネルギーが集中しやすい地形であることが、東京大地震研究所の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)准教授(地震学)の分析で分かった。
 浜岡原発の前面には、深さ200メートルより浅く、約20キロ沖まで舌状に広がる「御前崎海脚」と呼ばれる海底があり、その先は深さ500メートルまで急激に落ち込んでいる。また、御前崎海脚の両側も急に深くなっている。
 津波の速度は水深が深いほど速く、浅いほど遅い。都司准教授によると、海から陸に向かう津波は、海脚の中央に近いほど速度が遅くなる一方、中央から離れるほど速度が速く、津波の進む向きが中央方向に曲げられる。そのため、光が凸レンズを通過して焦点に集まるように、海脚の根元に当たる同原発周辺に津波のエネルギーが集中するという。(引用終わり)」

「1波1波の間隔である波長が非常に長く、波高が巨大になりやすいことが特徴である。地震による津波では波長600km、波高5m超のものが生じた事がある(津波が陸上に達するとこの値は大きく変わる)。
 津波という現象は、例えるならば大量の海水の塊の運動であり、気象など他の要因で生じる波とは性質が大きく異なる。大きな津波は陸地に浸入し、種々の災害を発生させる。」
「断層が活動して地震が発生した時に、海底にまで断層のずれが達して海底面が上下に変化すると、海水までもが上下に移動させられてその地形変化がそのまま海面に現われ、水位の変動がうねりとなって周囲に拡大していき、津波となる。大地震においては、数十kmから時に1,000kmを超える長さ、数十kmから数百kmの幅の範囲で、数十cmから数十mという規模で、数十秒から数分の間に、海底が一気に隆起する。この体積変化のエネルギーは巨大で波長が非常に長いため、ほとんど失われることなく海水面の隆起や沈降に変換されて津波を生じる。」
「津波は、沖合から海岸に近づき海底が浅くなるにつれて波高が高くなり、海岸線では沖合の数倍に達する。湾口で2mのものが湾奥で5m超になった事例もある。また海底が浅くなるにつれて波長は短くなるが、海岸線でも数百m - 数km程度ある。
 上陸した津波は、依然として大きな水圧を伴った高速の波として、数分から数十分の間押し寄せ続けたら(押し波)、今度は海水を沖へ引きずり続け(引き波)、しばらくしたら再び押し寄せて(押し波)、という具合に押し引きを繰り返し、やがて減衰していく。大きな津波は、陸上にある建物、物品、そして人間を押し流し、景色を一変させ、甚大な被害をもたらすことがある。また大きな津波は海岸に続く河川を遡るほか、海上でも被害をもたらすことがある。」

 津波は「大量の海水の塊(波長数十Km~)」のエネルギー体です。地形による増幅により波高は激変します。


 どうも防波堤も当てにできるものではないようです。


「…使用済み燃料集合体6,575体(2011年末)の「死の灰」は広島型原爆約60,000発分です。巨大地震と巨大津波の襲来で全電源が失われ、炉心及び燃料プールの冷却に失敗したならば、福島第一原発で現実となったように、炉心溶融→水素爆発や(水蒸気爆発) →放射性物質の大量放出→広域放射能汚染 (大気・河川・湖沼・海洋・土壌・動植物・人体など) を避けることはできません。(引用終わり)」

 使用済み核燃料も冷却できなくなるとアウトになります。またこのような原発の立地地盤・津波被害を考慮しますと、容器自体が損傷して漏出するということも考えられるのではないでしょうか。

 浜岡原発は文字通り「砂上の楼閣、砂上の原発」のようです。

 また南海トラフ地震に連動した中央構造線が動けば、伊方原発もタダでは済まないと思います。

〔H27-06-13追記 なお平成27年5月30日に小笠原諸島西方沖で地震が発生しましたが、木村教授の解説では、上記想定した地域とは異なるため、引き続き注意が必要とのことでした。
 なお5月30日の震源の深さは682kmもあり、他のブログではプレートのスラブ破壊による沈降(その反動によるホットプルームの上昇)ではないかとの意見もあるようです。いずれにしても、環太平洋地域のリングオブファイアーは活動期にあり、それにともない日本列島でも地震・火山噴火が多発する可能性が高いです。
 『検証!首都直下地震~巨大地震は避けられない? 最新想定と活断層』技術評論社によると、太平洋の海嶺から湧き上がるマグマは間欠的に(ある周期で)一度に大量に出るようです。それにともないプレートの動きも間欠的に強く(移動速度が速く)なる時期があり、プレートが純粋な剛体でなく「剛体と弾性体の中間のようなもの」だと仮定すると、ある時期(活動期)に地震と火山噴火が集中して起こるようです。現在がその集中期のようです。〕

〔H27-07-18追記 
「伊豆諸島の八丈島近海で14日頃から群発地震を観測しています。この2日間だけで10回以上の有感地震を捉えた上に、震度1以下の無感地震に至っては20回以上も観測しました。
このような群発地震を伊豆諸島沖で観測したのは東日本大震災以降では初で、何らかの大地震の前兆である可能性が高いと考えられます。
 東日本大震災前に群発地震を観測していたことは有名ですが、他にもチリ沖地震など世界中の大地震で本震発生の数日から数週間前に群発地震を捉えていました。今回もそのような前震に似ていることから、当面は伊豆諸島沖周辺の強い地震に注意が必要だと言えるでしょう。(引用終わり)」
 これは「地震の目」でしょうか?クサビを打って固着岩盤(アスペリティ)にヒビを入れ、やがて一気に断層破壊するのではないでしょか?
いずれにしても「緊急事態」だと思われます。伊豆小笠原地震に対する緊急防災体制を至急取るべきだと思います。」

参考:
『検証!首都直下型地震 巨大地震は避けられない?最新想定と活断層』木村政昭監修 技術評論社より引用します。
「…どこで地震が起こるかを精度よく予測していくいちばん最初の「鍵」となるのは、「空白域」の確定です。
…けれども空白域だからといって、どこもかしこでも地震が起きるわけではありません。木村氏によれば、空白域のなかでも…「地震の目」ができているところを探し出すことで、より大きな地震を発生させる空白域を絞り込むことふができる、と主張しています。

 空白域は「第1種空白域」(木村氏は「A型」と呼称)と、「第2種空白域」(同「B型」と呼称)の二つに分類されます。第1種空白域とは、過去に大きな地震のあった地域と地域との間にあって、これまで地震が密集して起こっていないエリアがポッカリとできている(空白の)場所です。

 その空白域の周辺では、地震の震源がドーナツ状に現われる「ドーナツ現象」が起きていることがはっきりすることがあります。…周囲には小さな地震が続発しているにもかかわらず、ドーナツの輪のなかだけは、人体にその揺れが感じられないくらい(無感地震も含めて)微小な地震すらも起きないほど、地震が少なくなっているエリアがあります。この状態の空白域を第1種空白域とします。

…こういった傾向がさらに強くなっていくと、ドーナツの輪の中で小地震が頻繁に起こるような場所が発生するようになってきます。氏はこれを「地震の目」、あるいは「サイスミック・アイ」と呼んで警戒を強めます。地図かを上から見ると、ドーナツの輪の中に「黒目」があるような状態にまで達します。この状態を第2種空白域とします。そしていよいよ直前近くなると、このサイスミック・アイはますます発達して移動し始め、その延長線上で「本震」が発生するのです。

 図…は、東日本一帯を対象に、東日本大地震前の1960年1月1日~2011年2月28日までに起きた、M6.0以上の通常の地震活動をプロットしたものです。地震の活動域を囲んでみると、M7.5未満の「地震の目」が見えてきます。通常のM6.5以上の大地震の「目」では、N6.5未満の地震活動が行われています。しかし、この「目」内ではM7クラスの地震活動が行われいます。
 一方、「地震の輪」は、北は北海道の襟裳岬から三陸沖を南下して房総半島沖に至り、さらにその南西方面から伊豆大島・三原山に向かって西に延び、駿河湾から本州を貫くフォッサマグナを北上し、新潟県中越地方を通って日本海を北上し、下北半島を突っ切って襟裳岬に戻る巨大な輪となっています。
 この「地震の目」の巨大さと目の中の地震規模の大きなことから、本震は「スーパー巨大地震」になることが予想されました。
 …このような「地震の目」は、1995年の兵庫県南部地震でも発生しており、実際、本震が起こる30年くらい前よりそのような地震発生の傾向が生じていました。同じような現象は、規模は異なりますが、奥尻島を壊滅させた津波を伴った1993年の北海道南西沖地震でも、1994年の三陸はるか沖地震のときにも見られた、いわば共通した現象です。(引用終わり)」


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プラトン原理主義?数理論理... | トップ | 中国の対外膨張(侵略)、か... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

原発震災列島」カテゴリの最新記事