数理論理教(科学教)の研究

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原発と安全保障(3)米国原子力規制委員会 規制の虜 

2013-11-22 21:19:26 | 原発と安全保障
米国の原子力規制の中心は、『米国原子力規制委員会』です。

 
「1.原子力規制委員会の構成
 1974年、米国議会は原子力の利用について国民の生活の安全、環境の保全、および国の防衛と保安の観点から、原子力規制委員会(NRC:Nuclear Regulatory Commission)を独立機関として設立した。
 図1は組織の概要を示す。原子力委員は定員5名であり、委員と委員長は大統領に任命される。委員会は、政策、規制、許認可、法的な裁定に係る。
 総局長は、委員会の政策と決定を実施し、計画の進行を管理する。三人の副局長は、それぞれ1)原子炉と緊急時対策、2)放射性物質、廃棄物、研究開発及び法令順守、及び3)マネージメントを担当する。マネージメントの中でコンピュータ保安室が高位に在るのは、今日の情報社会を反映している。
 図2は、本部と支所の配置を示す。本部はメリーランド州ロックビルにある。予算は約917百万ドル(2007年)、多くが許認可の業務費で,職員3,535人(2007年)。」


 職員3,500人をようする独立機関で、政策・規制・許認可・法的な裁定にも係っています。

 しかし、米国の原子力規制当局も「ザル」だったようです。

 〔ただし日本の場合は網目の荒いザルで水がジャージャー漏れるの比べ、米国では網目が細かくチョロチョロ漏れるようです。〕


「NRC を規制の虜(regulatory capture)の一例として批判的に見る向きもあり 、憂慮する科学者同盟(英語版) (Union of Concerned Scientists) からは十分な役割を果たしていないと糾弾されている 」

「規制の虜(きせいのとりこ、英:Regulatory Capture)とは、規制機関が被規制側の勢力に実質的に支配されてしまうような状況であり、この状況下では、被規制産業が規制当局をコントロールできてしまう余地がありうる。政府の失敗の1つである。その場合には、負の外部性が発生しており、そのような規制当局は、「虜にされた規制当局(captured agencies)」と呼ばれる。」

「1987年の「NRCと産業界の甘い関係」("NRC Coziness with Industry")と題された米国議会報告は、NRCは「原子力産業界の『利害に左右されない規制の姿勢』(arms length regulatory posture) の維持をおこたり…、いくつかの批判的であるべき分野で、完全なる規制者としての役割を放棄している」と結論付けている[12]。 以下に3つの例を引用する:

 1986年の米国議会報告はNRCのスタッフが運用免許の取得を求めていた電力事業者に対して、重要な技術的援助を与えていたことを明らかにしている。1980年代の後半にはNRCは、運用免許所持者の状態に関して強制する立場を取らないという「非強制政策」を提唱して、1989年9月から1994年にかけて、「NRCは原子炉の規制強化を340回以上に渡って放棄または選択しなかった」。最後に批判者は、NRCは規制者としての重要な権能を、スリーマイル島原子力発電所事故を契機に事業者自身が創設した原子力発電運転協会(英語版) (Institute for Nuclear Power Operations : INPO)に明け渡してしまったと糾弾している[12]。

 Byrne と Hoffman によれば、1980年代からNRCは概して原子力産業の利益に好意的であり、産業界の懸念に対して不適切に敏感であった。NRCはしばしば、強い規制を遂行することに失敗している。同時にNRCは規制プロセスへの公衆のアクセスを拒否または阻害し、公衆の参加に対する新たな障壁を設けている[13]。

 Frank N. von Hippel によれば、1979年のスリーマイル島事故 (ペンシルベニア州)にもかかわらず、NRCは米国内の104の商業用原子炉が安全に運用されるよう保証する上では、しばしば過度に及び腰であった:

 原子力は「規制の虜」の教科書的な実例である。この状態においては、産業界はそれを規制するはずの規制機関をコントロール下に置いてしまう。規制の虜は公衆による旺盛な吟味と議会による監督においてのみ打破することが可能であるが、スリーマイル島事故から32年を経過して、原子力規制に対する関心は極めて急激に低下している[14]。

 規制の失敗にはいろいろな形態があり得るが、これには規制者と産業界の共通認識による規制条項の死文化が含まれる:

 ミルストーン原子力発電所(英語版)(コネチカット州)のある職員(George Galatis)は管理者に対して、定期検査を早く終わらせる目的で使用済み核燃料を使用済み燃料プールに速く入れすぎる点と、プール内の使用済み核燃料の数が定格をオーバーしている点を常々警告してきた。管理者は彼を無視したので、彼は直接NRCを訪れた。NRCは最終的にはこの2つの違反行為について知っていたこと、同様の行為が他の多数のプラントでも行なわれていたこと、しかしその事実を無視することを選択したことを認めた。この内部通報者(whistleblower)は解雇されブラックリストに載せられた[15](この事件はタイム誌が1996年3月に取り上げたことで明るみに出ることとなり、NRCは強い批判にさらされることとなった)。」

 
 どうも米国でも、規制当局と電力会社は癒着関係にあったようです。

 しかし、「規制の虜」と批判して議論しているところが日本よりマシかもしれません。日本では「規制の虜」は常識になっているのでないでしょうか?それを真面目に批判する公的な組織はないと思います。

 〔国会事故調がこの「規制の虜」のことを取り上げていましたが、日本の「癒着構造」はあまりにも根深く、国家・自治体ぐるみのような感じがしてなりません。参考:高橋洋一さんの現代ビジネスの記事『天下りによ「規制の虜」にはまったのは東電と原発だけではない』〕
  

 保安院が自然災害(大地震)と原発シビアアクシデントの同時発生について対策「案」を作成したところ、他の関係省庁から事前に話がない、お前ら(みたいな弱小組織)にそんな権限はないと、袋叩き遭ってしまったようです。また地元の自治体からも、地方に責任を押し付け過ぎる、「寝た子を起こす」ことになり住民への今までの説得が無になると、散々な目に遭ったようです。最後には反省文のようなものまで公表せざるを得なくなったとのことです。(『レベル7 東京新聞原発事故取材班著』より)

 これでは、元々ガス抜き組織の「保安院」も、本当に単なるお飾りになってしまっても仕方がないと思います。


 話は変わりますが、米国の州議会は強力なようです。

「バーモント州では、福島第一原子力発電所事故を引き起こした東北地方太平洋沖地震の前日、NRCはバーモントヤンキー原子力発電所(英語版)の運転免許の20年間の期間延長を許可したが、バーモント州の議会は圧倒的多数でこの延長を拒否する議決をした[16]。このプラントでは地下埋設の配管を通して放射性物質が漏れ出ていることが確認されていたが、運用者のEntergy社は宣誓下でそれを否定していた。バーモント州議会天然資源およびエネルギー委員会の Tony Klein 委員長は、2009年の公聴会でNRCにその配管について質問したが、NRCはそれが存在することすら知らなかった[16]。」

 州議会のエネルギー委員会というのは、知識も胆力もある人たちが集まっているのですかね。

 日本の地方自治体は、原子力災害の防護に対して無力・非力過ぎるのではないでしょうか?福島県前知事の佐藤栄佐久さんや新潟県知事の泉田さんなど頑張っている方もいらっしゃいますが…、県議会のエネルギー委員会ってあるんですかね、真面目に研究・勉強しているのでしょうか?




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