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数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

腐敗撲滅へ不退転の習近平、改革か革命か、中国の数理論理革命の行方

2015-03-15 20:00:35 | 中国関連
様々なマイナス情報により、中国は崩壊寸前ではないかとも思っていましたが、どうやら起死回生の大改革を始めているようです。新たな利権闘争とも見られることもあるかもしれませんが、どうも習近平主席ら中国エリート集団は「本気」のようです。改革なければ革命必定、改革すれば自由が解き放たれて崩壊必定、どう転んでも駄目なら、強力に統制しながら、腐敗撲滅戦争に勝利し、合理的で公平な政治経済システムを作り上げ、最終的に一気に改革を完遂しようということかもしれません。
 あの中国の巨大な腐敗・利権システムを一掃するなどということは、利権まみれの日本人ではちょっと考えられませんが、中国人はやるとなったらやる、4000年培ってきた「政治哲学」というイデオロギーで一指乱れぬ集団行動も可能なのかもしれません。
 そして、もしこの改革が完遂したら、これを梃子に、中国の数理論理革命は物凄いスピード加速し、もはや誰も止めることはできないでしょう。もしかすると、米国も敵わなくなるかもしれません。(日本は腐敗まみれ・不合理の極め、原発震災やインフレなどにより地に落ちるかもしれません。)
 矛盾だらけ(環境問題、格差拡大、腐敗蔓延)の中国ですが、どうにか経済は高度成長(たった20年間で達)し、斑模様ですが豊かになりつつあります。どうやら2段ロケットのブースターのスイッチが入ったのかもしれません。

習近平Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3
「父・習仲勲が批判された文化大革命において反動学生とされ、1969年から7年間、陝西省延安市延川県に下放された。1974年に中国共産党に入党、下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年に国家重点大学の清華大学化学工程部に入学。1979年に卒業した後、国務院弁公庁で副総理の耿飈の秘書を務めた。」

 文化大革命で7年間下放されています。習近平主席の不屈の闘志は尋常ではないようです。

「…文化大革命の時に社会の底辺で青春時代を過ごし、毛沢東路線の限界を分かっているはずの習近平は、最高指導者に就任してから、なぜ毛沢東時代の再来をほうふつするような政策を続々と打ち出してきたのか。また、腐敗撲滅キャンペーンを大方の予想を超えて深く広く推し進め、腐敗問題の解決に強い決意を示している一方、なぜ言論統制を大きく強化し、公務員の所得公開を求める人まで取り締まってしまったのか…」
「アレクシス・トクヴィルが1856年に著した『旧体制と大革命』という本から、その答えにつながるようなヒントを見つけてみよう。
 もともと歴史学者や政治学者のような専門家しか関心を持っていなかった『旧体制と大革命』が、習近平体制発足の2012年前後に突如、中国の政・財界やインテリ層で大きく脚光を浴びるようになった。
 習近平の両腕役の李克強首相と王岐山・中央規律検査委員会書記が、ともに周辺に強く薦めたのがその契機であり、習近平自身もこの本を熟読したと言われる。本で描かれた革命前夜のフランスの状況が、ほぼそのまま中国の現状に置き換えることができるために、習近平体制の下での中国の針路をめぐって「革命か改革か」という二者択一的な議論が一時期大きく盛り上がった。
 最高指導者に就任した12年末から13年初にかけて、習近平が「憲法に基づいて国を治めよう」と訴えたり、「権力を制度の籠に取り込めよう」と主張したりしていたために、政治改革に向けての機運が高まった。しかしその後、憲政批判キャンペーンや異見者弾圧、言論統制の強化など、政治運営が改革でない方向に切られた。
 そのため、習近平指導部は「悪い政府にとって最も危険なのは、国を良くしようと改革した時だ」という、トクヴィルがフランス革命の勃発要因として取り上げた論断をそのまま受け入れ、改革をせずに現体制を最後まで維持しようと決意したのではないか、との見方が広がった。」

「…現時点では、この本と政治運営をするに当たっての習近平指導部のアプローチの間に、どのような因果関係があったかは確かではない。しかし、中国社会の実態に照らして改めて読み直すと、習近平がこの本から執政のヒントを得ようとするなら、少なくとも当面の間、民主化に向けての改革に踏み切ることをちゅうちょすることになろう。2000年以上に及んだ専制統治によって、トクヴィルがリストアップした革命を引き起こしかねない要件(中央集権の下での行政の専制化や腐敗・特権に対する民衆の不満の急上昇など)が、現在の中国には
ほぼ出そろっているからである。
 中国ではかねて、共産党にとって「改革找死、不改革等死」、つまり改革をすれば自ら体制の崩壊を招き、改革をしなければ体制の崩壊を待つことになる、という言葉がはやっている。習近平指導部は少なくとも現時点において「改革找死」という道を歩まないと決意したのは確かであろう。
 もっとも、トクヴィルが本で述べたように、革命と専制体制の悪循環を断つため、いずれ専制体制に対して抜本的な改革を進めるほかなく、また「不改革等死」という言葉に示される通り、改革をしないことによって短期的に革命を避けることができるものの、中長期的視点から中国社会の安定を図るに当たっては、現体制に対する改革はいずれ避けて通れない。
 習近平は果たして、フランス革命から中国社会の中長期的安定を達成するに当たってのヒントを得ることができるのか。毛沢東的政治手法の取り入れを含む強い政治統制によって腐敗の蔓まんえん延に歯止めをかけ、共産党に対する国民の信頼をある程度取り戻した時、政治家としての習近平にとっての本格的な挑戦が訪れてくるのであろう。(引用終わり)」

『「中国共産党2.0」を目指す習近平の闘い』津上俊哉 現代中国研究家より 
「中国で習近平政権が誕生してから、四つの大きな変化が起きた。大胆な「三中全会改革」、習近平への権力集中、厳しい反腐敗闘争、そして、より厳しい言論・思想統制だ。すべての変化は一つの原因に起因している。胡錦濤政権の10年間に起きた統治の劣化が経済、政治、社会に深刻な問題を生みつつあり、中国共産党を脅かしている、ということだ。
 いま中国では、これらの「問題を引き起こした」胡錦濤・前主席、とくに温家宝・前首相を罵倒する声が絶えないが、誰が指導者をやっても大差ない結果だっただろう。この10年間に起きた深刻な退行の根底には、中国の経済・社会の10年単位の大きな蛇行があったからだ。

■ 1990年代後半~2000年代前半:捨て身の改革

 この時期、市場経済体制への移行を進めるさなかに財政窮乏と成長鈍化に直面した中国共産党は、捨て身の改革を実行した。マルクス主義と国粋主義に固執する保守派の抵抗を抑えこんで世界貿易機関(WTO)加盟を果たし、「民進国退」改革(経済民営化)を進めたのである。その叡智(えいち)と勇気は称賛に値したし、その後の飛躍的な経済成長という配当で報いられた。
 しかし、この改革は、中国共産党の伝統的な政治重心から大きく「右」に外れていた。2000年代半ば、飛躍的な成長で体制が危機を脱し、政府と国有経済の懐に富が流れ込むと、元の重心に戻ろうとする左旋回が始まり、耐乏を強いられてきた体制内の既得権益層も膨張を始めた。
 また、ほんとうは、経済が成長し、社会が新しい発展段階に移行したこの時期に、統治体制もアップデートする必要があった。巨大化、高度化、複雑化した経済社会は、分権しなければ統治できないし、分散された権限は、その場その場で監督を受けなければならない。「西側流の三権分立」でないにしても、立法機関や司法機関による各級政府の監督を強化し、ようやく育ってきた公民による社会的監督も強化されるべきだった。しかし、天安門事件(1989年)で政治体制改革を封印した結果、中国共産党が全ての権力を掌握し、「上から下へ」の単線的な監督の仕組みしかない時代遅れな統治体制がアップデートされることはなかった。

■ 2000年代後半~2010年代前半:「大国の復活」

 2000年代前半、改革の退行が始まったことに対して、改革派は警鐘を鳴らしたが、2008年に襲ったリーマンショックがその声をかき消してしまった。「4兆元投資」に始まった投資拡大と野放図な金融緩和は、中国の負債と資産(投資)を急激に膨張させた。この投資バブルにより、いっときの間、成長率は大きく嵩(かさ)上げされ、世界で独り中国経済だけが劇的に回復し、低迷を続ける西側経済と明暗が分かれた。
 その対照が中国と中国人を「西側の没落・大国中国の復活」という陶酔感に陥れ、傲慢(ごうまん)にした。中国の対外姿勢は一挙に攻撃的になった。また、その過程で、信じられない規模の汚職が行われ、その前の10年に産み出された配当を浪費し、私物化してしまった。時代遅れな統治体制は、その滔々(とうとう)たる流れを防ぐことができなかった。引退した二人の元指導者は、この大きなうねりに翻弄(ほんろう)される木の葉のような存在だった。

■ 2010年代後半~:放縦のツケ

 いま、壮大な浪費パーティーは終わり、過去10年間の放縦のツケが中国を襲っている。中国経済の潜在成長率はいまでも5%前後あるだろうが、それは今後も5%前後の成長を続けられることを意味しない。中国経済のバランスシートは、過去5年間に2倍以上に膨れ上がった。しかし、積み上がった資産(投資)は低収益で、負債を償還できそうもないものが多い。その結果、バランスシートに毀損(きそん)が広がっている。
 このような時期には、投資と負債借り入れが自然に低下する――市場経済にはそういう安定装置が組み込まれている。反動により有効需要不足に陥り、成長はいっとき大幅に低下してしまうが、バランスシートが破綻してしまわないためには必要な過程なのである。しかし、中国共産党は「成長低下が統治を揺るがせる」ことを恐れて、バランスシートの毀損に歯止めをかけられずに苦しんでいる。
 中国経済が直面する問題は、投資バブルの後遺症に留まらない。少子化に直面している中国が今後も成長を持続する鍵は生産性の向上だ。しかし、前の10年に進行した「国進民退」(公有セクターの膨張)が要素生産性の向上を阻んでいる。10年後には、いまの日本同様、生産性を向上させても労働投入の減少で相殺されて、実質成長が阻まれる未来が待っているのに、である。
 政治的には、統治体制改革の遅れ(権力に対する有効な監督の欠如)が招いた腐敗、人権侵害、環境破壊、社会不安――山のような問題を改善しなければならない。

■ 存亡をかけた危機感

 2年前、習近平が中国共産党総書記の地位を相続したとき、待ち受ける状況の深刻さをどこまで認識していたかは分からないが、2013年初めには習近平だけでなく体制内の多くの人が「このままでは中国共産党の統治は崩壊してしまう」という深刻な危機感に襲われたと思われる。
 昨年11月の三中全会は、経済のみならず国政全般にわたって大胆な改革案を打ち出した。その内容の多くは、過去10年改革派が必要性を叫び続けてきたが、主流派は一貫して取り合ってこなかったものだ。10年間無視され続けてきた改革案が、なぜ去年急に採用されたのか――答は体制の危機感の高まりに求めるしかない。
 従来、中国共産党は、国家指導者層では「集団指導」を行う方針だった。しかし、習近平の就任後に起きたことは、過去20年以上見かけなかった権力の集中である。「難局を乗り切るには強いリーダーが必要だ」からである。いわば、体制の危機感が習近平を強くて怖い「シングル・トップ」の地位に押し上げたのである。
 反腐敗運動は、範囲も厳しさも期間の長さも、人々の予想を上回って続いている。贅沢(ぜいたく)に明け暮れてきた党の役人にも、頭から冷や水をぶっかけるような綱紀粛正の命令が下された。そうしなければ、共産党は国民に申し開きができない。
 就任当初、人々は習近平に民主化を期待したが、実際に起きたことは、言論弾圧と思想統制の大幅強化だった。習近平は、この先経済も社会も、状況はもっと悪化していくことを見通している。いわば遭難しかけた船の船長よろしく、乗客に勝手な行動を許さない覚悟を固めているのだろう。言葉を換えれば、ひそかに戒厳令を下したようなものである。
 過去2年の間に起きたこれらの大きな変化は、すべて中国が2009年以降の投資バブルを経て、未曽有の難局に直面する新しい10年に入ったこと、そして習近平をトップとする中国共産党の体制が、存亡をかけた危機感をもってこの難局に臨んでいると仮定することで、整合的に説明できる。

■ 体制改革を阻む抵抗

「政府は後ろに退いて、代わりに市場が決定的な作用を果たす経済成長の仕組みを作り上げる」――これは従来の「改革開放」政策をアップデートするものといえるが、三中全会決定の内容は経済だけではなかった。「決定」は、司法や立法が行政権力を監督する仕組みも提唱した。これを本格的に導入すれば、政権交代の仕組みのない中国で、政権交代以上の体制変革になる。それは「中国の特色ある社会主義統治体制」と説明されるのかもしれないが、小平が定めた「四つの基本原則」(注)を大幅に改訂して「中国共産党2.0」を目指すのに等しい。
 しかし、三中全会から既に半年が経つのに、改革の歩みは緩慢だ。党の役人は、反腐敗や綱紀粛正の暴風の前に身を縮めて動こうとせず、あるいは、習近平が小平を超えて「毛沢東級」の指導者になれるかどうか、様子見していると聞く。
 小平も強い指導者だったが、党の長老の抵抗には手を焼いた。これに対して、毛沢東はオール・マイティだった。様子見をする役人たちは、習近平の改革は(解任することができない)長老の抵抗に遭うと見ているのだ。
 その懸念は現実になるかもしれない。しかし、その場合、習近平は強い指導者になったのも束の間、今度は急速にレームダックに追い込まれ、中国はハード・ランディングに追い込まれるだろう――経済だけでなく政治も。
 体制変革を阻む巨大な抵抗を向こうに回して、習近平は、利害も価値観も異なる党内諸勢力による統一戦線を結成して対抗しているのかもしれない。恐ろしく頑迷固陋(ころう)な保守派が言論や思想の統制の仕事に当たっていることはその証しである。彼らは「党とその王朝を救え」という危機感は共有していても、「中共2.0」の理念は共有していないのではないか。

「市場が決定的な作用を果たす」新しい経済成長の仕組みを作りあげるためにも、「中国の特色ある」新しい権力監督システムを導入するためにも、いまは毛沢東ばりの権威を手にしなければならない――何という皮肉だろうか。我々西側の人間は、そういう矛盾を孕(はら)んだやり方に懐疑的になるし、いま行われている言論弾圧にも嫌悪感を覚える。 しかし、「独裁体制という雑草を刈り取れば、民主体制という作物が自然に生えてくる」訳ではない。イラク、アフガニスタンや中東の春がそのことを教えてくれたいま、我々は、これまでどおりの自信を持って、中国人に「西側の流儀を学べ」と説教できるだろうか。

 ひっきょう中国の行方は、中国人しか決められない。だが、習近平のこの闘いの結末は、外の我々にも巨大な影響を及ぼすだろう。

注:「四つの基本原則」:1979年に小平が提唱し、中共が今日まで堅持している政治原則の一つ。「社会主義の道」「プロレタリアート独裁」「中国共産党の指導」「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想」の四つを堅持しなければならない、とする。

AJWフォーラム英語版論文

(2014年8月4日AJWフォーラムより転載)(引用終わり)」


「中国で1949年の建国以来と言われる大がかりな汚職・腐敗撲滅運動が展開されている。習近平氏が2012年11月に中国共産党の総書記に就任して以来、「虎もハエも叩く」の掛け声のもと、これまでに6万人以上の党員が処分された。14年12月5日には胡錦濤政権時代に最高指導部の党政治局常務委員を務めた周永康氏が「重大な規律違反」容疑で逮捕された。
 周氏は公安・司法分野の責任者を務めたほか、有力国有企業の中国石油天然気集団(CNPC)のトップの経歴もあり、長らく石油産業の中心人物でもあった。従来、党政治局常任委員経験者は逮捕されないとの不文律を破ってまでも断行された背景には、いくつかの要因がある。まず中国国内の格差拡大と腐敗のまん延を放置できなくなったことだ。共産党統治の正統性が問われていることに危機感を抱き、司法が及ばないとみられた周氏のような大物をサプライズ的に失脚させることで、汚職一掃に真剣に取り組んでいるという強いメッセージを国民に送ることができると考えたようだ。

◆国民大衆は喝采送る

 中国国内のインターネット空間には、習国家主席による汚職追放キャンペーンを肯定するメッセージが溢れている。14年11月18日、中国の動画投稿サイトにアップされた習氏を礼賛する歌と動画は1週間で再生回数が4000万回を超えた。
 今後、かつての薄煕来(元重慶市総書記)裁判のように、収賄、横領、権力乱用の訴求に対し、反論の機会を与えながら、腐敗撲滅に賭ける強い決意をアピールしていくとみられる。公判報道は国民大衆への格好の教宣材料となるのだ。
「周失脚事件」は中国の党や政府の幹部に衝撃を与えている。中国社会では収賄や利益誘導がまん延しており、次は自分のところに司直の手が及ぶかもしれないと懸念する幹部は多い。党員は高級レストランで食事をしているところを目撃されたり、高価な時計を腕にはめていることをさとられたりすることも恐れている。世界最大6億人のネット民がブログや中国版ツイッター(微博)などで目を光らせているのだ。共産党や政府の役人が国家国民の利益より自己の利益を優先しているとの疑念を抱いている国民は多い。
 

◆「虎退治」、派閥に関係なく叩く

 周氏逮捕の2週間後の12月22日、今度は胡錦濤前国家主席を輩出した共産主義青年団(共青団)出身の令計画・党統一戦線部長が取り調べを受けた。江沢民元国家主席ら保守長老を牽制し権力基盤を強化することも狙っているようだ。事情通によると、江、胡両氏は党の中核だった元幹部や有力者の家族に対する摘発を抑制すべきだと進言したものの習氏はこれを一蹴したといわれている。国家主席や政治局常務委員経験者であっても摘発の例外としないことを示すことによって、政務や人事への介入を慎むよう警告する意味合いもあろう。この腐敗撲滅運動は、党幹部の綱紀粛正、格差拡大の温床になっている国有企業改革、政敵打倒による権力基盤強化の「一石三鳥」を狙ったものといえる。
 14年4月には江沢民氏に近い華潤グループ(電力会社)の宋林・董事長が巨額の汚職の疑いで捕まったが、宋林氏は、電力界の大物、李小鵬氏と緊密な間柄。父親の李鵬・元首相や妹の李小琳とともに、中国の電力界をリードしている。また同年9月には袁純清・山西省党書記が解任されている。ともに共青団の有力メンバーである。電力閥は、江沢民派でも共青団も差別なしに、「虎退治」のターゲットになっているのだ。
 中国共産党幹部の腐敗は、救いようがないほど蔓延し、習氏は、このままでは中国が滅びてしまうとの危機感を抱いているとされる。石油閥の後は電力閥が次の退治のターゲットになっているのは、ともに巨大な独占的利益集団である国有企業だからだ。国有企業を抜本的に改革しなければ、中国の経済発展が行き詰まると考えているという。
 習近平国家主席への圧倒的な権力集中を背景に、規制緩和、権限委譲、国有企業改革、経済改革、司法改革、戸籍改革、地方財政改革を断行する構え。習主席は「2020年までに改革達成」へ背水の陣を敷いており、これらの大胆な改革が実現するかが中国の命運を握るカギとなる。

 中国政治研究者によると、習近平政権の特徴は(1)権力の集中と党内派閥(太子党、共産主義青年団)の解消(2)空前絶後の腐敗撲滅(3)大胆な改革(4)厳しい言論統制(5)改革派だけでなく保守派とも協調―など。広範な階層から支持されており、「中興の祖」となる可能性もあるという。「皇帝が進める市場化改革」と言えるが、民主化、言論の自由なしに進展するかどうか。改革が進展しなければ、急速にレームダック化する可能性もある。

◆習主席、人民解放軍を掌握―江沢民派の影響排除

 人民解放軍は元来江沢民氏の影響下にあったが、習主席は制服組トップだった徐才厚氏(江沢民派)を昨年、「反腐敗」の象徴として党籍はく奪処分にした。ところが江沢民の影響を受けた者すべての粛清は非現実的だ と判断して、不問に付した。象徴的な人物を見せしめ的に叩くことによって他の者たちに忠誠を誓わせ、この結果、習主席は人民解放軍を掌握した。この点、江沢民の影響排除に失敗した胡錦濤前主席と異なる。
 習近平国家主席は、14年12月22日、令計画氏の取り調べを公表した際、「党内では絶対に封建時代の結託を再現してはならない。仲間を呼び寄せて徒党を組み、特定の仲間だけしか入れない入場券を出すような、あの封建時代を再現してはならない。全ての党員が平等に取り扱われ、平等に権利を持っていなければならない」と警告した。既得権益者=独占国有企業グループの腐敗にメスを入れなければ、これまでの歴代王朝時代と同じように、65年続いた中国共産党「王朝」が崩壊する崖っぷちに追い込まれていることを自覚しているのだろう。
 習氏が見据えるのは、党最高指導部の政治局常務委員7人のうち、習氏と李氏以外の5人が入れ替わる17年の次期党大会だ。22年から始まる「ポスト習」時代の最高指導部の陣容もこのとき見えてくる。江沢民、胡錦濤両氏は次期党総書記を選べなかった。習氏が自ら指名できれば、毛沢東、トウ小平両氏以来となり、この2人のカリスマに続く「大物指導者の仲間入りする」との説まで取りざたされている。(八牧浩行) (引用終わり)」

 中国の共産党(人民解放軍含む)の幹部の腐敗振りはあまりにも度が過ぎて、本当にこのまま自壊してしまうと思いました。しかし、習近平の不退転の腐敗撲滅運動により、メスが入りつつあるようです。
 中国では、このまま党幹部の腐敗が続けば、フランス革命のような市民革命により自壊してしまうと考えているようです(そうなれば共産党幹部はさらし首になるのは免れないと思います)。しかし、民主的な改革を進めれば、市民の自由への渇望のタガが外れて、共産党は崩壊してしまうとも考えているようです(共産党幹部への断罪が行われるでしょう)。
 つまり「市民革命」に至っても、「民主改革」によっても、中国共産党は崩壊してしまう(中国という統一した国も分裂してしまう)。
 そのため、習近平やそのグループは、まず「腐敗撲滅」を徹底的(仮借なく)に行い(虎も蝿も叩く)、党や人民解放軍の癌細胞を全摘出する方針のようです。その「腐敗撲滅戦争」の間は、利権派が徹底抗戦の上、現体制を崩壊させるような揺さぶりをかけるため、市民・党・軍に対するタガを締め付け(自由は当分お預け)、包囲殲滅する作戦のようです。
 もし、中国がこの腐敗撲滅戦争を勝ち抜けば、相当合理的で民主的な社会主義体制に変身することができると思います。そしてこれは数理論理革命を達成するための前提条件になり、起爆剤ともなると思います。




参考:『香港大富豪をケイマンに脱出させた習近平改革の威力』DIAMOND onlineより

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現代の虐殺・資源強奪・民族浄化(チベット・東トルキスタンの運命)

2013-10-27 19:54:14 | 中国関連
さて「中国の核実験」関連サイトを見ていましたら、ウイグル・チベット自治区での中国の無法な残虐行為のことが書かれていました。前世紀に行なわれた「原始的な帝国主義」のようなやり方です。

 私も恥ずかしながら、ウイグル・チベットでの暴動などがニュースで取り上げられていたのを見たぐらいで、詳しいことは何も知りませんでした。中国と言えば、高度経済成長を謳歌していて、世界第二の経済大国にもなり、日本や海外から物凄い投資が行なわれています。日本では「尖閣問題」で多少険悪な状況にありますが、依然経済的な関心は旺盛なようです。

 このような表の華やかな経済成長の裏に、チベットや東トルキスタン(ウイグル人等)のような悲惨な状況が隠されているようです。

「人民解放軍は1949年、チベット東部に侵攻した。中国の第18集団軍は1950年の春、東部のダルツェンド(康定)、および北東部のアムドを経由してチベットに侵入した。また、第14師団は、チベット南東部のデチェン(迪慶)経由で侵入した。カムとアムドを占領した後、第18集団軍の先遣隊は、1951年9月9日にラサに侵攻し、10月26日には同部隊の主力がラサを手中に収めた。これらの出来事は、今日まで続く中国軍によるチベット支配の序章に過ぎない。

 今ではチベットに少なくとも30万の中国軍(自衛官の総数25万人を上回る)が駐留しており、さらに中国核ミサイル部隊の4分の1以上が展開している。チベットと核の関わりはそれだけではない。ウラニウム鉱山が多数あり、核開発施設や、核廃棄物の投棄場まである。チベットは「少数民族」がまばらに居住しているところで、北京からも離れているため、「核廃棄物を投棄するには最適な場所」だと中国人は認識しているようだ 」

 チベットでの中国の軍事支配は徹底しているようです。そしてウラン鉱山、核開発施設、核ミサイル部隊、核廃棄物処理場と「核」のすべての施設・軍事部隊までもが揃っているようです。これでは中国は絶対チベットを独立させないでしょう。

「1991年、中国国事委員会は、新華社通信を通じ、チベットに核汚染が広がっているという主張は「全く根拠のない話」だと発表。新華社通信自体も、1995年、ココノール湖近くに「放射性汚染物質用のごみ捨て場」があることは認めているものの、「安全性はここ30年間完全に保たれ、環境へのいかなる悪影響もなく、基地で被曝による死亡者が出たことはない」と報告している。だが、核廃棄物をどのように管理してきたかについての具体的な言及はない。

 中国国営「中國核工業集團公司」の安全局局長は「中国の核廃棄物はコンクリート製の地下施設に貯蔵されているが、その安全性は、およそ十年間ほどしか確保されていない」と述べており、中国国家環境保護局は「1980年から1985年に1,200人が放射能で健康を害し、20人が死亡した。放射能漏れの責任は、放射性廃棄物処理の規則に従わなかった管理者にもある」と述べている。 コンクリート容器で地中に埋設された放射性廃棄物は、風化により外部へと浸出し、地下水を汚染する。この地下水が、飲料、そして灌漑に使用される。地下水は、中国の水源の中で大きな比重を占めている。」

 中国ではチベットは核廃棄物を投棄するには最適な場所だと思っているようです。あまりに酷い話です。

「チベット内のウラニウム鉱山は、ダムシュン、ラサ北部、ツァイダム盆地、ゴルムド北部、ヤムドク湖周辺、南アムドなど複数の地域に存在する。甘粛省甘南チベット族自治州のテオにあるウラニウム鉱床は、チベットで最大のものである。ウラニウムの処理施設は テオの南西4キロに位置する。
 テオのウラニウム鉱山では、有毒な廃液は、高さ40メートルの石造の建築物に集められ、住民が飲料水として利用する河川へ排出されるようである。インドに亡命したチベット難民は、この鉱山の採掘で次のような影響があったことを報告している。

テオに住む50人以上のチベット人が、1987年から1991年までに原因不明の病気により死亡している。 家畜が原因不明の病気により死亡している。
草や木が枯れた。
ジャンパコック川が汚染された。水の色が黒くなり悪臭を放つようになった。

 亡命政府に届いた情報の中に、謎の死を遂げたテオの住民24人の名簿が含まれている。目撃者によると、彼らはみな高熱を出し、そのあとで震えるような寒さを訴えて死んだそうである。また、死体は青く変色していたという。動物の死体もまた青色、あるいは黒色に変色し、臓器は焼けただれたように見えたとのことである(中国は化学兵器の実験も行っており、その影響の可能性もある)。

 1988年、BBC放送局のレポーター、ヴァニヤ・クーレーが書いた『チベット : 氷のカーテンの向こう (Tibet : Behind the Ice Curtain)』には、次のような証言が掲載されている。
「動物たちが奇妙な病気にかかり死んでいくのは、結局、ここで起きていることのせいだ。死んでいくのは動物だけではない。人間もそうだし、奇形児として生まれてくる子供もいる。あちこちで水が汚染され、飲めなくなってしまった。飲んでしまったら、誰も知らないような病気にかかってしまう。病気にかかった人はいろいろな病院に通っているが、症状は良くならないし、医者も病気が何なのか教えてくれない」

 ロンドンにある「TIN」(チベット・インフォメーション・ネットワーク)は、1992年9月11日付けのニュースで、四川省ンガパのウラニウム鉱山近くに住むチベット人のうち少なくとも35人に、高熱や通常見られないような下痢の症状が現れ、その数時間後には全員が死亡したことを報告している。」

 ウラン資源の強奪、そして汚染…、凄まじい汚染…、悪夢…

「1960年代、1970年代に、政治犯を含む服役者たちが、中国の核施設建設に駆り出された。アムド(青海省) にある複数の巨大な強制労働収容所は、必ず核ミサイル用地に隣接している。テルリンカにあるミサイル格納庫の隣には、テルリンカ・ファームと呼ばれる強制労働収容所がある。中国には三つの大規模な強制収容所が存在するが、テルリンカ・ファームはその一つで、収容されている服役者の数は、推定十万人にものぼる。
 中央アムドには、大ツァイダムと小ツァイダムにそれぞれ核ミサイル用地があるが、そこにもかなり大きい強制収容所が存在する。

 政治犯だったハリー・ウーは、次のように証言している。
「アムドにある労働更正施設では、服役者が放射能を帯びた鉱石を採掘させられていた。服役者たちは核実験用地へ強制的に送り込まれ、危険な作業をさせられていた」

 甘粛省蘭州にある核施設でも、一般の服役囚、政治囚が労働力として利用されている。アメリカの「インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット」は、1993年、ロプ・ノール、第9学会、蘭州にある核軍事施設の建設のために、服役囚が働かされていたことを確認している。」

 そして虐殺、もはや強制洗脳ではなく、強制被曝という死刑しかないようです。感情移入してしまうと、精神が持たないような惨劇です。


 「他の国にはない中国の核実験の特徴としては内陸、居住区域付近での地表大規模核実験です。

表2[4]で見てわかるように内陸での地表核実験としては他国と比べると桁違いに巨大な核実験をしている。アメリカ、イギリス、フランスは65kt以下なのに対して中国は最大4000ktと桁違いに巨大である。内陸でのメガトン級地表核実験を行ったのは中国だけである。」

「地表核爆発がなぜ危険なのでしょうか。核爆発時の放出エネルギーは熱線、爆風、初期放射線、残留放射線があります。広島、長崎の原爆では直下

の熱線、爆風、初期放射線が住民に被害を与えました。一般に核実験場では直下の住民への被害はなく残留放射能による被曝が問題となります。

中国を除いて各国の核実験場は安全地帯が設けられており熱線、爆風、初期放射線が直接被害をもたらすことはありません。空中爆発と地表爆発の違いとして空中爆発は熱線などで燃えた少量の灰など放射性物質の量が少なく粒子が小さいため多くは成層圏まで上昇し、希薄化する。そのため爆発規模の割には重大な被害は発生しない。

 これに対して地表爆発は地表の土壌、砂礫など粒子の大きなものを大量に巻上げ風下地域に大量の放射性物質を降下させるため重大な被害をもたらす。」

 これは故意に放射能を撒き散らかしているとしか思えません。

世界で唯一核兵器で被曝したのは「日本人」だけではありません!ウイグルの人たちも被曝しています。日本では広島・長崎原爆投下の日に永遠の平和を祈りますが、世界で起こっている惨劇にまったく無関心・無力では、何のための祈りなのか分かりません。そして福島で繰り返される放射能汚染…、いったい私たちは原爆投下の日に何を祈っているのでしょうか?


 「東トルキスタンは資源の豊富な地である。
 典型的内陸性気候であり、厳しい自然環境であるにも関わらず、農産物が豊富である。高山の雪解け水を利用した耕地は肥沃であり、特に多くの種類の果物とその質の良さで世界的に有名であり、「果物の故郷」と呼ばれる。また広大な草原による畜産品も豊富である。
 家畜や栽培植物の他にも、野生動物や植物などにも恵まれている。野生動物は580種類、野生植物は3000種類以上もある。
 鉱物資源としては、ウラン、プラチナ、金、ダイヤモンド、ルビー、エメラルドなどの貴金属、宝石のほかにも、鉄、鉛、銅、銀、硫黄、錫、雲母などが豊富である。また石炭、石油、天然ガスなどのエネルギー資源も豊富である。この地域での推定埋蔵量が中国全体の推定埋蔵量に占める割合は、石油、天然ガス、石炭がそれぞれ1/4、1/3、1/3にもなっている。」

 ここでも資源強奪が目的のようです。これでは中国は東トルキスタンの独立を絶対認めない。民族浄化でも何でも行い、その資源を確保するでしょう。

 「中国共産党は大量の漢族を移住させることによって、ウイグル族をはじめとする東トルキスタンの民族をマイノリティにおいやろうとしている。そして人口比率の低下だけでなく、東トルキスタンで代々培ってきた文化や言語、宗教の抹殺も同時に行っている。強制的な堕胎や避妊手術、政治犯などの虐殺、労働改造所への強制収容、核実験などとあわせて、まさに民族浄化が進められているのである。」

「経済」の裏側には大なり小なり「公害・(ソフト・ハード含め)虐殺」が付きまといます。
 久しぶりに日本経済新聞を読んでみましたが、今ではまるでマンガ雑誌(又はカルト教の煽動広告)のように感じてしまいます。すべて生産・消費・サービスの「利潤」に関する話ばかりで、当たり前ですが「公害」などのマイナス情報がまったく語られることがありません。もう少しで首都圏が終わる寸前だったに、またその危機が継続しているのに、まったくの仮想現実(お金の算術計算)の話なのではないでしょうか。

 株価や景気がどうとか、福島原発メルトアウトや使用済み核燃料の危機のときに、あまりにも仮想現実世界のことばかりを記事にしています。まあ貧乏人の僻みだけかもしれませんが…

 何億って稼いで、豪勢な生活して、無限のように商品作って、放射能まみれになって生活できなくなったら、いったい何になるのでしょうか?

 

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中国核兵器開発、人民主義より軍事科学革命を達成せよ

2013-10-26 19:44:43 | 中国関連
中国も米国・ソ連の核兵器の威力に驚愕し、その技術導入に全力を挙げてきたようです。

「毛沢東はアメリカによる日本への原子爆弾投下に魅了され、原子爆弾を持ちたいと強く願い続けたといわれる[1]。財政部長薄一波によれば毛沢東は1950年代前半を通じて、すべての会議において中国による原爆所有について言及していた[1]。しかし毛沢東は外交的配慮から、対外的には原爆への渇望を隠蔽し、「原爆など不要、人民に頼るべき」と発言しており、1946年には「張り子の虎」発言を行っている[1]。しかしスターリンは中国への脅威と不信感を持っていたため技術供与には了承しなかった。」

 やはり内心では、「科学技術の脅威」の前には「人民」などまったく無力だと考えていたのかもしれません。

「1950年から開始されていた朝鮮戦争中の1953年2月2日にアメリカ合衆国大統領アイゼンハワー大統領が一般教書演説において、中国への原爆投下の可能性について言及し、中国に対して核使用による脅迫を行ったため[2]、毛沢東はスターリンに対して原子爆弾の技術提供を要求する口実ができた[1]。毛沢東は中国の核物理学者銭三強をモスクワへ派遣するが、ソ連側はこれを拒絶する。しかし銭三強は以降もソ連の核研究施設に入れてもらうよう交渉を三ヶ月も続けた[3]。1950年の中ソ友好同盟相互援助条約には核兵器に関する協定は含まれていなかった。」

 核をめぐっては、ソ連も相当中国を警戒していたようです。

「翌1954年7月に[9]中国は台湾侵攻を開始する(台湾海峡危機)が、これは再びアメリカとの対立を作ることで、ソ連に原爆製造技術を要請するためであった[9]。9月3日には金門島に砲撃を開始する。10月1日にソ連代表ニキータ・フルシチョフが訪中するが、これはスターリン時代には考えられないことだった。フルシチョフは15企業の売却と5億2000万リーブルの借款を約束した。原爆については毛沢東が強く交渉し、ソ連側は中国の原子炉建設援助を不承不承承諾した」

 このWikipediaの記事は右よりの方が書かれたような気がしますが、まるで北朝鮮のお家芸の「危機戦略(瀬戸際外交)」を中国が元々は行なっていたようです。

「1957年6月にはモロトフらスターリン派がフルシチョフ政権の転覆を企てるなどし、ハンガリー動乱はソ連全体を揺さぶっていた。各国の共産党指導者はフルシチョフを支持したが毛沢東は簡単には承諾せず、原爆製造技術供与を交換条件に付け加えた[15]。ソ連側はこれに応じ、10月15日モスクワは中国に原爆製造の模型提供を約束する協定に署名した[16]。「ソ連原爆の父」といわれるイーゴリ・クルチャトフの反対を押し切り、フルシチョフは、エフゲニー・ヴォロビエフを中国に派遣し、さらにR-2短距離地対地ミサイル二基を提供した(R-2は元々はソ連がドイツのV2ロケットを改良した)。このときに中国の核科学者は60人から6000人に増大している[17]。ミコヤンは「ソ連は中国のために核兵器工場を建設した」とのちに証言している。なお中国側が投資した金額は原爆製造だけで41億米ドル(1957年当時の価値)にのぼったとされる」

 とうとう核とロケット技術が中国に移転され、中国はこれに全精力を傾けます。

 「1960年6月5日に北京で開かれた「世界労働組合連盟」会議において、中国は反ソ連の世論を作ろうとした。「フルシチョフの平和共存論は間違いで、資本主義が存在する限り戦争は不可避である」と主張、ソ連側は「中国はわれわれの顔につばを吐きかけた」として、中ソ関係は対立状態を深めた(中ソ対立)[27]。6月21日のブカレストの会議では、ソ連は中国の主戦論を批判し、フルシチョフは帰国後、1000人以上のソ連人顧問を中国から帰国させ、援助停止を行った」

 主戦論は中国で、ソ連は緊張緩和を願ったとのことです。冷戦時代は米ソだけの駆け引きでなく、中国とソ連との関係も相当きわどいものだったようです。

「核兵器の開発は、1960年代初頭に設立した第9学会(北西核兵器研究設計学会)により進められた。第9学会とは、中華人民共和国第九局(核兵器製造機関)北西核兵器研究設計学会が海北チベット族自治州に核開発のために設立した最高機密の研究都市で、211工場とも呼ばれる[30]。第9学会で開発製造された核兵器は中国-インド国境に近いチベット自治区などに配備されている。中国政府は1987年に第9学会は閉鎖されたと主張しているが、現在も厳重な警備のもとに監視されており、センター内部での活動についての情報は開示されていない」

 まるで米国のエリア51のような軍事科学研究施設が占領したチベットに作られたようです。

 「中国は、1970年初頭から1971年にかけて核兵器をチベット高原に輸送し、青海省アムドの北西部先端にあるツァイダム盆地にDF-4ミサイル発射用地を完成させ、核ミサイルを配備した(チベット亡命政府 1998, 2章)。現在もチベット四川省のツァイダム(二カ所)、テルリンカ、青海省と四川省の境界の四カ所にミサイル発射用地が整備されている」

 チベットは中国の核兵器関連施設が集積するところのようです。



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中国原子力政策、背に腹は代えられない

2013-08-20 20:53:46 | 中国関連
福島原発事故以後、欧米先進国では原子力発電に慎重な見方が主流になっていると思う。特に市民層の反発が強い。

 しかし反対に、急速に原子力発電を進めている国々もある。中国、ロシア、インドなど開発途上国が多い。

 中国は2011年現在の14基から、建設中が25基、政府に承認を受けた原子炉は51基、2020年までには90基に達する計画のようだ。

 中国は米国、フランス、ロシアなどから先進技術を導入して異種の原子炉を造っているらしい。それとそれらを国産化したものもあるようだ。設計も部品も技術体系もバラバラのようだ。それに各地域と複数の政府の国策会社や民間会社がそれぞれ独自に計画をしているとのこと。

 中国は地震頻発地帯もある。また原子力関連技術者の養成も追いついていないようだ。また原子力産業の安全性を監視する政府機関は貧弱らしい。何よりも原子力基本法のような法律自体がないようだ。

 そんな国がこれから80基近くも急ごしらえに造ってしまおうということだ。恐らく事故が起こっても公表されないだろう。放射性廃棄物は露天に近い状態で放置されるかもしれない。それに大事故に繋がれば、国際的な汚染被害をもたらす。福島原発事故の放射能汚染も海流に乗り太平洋沿岸に大きな被害をもたらしているようだ。

 中国は急速に工業化している。電気の消費が急増している。そしてエネルギーが足りない。石炭火力などで悲惨な大気汚染に包まれ、その他様々な環境破壊による健康被害を受けながらも、商品生産・巨大利潤獲得・利便性商品の大量消費の拡大循環は止まらない。政府も経済成長を継続する以外に国民を繋ぎとめることができない。

 経済政策という算術計算に、放射能リスクというファクターは還り見られない。経済成長に必要なエネルギーを賄う算術計算をすると、どうしても原子力発電は必須になる。福島で地獄を見ても、背に腹は代えられない。放射能まみれになろうとも、経済成長は止めることはできない。

 数理論理教の軍事・経済応用面だけがアジアで猛威を振るい始めた。先輩格の日本での今後の大惨事を見れば、少しは科学の恐ろしさを思い知ることになるのだろうか。


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