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数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

数理論理研究の牙城、米国国家安全保障局(NSA)

2013-08-03 20:10:11 | 数理論理戦争
『すべてが傍受されている』ジェイムズバムフォード著から言えることは、NSAは世界最大の数理論理研究所だということだ。CIAにしてもNSAにしても巷ではスパイ・諜報の組織として喧伝されているが、基本的には巨大研究所であり、そこに諜報・謀略部門もあるということだ。
 
 NSAは「暗号は力」なりという確信を持って設立された。要は安全保障の核心は「数理論理」の力なのだ。NSAの真の姿はもちろん極秘になっている、職員は3万人ほどいるようだ。数学、論理学、言語学、情報工学(ソフト・ハード)などのスペシャリスト達が日々研究を行っている。研究するのは、あらゆる記号・論理だ。それは電磁波・電気信号、音波、文字、プログラミング言語、メタ数学などである。

 研究・解析と様々な機器なども開発しているらしい。どんなにノーベル賞級の研究でも表には出ない。極秘であることが安全保障上絶対条件だ。

 もちろん盗聴などによりデータ収集も行う。最近元NSA職員が米国の盗聴について暴露して話題になっているが、盗聴というより、世界中のすべての信号・記号などを傍受している。その中で、米国の安全保障に関わるキーワードがあれば瞬時に特定して監視する。恐らくグーグルなどの民間大手情報会社も協力していると思う。

 そして今後の軍事の核心になるロボット兵器を操作するためには、高度な暗号・プログラミングが必須になる。サイバー戦争においてそのつばぜり合いを行っているが、ロボット兵器同士の戦闘には数理論理制御が決定的な重要性を持っている。

 今後の軍事力は、数理論理の優劣で決せられる。民間経済でも究極的なデジタル機器戦争になり、根本的な数理論理技術を持つ米国企業の圧勝になるだろう。日本はアナログ技術で中国や新興国に追い上げられ、デジタル技術では米国にすべて握られ、原子力産業という誰もリスクがあり過ぎて手を出さなくなった分野に追い詰められているのだろうか?

 日本は、冷戦終了後、米国の経済謀略作戦にいとも簡単に屈した。日米安保という軍事占領の中で、諜報・謀略を行うことなど容易いことだろう。しかし米国のこの軍事・経済攻勢の核心には、数理論理(科学)力があることを忘れてはならない。ただ陰謀論などで片付けてしまってはいけない。

 数理論理力を神聖なものとして、そして宗教的核心を持って研究しない限り、この戦争(軍事・経済含め)に勝利することはできない。
 

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原子力は神聖にして侵すべからず

2013-06-27 20:05:10 | 数理論理戦争
 湾岸戦争・イラク戦争での米国兵士の劣化ウラン弾による健康被害(内部被曝による)は甚大なものだつたが、すべて隠蔽されたようです。
 『番組紹介 劣化ウラン戦争の恐怖を告白』

 自国の兵士までも冷酷に見殺しにするところに、この問題の底知れぬ恐ろしさがあります。この例から分かるように、福島原発事故の内部被曝も徹底的に隠蔽される可能性が強いです。

 何よりも人権を尊重するという建前の米国でも、原子力に関してはまったく専制主義のような露骨な圧制をおこなっています。

 原子力は科学(数理論理)教の最高教義(高度な数理論理と技術)によりもたらされました。その超絶した破壊力とエネルギー創出により、「奇跡」を示し、「神聖化」されました。それは安全保障上、最重要な情報であり、完璧な情報適格性の管理により統制しなければならないものです。原子力の情報の前では、一般庶民はただのモルモット並みの存在のようです。

 米国のマンハッタン計画(巨大科学開発)、それは原子力安全委員会、エネルギー省などと名前を変えても、今もって米国安全保障の根幹的部分です。原子力含め高度の科学(数理論理)の情報は、軍事技術に決定的な影響を与え、安全保障の核心となります。

 ある科学者は、福島原発事故などで原発を廃止するなどと叫んでいる輩は、それなら
「サルの時代」にでも戻れと言っていました。

 映画『猿の惑星』は、科学(数理論理)応用兵器により人間社会が滅んだため、科学(数理論理)的思考を一切禁止した社会だったように思えます。最後のシーン、自由の女神が半分埋もれて悲しい顔でこちらを見ていた場面は、ここが地球だったというオチだけでなく、自由の女神⇒フランス革命で解き放たれ数理論理教が破綻したという暗示だったのではないでしょうか?

 数理論理戦争は後戻りできないのかもしれません。もし原子力を止めれば、他の国が原子力(その他の科学応用兵器)で武装して襲いかかってくる。そうなると、下手をすれば国土がすべて放射能まみれになり、まったくの廃墟となってしまう。どんなに原子力が危険でも、事故により放射能まみれになってもやめなれない。最後には少数の科学者集団同士がロボットにより戦争を続けるのかもしれません。

 しかし原子力は危険です。原発はまともなメンテができないようです。

 『原発がどんなものか知ってほしい』平井憲夫さんの遺書 

 原発の機器からは絶えず放射能漏れがあり、本来人間は近寄れません。原発を推進している権力側の、知識ある学者、政治家、官僚・規制当局者、企業幹部・高級技術者などは誰も近づきません。実際にメンテや検査をする人は「下請けの下請けの下請け」のような知識のない者たちにばかりになるようです。

 それでは、まともなメンテができる訳がありません。原発の現場監督者が遺書として、原発のメンテがいかに不可能か、でたらめか、必ず事故につながると警告していまます。

 それでも止められないというのは、もう何かの宿命なのかもしれません。 


  
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