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イチゴカラー公認インストラクター グッチBLOG

毎日、全国を旅して美容室にお邪魔しています。さまざまな人との出会いがあり、技術・サービスなど様々な情報交換をしています。

今年の抱負とNAHAマラソン

2025年01月09日 22時37分53秒 | ニュースレター「WORK-WISE」
 
 
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こんばんは!今日の沖縄は最高気温も17℃、風が強く体感温度が10℃とスマホに表示されていました。北海道や東北の方々に申し訳ないほどの+な気温なのですが、慣れるとやっぱり寒く感じてしまうのです。

 

年が明けてからインディゴの刈り取り→製造工程で充実した日々です。一日があっという間ですね・・・。

さて、毎月、理美容業界向けのニュースレターを20年以上書き続けていますが、今回は2025年新年号をそのままご紹介します。

 

還暦を過ぎてマラソン3回目の挑戦でした。

フルマラソンは人生そのものです。

長文ですがご覧下さい。


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2025年
年頭に際しヘナ伝導師としての今年の決意と抱負を述べさせて頂きます。

今年も引き続き、インド産ヘナから国産ヘナへシフトを応援すると共に嘘が蔓延しているヘナ業界を洗濯する運動を起こします。

 

これは理美容師の正当な権利を守ることにも繋がります。どうぞご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

今や中国を抜き世界一の人口を抱えるインド
急激な人口増加や経済発展に伴いインドは車が急増、化学工場も増えたにも関わらず、インフラ整備が一向に進まず、公害、大気、環境汚染とにかく大変な事態に陥っています。首都デリー市内はマスクなしでは外にも出られません。

農作物の被害(重金属問題)有害物質とその問題解決に何ら打つ手もありません。

”国消国産”とは国民が消費するモノを国内で生産する。ということが定義付けられています。


【NAHAマラソンドキュメント】

2024.12.01日曜日沖縄の冬の風物詩
「太陽と海とジョガーの祭典」
第38回NAHAマラソンが行われました。




参加者数2万1438人が那覇市奥武山陸上競技場を9:00スタート結成30周年の「ガレッジセール」の2人が鐘を鳴らして一斉に走り出しました。予想最高気温23℃とありましたが、昨年と同様26℃まで気温がどんどん上がり、過酷なマラソンになりました。

 

今回は2大会連続で一緒だった友人のNさんに加え、弊社のS君も初参戦ということで私も気合い十分、農繁期が続き、練習もままならない状況でしたが、前回、前々回の反省からその対策を講じて今回に挑みました。フルマラソンは今回で7回目、しかし、還暦記念、昨年の61歳と、どうしても越えられない32km付近の脚のツリ、痙攣と激痛を何とかすべく取り組んだのが水分補給と塩分、鉄分摂取でした。

3ヶ月ほど前になりますがSNSにて知ったサントリーのグルコサミンサンプルを1ヶ月試したところ練習中の膝の痛みが無かったことから始まり、サプリメントで脚のツリ、痙攣を何とか抑えられるのではないか?と考えて色々調べてみました。夏の農作業を終えて数時間が経過すると決まって脚がツッてその激痛に悩まされた時期がありました。

そこでスポーツドリンクをしっかり摂る習慣をつけ何とか乗り切った経験があります。これは喉が渇いている渇いていないに関わらず水分、ミネラル補給は身体が欲していると気付いたのです。今回はたとえ32km付近で脚が痙攣し激痛が走っても42.195kmを絶対に完走するんだ!という堅い決心をして大会に挑みました。

痙攣と激痛が治るまでの時間はおよそ20分くらいであることからその後、小走りと徒歩でゴール出来るペース配分を考えプランを立てました。そのためには前半の21kmを2時間半とし。中間地点折り返しを11:30と目標を定めて第2チェックポイント通過制限時刻が14:10であるため、そこを何とか13:40に通過することができれば、あとは根性と精神力と意気込んでのスタートでした。

まあ、考えても人の歩く速さが時速4kmですから単純計算で10時間半、車で時速42kmのスピードで1時間走る距離を走るのですから‥トップ選手は本当に信じられないほどのスピードで駆け抜けゴールした頃に、まだ私などは半分にも達していませんから(笑)彼ら日頃のトレーニングは想像もできません。

今回は10月に入ってから1日おきに2〜3kmたまに4〜5kmを仕事が終わって21〜23時の間、たまに午前様の日もありました。出張先でも専用のシューズを携帯し走りましたが、それでも中長距離の練習はできていませんし、トータルでも80kmくらいしか練習していない、62才になったばかりの、ちょっと無謀ともいえる状態でした。

遅い時間は涼しくて気持ちがいいと感じることもありますが、ライトを付けて走っていると虫が寄って来るのと畑周辺を走るので道の中央をハブに警戒しながら走る。時には畑仕事、加工の仕事が終わらずに、「今日は練習の日」が正直言って、重荷となっていることもしばしばでした。

10月の上旬に久高島へ参拝行かせて頂き、ヘナと特に今回は新たなインディゴ工場建設と次への飛躍、ステップを踏み出すのと今回のフルマラソン完走を祈願し島での練習もさせて頂いたことが大きな後押しとなり、「イケる!」との自信に繋がりました。

いつも思うことは「フルマラソンは長い人生の縮図である」ということ1kmごとのチェックポイントがあり、10km、20km大きな節目があり、全体をどのようにして攻略するか、午後0時15分までに通過しなければ、強制的にリタイアとなる中間地点、糸満市摩文仁の平和祈念公園。

 

腕を組んで横一列に並び、人間の鎖を作って制限時間を超えたランナーの行く手を阻むのは、知念高校野球部のメンバー。徐々に閉じられていく中間地点をぎりぎりでランナーたちがぎりぎりで通り過ぎるのです。

時間ギリギリで通過して安堵の表情を浮かべながら歩を進めるジョガーがいる一方で、制限時間に間に合わずリタイアとなり呆然とする人の姿も見られ、明暗が分かれる。もう少し、手前で頑張っていたら、八重瀬の坂を歩かなければ‥などと後悔されたに違いありません。

無事に第1制限を通過したランナーたちは、次は34.3キロ地点の第2制限地点、那覇看護専門学校前を午後2時10分までに越えなければいけません。

私は前々回ともに、この看護学校前のチェックポイントを目の前にして脚の故障で断念しています。

そして最終の制限時間は3時15分。その時刻に奥武山運動公園の「鉄のゲート」が閉まるのです。

若さに任せて練習を怠ると完走出来ないのがフルマラソン、還暦すぎると日頃の農作業後でも脚がツル、指がツルは茶飯事ですから。


そんな思いを胸に9:00に走り出しました。ガレッジセールの2人を写メして周りの走るスピードに合わせて国際通りは1.6km、沿道にはビッシリ応援する大勢の人々の声援に励まされて、まだまだ序盤で皆んな意気揚々、余裕の表情で応じています。

右に曲がって通称「さんさんまる」国道330号線、3kmほど先には、いつもお世話になっている化粧品製造会社の社長が待ってくれていました。

次の楽しみポイントはYMCA、ここは毎回、ビレッジピープルのYMCAが流れていてジョガーは音楽に合わせてYMCAのポーズを決めるのです。スピーカーからは「無駄な体力を消耗させてごめんなさい!」と笑いを誘ってくれます。

 

そして、次は10km手前にある南風原町津嘉山にある我がヘナの師匠、仲里農園前で師匠が毎回、応援して下さいます。今回も栄養チャージを頂きました。隣には弊社社員のK子さんの姿もあり、元気をありがとう。

さあ、10km通過後、最初の難関、八重瀬町の坂、続いて糸満の坂を攻略します。「絶対にキツくても歩かない!」「大きく腕を振れば脚も出る走法」で中間地点のひめゆり公園を目指します。

ここまでで給水所通過のたびにしっかりと、この宮城島産の塩「ぬちまーす」、次の給水所ではサプリメントを入れて‥と繰り返して水分、ミネラル補給して暑さ対策、脚のツリ、痙攣を予防に努めました。

しかし、中間地点手前3km辺りで最初の違和感を左足首感じました軽いツリです。昨年と同じパターンを思い出してしまいました。まあ、「do one's best!」ただそれだけ。この軽い痙攣が数分毎にやって来る。

さあ、20kmを過ぎて足首が気にならなくなった頃に中間地点通過、周囲の応援がすごい凄い!目標に9分遅れの11:39、まずまずである。


さあ、ここからまたまた試練の糸満の海へと続く緩やかな坂、ここが道が狭くなるし、歩く人が増えて自分のペースで走るのが困難になる。気温も26℃を超えてきた大きく腕を前後に大きく力を込めて振ると自然に脚が前に出る走法で駆け抜ける。


この辺りで後方スタートだった社員S君に追い抜かれたようですが、お互いに気付かず仕舞いでした。

前方に青空に負けないほどの紺碧の海原が見えて来ると、漸くここまで来た感があり、これを過ぎると糸満ロータリーから名嘉地まで続く10kmの試練が待っている。

前半、道狭くなっている昔ながらの漁港街道から急に道が開けてきてショッピングモールやマクドナルドなどの賑やかな道を走る。


31kmポスト13:10分通過、目の前に翁長のサンエーが見えてきた。この先に鬼門ともいえる32km地点が待ち構えている。

昨年までは25〜30kmで定期的に軽い脚のツリがあったが、今回はそれが無い、左足首の軽いツリのみ、サプリ、補水が効いたのかな、と思いつつも警戒しながら32kmを通過していました。13:18分、

前回、倒れ込んだ場所を探しながら‥「あっ」ここだ。覚えがありました。無事に通過できて一路、第二チェックポイント通過地点である看護学校前を懸命に目指す。この辺りから左足首が本格的にツリ始め、大きな不安が頭を過りました。

軽くストレッチを繰り返しながらの小走り走法に成りつつも、ついに目標の第二チェックポイント(34.3km)を目標より7分遅れ13:47分通過することができました。さあここからの8kmが正念場です。

写メ撮る余裕なんかありません。とにかく脚、足首の状態と相談しながら大股で歩きながらのストレッチ、小走り、特に太腿がツッてしまえば15〜20分のタイムロスになり、その後、小走りさえできなくなる恐れがあるので無理は禁物、とにかく完走を目指す作戦です。同時に頭の中では残り8kmを制限時間で割ると1km/10分、これはあらかじめ目標としていた第二チェックポイント通過13:40の場合で1km/11分と考えていたので、すぐに計算ができました。「よし、何とか行けそうだ。」

しかし、足首のツリは治る気配がありません。今回は過去とは大きく違い、その意気込みは「何が何でも這いつくばっても完走する」でした。40km過ぎ、脚の感覚が薄れていくのを感じる。左足首のツリで痛みが出てきて、ここで太腿がツッったら終わり‥そんなことをついつい考えてしますのです。

歩いていると沿道にワンちゃんが見えました。マメ柴です。そばに寄って「触ってもいいですか?」と声を掛けたら、人懐っこい豆柴ちゃんでとても癒されました。「もう少しです。頑張って下さい。」と声を掛けられ、小走り走法、沿道の応援が心強い、子供達が手を出してくれてハイタッチ、グータッチ、これがパワーを貰えることにフルマラソン7回目にしてようやく気付くことができた。

41km過ぎ、気付けば歩いている人が多く、「もう大丈夫、歩いても間に合う!」と女性の声が聞こえた。それでも私は脚に爆弾を抱えているから、ペースを変える訳にはいかない。

この辺りから小走り100歩、ストレッチ歩き100歩、ずっと、いち、にい、さ〜ん、し〜い、と声を出しながら歩数を数えてゴールを目指していました。精神が肉体を超えた感じがしましたよ。

ゴールまで500mの地点を通過した頃、「何とか行けそう。」が確信に変わりました。やがて大きく左に折れると奥武山陸上競技場に入りました。あと、トラック4分の3周、これまでの練習、いろいろな思いが込み上げてきて自然と涙が流れ頬を伝っていました。そうして、ついに62歳で42.195kmを完走する悲願達成の瞬間を迎えました。

 
社員S君も余裕のゴールイン・・・素晴らしい!


前半では今年の始めからの出来事を振り返り、中間過ぎてしばらくは今、建設中のインディゴファクトリーから来年へ向けてのことを考えて走っていました。そうすると、気が付けば2〜3km走っているのです。それも足首のツリが始まるまでのこと。

今回は「這いつくばってもゴールを目指す。」という信念を持って挑んだこと、大きな目標達成で今後の人生にとって大きな糧を得ることができました。

人は誰でも歳を重ねると身体のあちこちに不具合が出る。

老いは止められない。でも、心と精神は違う。

信念を持って挑めば何でもできる。

大切なことは成長し続けることだと思う。

応援して下さった沿道のみなさんに感謝すると共に丈夫な身体に産んでくれた今は亡き両親とご先祖様DNAに有り難う。

 

ブログは日記でもある、10年後に読み返したい。辛いとき、苦しいときにフルマラソンを思い出す。それが底辺となる。

 

今日もご覧頂きましてありがとうございました。

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①【お知らせです】
私たちが精魂込めて作っている沖縄産ヘナの
一般モニターを募集します。
こちらからご応募下さい。お待ちしています。
沖縄産ヘナモニター申し込みフォーム
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       【ヘナ伝導師グッチのつぶやき】

      “インド産ヘナから国産ヘナへ”

ヘナに関わって27年、まさか55歳からヘナ畑をやるなんて思ってもみなかった。

インド産ヘナだけを輸入してた22年間は、ヘナ伝導師と名乗ってはいても
ヘナことは半分も理解してなっかた気がする。
 
それまでは人前で偉そうにヘナの話をしてはいるものの、
その内容は、ほんと薄っぺらいものでしかなかった。

沖縄に来てそう思う。

だって、輸入するだけ、全ては書類、手続き、支払い、
全ては担当者任せ、自分では何にもしてない。

そりゃ、コロナ前までは理美容師さん連れて
毎年、インドヘナ刈り取りツアーに行ってたけど、
ヘナ栽培や製造に直接関わってるわけでもなかったし‥
 
でもね、インドへ行く度に、いつも思うこと、
考えさせられることが沢山あった。

もっとこうすれば良いのに・・・
温度、湿度管理の徹底、粉塵の処理、
衛生的な問題‥

そしてインドの大気汚染、ゴミの山から汚水が地下水へ流れての土壌汚染、
インドの河川はどこも臭い、ドブ川、聖なるガンジス川も然りだ。

スピリチュアルは言わないことにしてる。
分けて考えることにしてるから‥
 
インドで溜まったモヤモヤな鬱憤を今、実現してる。

結果、【求める理想のヘナは自分で作るしかなかった。】

今は、沖縄県うるま市で真っ黒になりながら汗水流して
苗作りから畑作り、栽培、刈り取り、乾燥からパウダー製造、
そしてヘナ伝導師‥全てを一貫してやってる。

だからヘナに関しては誰にも負けないとの自負も目力も備わった。
 
より良いヘナを求めている皆さんの手の代わりになったつもりで
老骨に鞭打って励んでる。
 
国産ヘナ、沖縄産ヘナもたくさんの種類が販売されているけど
それらのヘナと「美らヘナ」は大きく違う。
 
これまで国産、外国産を問わずヘナを使ってるすべてのヘナ愛好者さんにこそ、
是非、試してその違いを感じて貰いたい逸品。
 
「なぜ、今、ヘナが注目されているのか‥」 それは健康です。

“ヘナは5つ健康のため‥”

①髪、②頭皮、③身体、④心、⑤地球 5つの健康。
 
この辺りはヘナ塾でお伝えしています。
 
沖縄そばもラーメンも好きだけど、やっぱり、輸入小麦より国産小麦が良い、
豆腐も納豆も大好きだけどやっぱり国産大豆使用しか選ばない。

それは安心安全だから、日本人には日本の土壌で
日本人が作るものが一番合ってるに決まってる。
日本人のコダワリは世界一なんだ。
 
私は61歳、健康年齢もあと19年くらい保ってくれれば、なんて思ってる。
私の使命は沖縄産のヘナを全国津々浦々まで伝えること、天命だと思っている。
 
私は、外国産ヘナ、国産ヘナ、メーカーを問わず応援している。
先ずはヘナの本当の意味、素晴らしさを多くの方へ伝え、
ヘアカラーからヘナにシフトして頂くこと、

ヘナの底上げに全力を注ぎたい。
ヘナの使い方なら誰にも負けない自信がある。だって、簡単、簡単・・・
周囲から「綺麗ね!」「素敵ね!」って言われる綺麗なヘナ髪にするだけだから。

毎週ヘナは老若男女、白髪率を問わず、誰でも綺麗になれる。
               
最期までお読み頂きありがとうございます。
 

 

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ニュースレター 永平寺探訪

2024年05月17日 23時15分40秒 | ニュースレター「WORK-WISE」
 
 
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沖縄ヘナ塾のご案内
 
 

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こんばんは!東京から戻ってからすぐにインディゴの葉落とし

を始めていますが、まだ終わっていません。

葉が重なった奥の穂先がまだ乾いていません・・・。

あすも頑張ります。

日曜日はインディゴの刈り取り2が待っていますから・・・

 

石川ファクトリーでは今月12日~25日までインディゴ週間となっています。

 

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ニュースレター”WORK-WISE6”より

 

【 永平寺参拝 】

 

4月の中旬に福井出張が予定されていましたので、永平寺に参拝してきました。ずいぶん前から永平寺を訪れたいという気持ちがありました。

それは2004年に放映された「NHKスペシャル永平寺」がきっかけです。

 

いつでも何度でも観ることができように私のスマホとiPadminiに保存されています。そのころからとても興味がありました。

川崎から鯖江駅前のホテルへ向かうまでの時間、Youtubeで永平寺の動画を数本観ながらの福井入りでした。

 

話は変わりますが、私はヘナ塾で作務衣を着ています。

 

プライベートでも作務衣を着ることが多くあります。還暦を過ぎて漸く作務衣が似合ってきたような気がします。

 

作務とは何か、ご存じでしょうか?「修行僧が美しい心を持ち行う労働全般のこと」です。掃除だけに限ったことではありません。

私の作務衣着用の起源はここ永平寺にあります。

今日は永平寺に行けるとあって、いつもより早く目が覚めてしまいました。

車で永平寺ICから山間を抜け近づくにつれて平野では桜が散っているのにこの辺りまで来るとちょうど満開で山々の風景と相まって素敵な光景が広がっています。

車を有料駐車場に停め、徒歩で300mほど歩いて永平寺の入り口へと向かいました。

やがて見えてきた永平寺の姿はこれまでに見てきた神社仏閣の中でも自然に溶け込むような外から見ているだけで涙が込み上げてくるほど・・・感無量と表現するしかありません。

手入れの行き届いた庭には苔が生え、その緑の素晴らしさが時代を感じる日本古来の建物と絶妙に調和している。ここまでに何十年掛かったのだろう・・・。

これは写真では伝えられません.決して伝えることなど出来ない心の奥深いところに訴えかけるような感動です。到着して数分で来て良かった。と想像の遙か上を感じました。

現在の永平寺は観光地としても有名になっていて、修学旅行の中学生と共に中へ入り説明を受けていました。

観光、見学と参拝はその目的が全く違うものです。参拝される方は至る所で手を合わせていらっしゃいます。ここでは自然にそうなるのだと思います。


毎朝、雲水のみなさんが作務をされいる長い階段を上って右手に法堂がありますが、その前で木造のベンチに腰掛けて休憩されている外国人老夫婦と目が合い「こんにちは!」と私が挨拶すると笑顔で「どこから来たの?」と言われました。

 

「1000km南の島、沖縄です。」と応えた。

 

老夫婦は「ワシントンDCから来ている。

 

日本のカルチャーは素晴らしい。人もみな優しい」と感嘆しきりでした。

私もとても嬉しく思いました。

それから法堂に入り、様々な思いで参拝をさせて頂きました。

ここが何度も何度も繰り返し観たあの場所なんだ・・・

 

そう思うとその場面が回想され感動ひとしおで”ジーン”ときてウルウルしていました。(この辺りはリンク先の永平寺動画をご覧下さい)

人間が望む、ああしたい、こうしたい。なのど様々な欲望や願いはここでは無意味です。ここは己を振り返ること、無を悟、修行の場なのです。そのために道元禅師はこの地に修行の道場として永平寺を建立されました。

 

それが780年前の1244年、何故この地に・・・

 

そう思われた方も多いと思いますが、逆に南国沖縄ではどうだったでしょうか?

 

福井の山中であり、日本の四季の移り変わりを強く感じられ、冬期の雪に覆われる時期の厳しい修行が想像に難くありません。

今回の参拝で最も強く感じたことは「なぜ人として生きるのか」「すべてに感謝する」「すべてのことが修行と作務であること、それは生きているという証明であること」です。

最後に印象に残ったメッセージをお伝えします。

                                《どう生きるか》
                  生まれて死ぬ、一度の人生をどう生きるか
                        それが仏法の根本問題です。
                      長生きをすることが幸せでしょうか
                              そうでもありません。
                        短命で死ぬのが不幸でしょうか
                              そうでもありません。
                        問題はどう生きるかなのです。

この桜の季節に福井を訪問できたことを感謝し、次は雪の永平寺の素晴らしさをも体感したいと強く思いました。

みなさん、是非、永平寺参拝をしてみて下さい。この先の人生にも大きなヒントとなり得ます。

いつもご覧頂きましてありがとうございます。合掌

永平寺の動画リンクはこちらです。

       

 

永平寺 禅の世界

 

                                        

 永平寺に学ぶ食の作法

 

 

 

 

今日もご覧頂きましてありがとうございました。

 

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     “インド産ヘナから国産ヘナへ”

ヘナに関わって27年、まさか55歳からヘナ畑をやるなんて思ってもみなかった。

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①髪、②頭皮、③身体、④心、⑤地球 5つの健康。
 
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東京消防博物館は凄かった!

2023年06月16日 00時40分56秒 | ニュースレター「WORK-WISE」
 
 
このたび沖縄県うるま市のふるさと納税返礼品として、
出品し地元貢献することになりました。
SDGsへの取り組み、地産地消の一環です。
どうぞよろしくお願いします。
沖縄県うるま市”うるマルシェ”でもご購入頂けます。
 
 
 
 

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こんばんは!東京は小雨、気温は23℃・・・

羽田ー那覇便の低気圧の影響で揺れる機内で書いています。

5分前に奄美大島通過でしたので、まもなく降下が始まると思います。

さてさて、今日はこれから那覇までの移動、天気予報では11時頃から雨が降るようなので

9時半頃に出発し、4km徒歩で京急羽田線の大鳥居駅までテクテク歩きます。

出発直後、臨港警察署前通過中です。

産業道路を挟んで反対側(右側)

にCOSTCO川崎があります。

都会のママさん方はお決まりのこのチャリスタイルです。

昔から子供を乗せるチャイルドシート、たまにチルドレン仕様も見かけます。

ここ最近は電動ママチャリへとシフトしているようです。

平成時代のママさん曰く、あの頃は100%人力だった。

大変でしたよ~なんてね・・・。

いつも立ち寄る7-11です。ここでカフェラテを頂きます。

大鳥居駅までは300mくらいかな・・・

 

ここまでで、結構いい汗かいています。

 

空港に着いたらシャワーを浴びて、

スッキリするのが楽しみの一つです。

 

さあ、沖縄へ戻ってからヘナの葉落とし頑張ります。

 

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【東京消防博物館は凄かった!】

翌日に長野ヘナ塾を控えた5月の日曜日、朝一番で東京新宿区四谷にあります東京消防博物館へ行ってきました。


ここには東京消防庁の歴史と活動に関する資料が展示されています。四谷消防署と併設されている博物館は1992年12月3日開館。マスコットキャラクターは「ファイアーくん」。東京消防庁消防防災資料センターとも呼ばれています。


入ってすぐに受付で入館証を受け取り目の前には消防ヘリコプター「ちどり」が展示されていました。 1982年まで現役として使用されていたようです。

私、コロナ禍以前までは、毎年、米国でヘリコプターの短期訓練を受けていましたので興味津々で、たぶん、一般の方と見るところが大きく違っていると思います。

さて、案内されたとおりエレベーターで6階から順序よく降りてきます。先ずは消防歴史、大昔に消防の考えは無かったようです。1600年関ヶ原の戦いで徳川率いる西軍勝利のころから徳川家代々で消防の取り組みが行われてきました。

【明暦の大火】

先述の通り、火消制度は江戸において発展を遂げ、その構成員が1万人を上回る時期も長く存在した大規模なものでした。これは、慶長6年(1601年)から慶応3年(1867年)の267年間に大火だけで49回、小火も含めると1798回もの火事が発生したという、江戸の特異な事情が大きく影響しています。

”火事と喧嘩は江戸の華” 江戸は大火事が多くて火消しの働きぶりがはなばなしかったことと、江戸っ子は気が早いため派手な喧嘩が多かったことをいった言葉。
(出典 小学館 デジタル大辞泉)

明暦3年(1657年)正月、本郷から発生した火事は、江戸の歴史上最悪の被害となった。明暦の大火(振袖火事)と呼ばれるこの火事のため、江戸城天守閣は焼失し、江戸市中で約68000人ともされる犠牲者を出した。

明暦の大火により、従来の方法では大火に対処できないことが明らかになったため、以後の江戸幕府は消防制度の確立に力を注いだ。

  あの暴れん坊将軍で有名な第8代将軍徳川吉宗公の消防への取り組みは有名ですね。

「町火消(まちびけし)は、第8代将軍徳川吉宗の時代にはじまる町人による火消。殆どが身体能力の高い鳶職で構成された。」とありました。

素晴らしいジオラマに魅了されます。これは両国の東京江戸博物館のクオリティーに匹敵する素晴らしい作品です。作者が同じグループ?かもしれません。そんなこと思ってみていました。
一人一人の出で立ち、顔、表情が違うのです。

さてさて、話は町火消しに戻りますが・・・
一般人では消火活動の際に「足手纏い」になることが多く、身軽な鳶職人が町火消しの構成員だったようです。

当時の消火方法はというと

①手押しポンプで水をかける。
当時、竜吐水と呼ばれる木製の手押ポンプは、空気の圧力を用い水を15mほど飛ばすことができたようですが、継続的に水を供給することが難しく、それほど消火の役にたたなかったようです。。

②通りに設備された火消し水を桶ですくい火元にかける。

この段階は初期消火ですね・・・。

歴代の大火は強風日と決まっています。風に煽られ殆どが木造家屋のためすぐに燃え広がります。最も有効な手段は・・・
 
③打ち壊し・・・風向きを考慮し、延焼しそうな家屋を先に取り壊して消火帯とする、とても乱暴に思える方法が当時は最も有効だったようです

江戸では度重なる大火のために住宅事情も火災に対応する造りになっています。通りに面した建物はお店(おたな)と呼ばれる商店が建ち並び、その裏に住居が構えられました。それが長屋です。長屋は粗末な造りで隣の住人が何をしているのかすぐに分かるような薄い壁で仕切られていました。現在の言葉では生活音などは筒抜けだったようです。火事の際の取り壊し対応の造りです。火事が迫ってくると家を取り壊されるのが当たり前の時代ならではですね。

江戸中期以降、幕府は燃えにくい材質、とくに屋根を瓦葺きにすることを推奨しています。
 
面白い資料がありました。「火消しと髪結床」

町人により組織された火消としては、享保7年(1722年)に成立した橋火消(はしびけし)もあげられる。これは橋台で商売をしていた髪結床に、橋梁の消防を命じたものである。橋の付近に多く設けられていた髪結床の店は、粗末なものが多く火事の際に飛び火の危険があるため、撤去するか地代を徴収して橋の防火費用に充てることが検討されていた。これに対し髪結床の職人たちは、自身で火消道具を揃え橋の防火を担当したいと申し出る。町奉行大岡忠相はこの申し出を認め、髪結床による橋火消が成立した。また、近くに橋のない山の手の髪結床は、火事が起きたら南北の町奉行所に駆けつけることが命じられた。私たちの先輩が橋を火災から守る役目を担っていたんですね・・・。

纏(まとい)の意味は?
 
纏(まとい)は、江戸消防のシンボルであり、「纏が火を消した」と言われることすらあったようです。もともとは、武士が戦場で掲げていた家紋つきの旗印や馬印に由来するもので当初は幟型の纏が使用されていたが、のちに陀志(だし)と呼ばれる大きな頭部分と、馬簾(ばれん、纏の周囲に細長い厚紙や革を垂れ下げたもの)を備えた型に代わっている。各組を象徴するものとして様々なものがあり、豊臣秀吉から拝領したという伝承のあった加賀鳶の纏や、大岡忠相が考案し丸玉と四角の台を組み合わせた「い組」の纏などがあげられる。

火事頭巾 
大名火消の火事装束は、頭に火事頭巾(火事かぶと)、身体には革羽織に胸当・踏込(ふんごみ、あるいは野袴)といったもの。
鳶口(とびぐち)・刺又(さすまた、指俣)・鋸などは、火元や周囲の建物を破壊し延焼を防ぐために使用されました。鳶口は、火消が必ず持っていた道具としてあげられ、しばしば喧嘩にも用いられたため、幕府によって長さに制限が設けられていたようです。

その後、明治・大正・昭和と消防は発展を遂げ、現在に至っています。今回は度重なる大火で大きく変化した江戸時代の消防にスポットを当ててお伝えしました。


火の用心、マッチ一本火事のもと・・・
令和のこの御代にマッチとは懐かしいですね、
火の元には十分注意したいですね。

  東京消防博物館
所在地 東京都新宿区四谷3丁目10番地(四谷消防署が同居)
    開館時間 9:30 - 17:00
    休館日 毎週月曜日(祝日に当たる場合は翌日)
年末年始(12月28日-1月4日)
    入場料 無料

東京メトロ丸ノ内線 四ツ谷三丁目駅徒歩1分


 

今日もご覧頂きましてありがとうございました。

 

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還暦記念NAHAマラソンその3

2023年02月04日 23時38分23秒 | ニュースレター「WORK-WISE」
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こんばんは!昨晩は名護城公園の桜が満開と友人に聞いて一緒に撮影に出かけました。

沖縄の桜は2月上旬が見頃で「寒緋桜カンヒザクラ」「緋寒桜ヒカンザクラ」「緋桜ヒザクラ」ともいわれます。

Wikipediaでは寒緋桜で紹介されていますが

「彼岸桜」と「緋寒桜」が呼び名が似ているので混同しないように「寒緋桜」と

呼ばれることが多いようです。

 

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【 還暦記念NAHAマラソンその3 】

 

還暦記念NAHAマラソン

 

還暦記念NAHAマラソンその2

 

つづきです、

さあ、なんとか30km地点を通過しました。第2チェックポイントまで、あと4.3kmです。海が見える短い海岸線を右足太ももの違和感が抜けないまま走っていました。

しかし、32km地点を過ぎ・・・第2制限地点まであと1.5kmのところで右太ももと両足首がツッてしまい、その場で立ち止まってしまいました。ストレッチをするために座り込むと沿道で応援していた数人が近づいてきてストレッチを手伝ってくれました。とにかく痛い痛い・・・しかし、ストレッチしたあとに今度は右太ももが痙攣し、しばらく歩くことも出来ない状態になりました。

制限時間が迫る中、気持ちは焦るし、脚は動かない、痛い。その後、足首が固まったように動かないのです。
10分か、もう少し経った頃に少し、脚全体が動くようになったので、手伝ってくれたお兄さん方にお礼を言って、第2制限地点へ歩幅を大きく取り歩き出しました。時計は13:55分制限時間まで、あと20分残り1.5km歩いてもギリギリ間に合う・・・そう思ってしばらくするとまた、脚がツッてストレッチをすることになりました。

 

それを数回繰り返して距離にして、あと500mのところで14:10分の制限時間を迎えました。残念ながら間に合わなかった・・・。

 

拡声器で「ランナーの皆さんお疲れ様でした。制限時間頑張れを過ぎました交通規制が解除されますので歩道に上がって下さい。この先にリタイアバスが待機していますから乗車して下さい。」と連呼されました。

 

しばらく歩いていてリタイヤバスに乗るように指示を受けましたが「このまま奥武山陸上競技場へ向かわせて下さい。」と係の方に告げ、そのまま歩き続けました。そして、時々、小走りに・・・「なんとか完走したかったんです。」ゴールまであと8km・・・少数ですが同じ考えのランナーと一緒にゴールを目指します。ここから先は自分との戦いです。

 

しばらく時間が過ぎた頃に「すみません」と声を掛けてきた若い男性がいました。「このままゴールに向かっても無駄ですかね?」「初めて参加したんですけど第2制限時間を知らなくてのんびり休んでたら14:10分を過ぎてたんです。」と聞いてきたので私は・・・

 

「このままゴールへ行っても完走メダルは貰えないし、記録も残らないと思う。」

「でも、完走したという達成感はあると思うよ。だから私は奥武山陸上競技場まで行くよ!」と伝えました。

 

しかし、彼はついてきませんでした。またしばらく小走りと歩き、ストレッチをしながらゴールへ向かっていると残り5kmの地点で信号待ちになった際に私から声を掛けた男性がいました。70歳くらいの男性でした。

彼曰く「第2制限地点は制限内に通過したんだけど気力がなくなった。というのです。時計を見ると14:40分、「勿体ないですよ!制限時間まで、まだ35分もありますよ!」一緒にゴール目指しましょう!と私も頑張って走り出しましたが、足首が固まって1kmも走れませんでした。結局、その方も途中でリタイヤされました。周囲に人影もまばらになってきました。

ゴールまであと4km付近で倒れ込んでいるランナーがいました。
声を掛けましたが大丈夫そうです。

あと3km、この時点で15:10分、完走制限時間まで残り5分でした。

高校時代に1500mを4分45秒で走った。駅伝で8km区間を30分以内で走った。

なんて過去を思い出したりして、それってあの頃だと3kmは10分、11分か・・・なんて意味のないことを足を引きずりながら歩いているのに思ったりするんです。

 

還暦記念で誘った同い年のNさんはゴールできたのかな?誘った本人がまだゴールしていないから、探してるかな・・・

 

10年前のマラソンの時も完走は出来たけど両膝がヤバかったよな・・・なんて・・・

  マラソンは人生そのものです。少し先の目標を目指して走る。そして、それをクリアするとまたその先の目標を見つけて「よし、あそこまで頑張ろう!」10年前に完走した後にゴールラインの様子を見に行きました。ある人は数百メートル戻って「頑張れ頑張れ!まだ間に合う!」と声を掛ける人、ゴール寸前で間に合わず涙を流す人・・・さまざまな人間模様です。もう少し練習して置けばよかった。あの時にああしておけばよかった。こうしてればよかったのに」は誰にでもあると思います。

 

さだまさしさんの歌に「主人公」という歌があります。その歌詞の中で「時を遡るチケットがあれば欲しくなる時がある。あそこの分かれ道を選び直せるならって。」があります。でも、チャレンジする年齢に制限はありません。

 

90歳のおばあちゃんがこんな話をされたそうです。

「私は60歳の時にテニスに興味を持ちました。でも行動しなかった。

あの時テニスを始めていたらテニス歴30年のベテランよね!」ということでした。

 

思い立った「今」が行動に移すべき時ではないでしょうか。

私はそう信じています。「クリエイティブに生きる。」の意味を是非ググって下さい。

その後、私は15:45分制限時間を30分過ぎて42.195kmを走りきりました。

友人Nさんは見事に制限時間内に完走され、胸には、

キラキラに輝く完走メダルがありました。

 

よーし、また今年も挑戦するぞ・・・
 

 

今日も長文をご覧頂きましてありがとうございました。

 

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ニュースレターWORK-WISE11月号より

2022年11月08日 22時18分55秒 | ニュースレター「WORK-WISE」
 
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こんばんは!今日は千葉ヘナ塾でした。

今朝、6:30ごろの東京羽田空港近くの空です。大都会の東京、世界有数の都市でありながら、こんなに綺麗な青空が見られることを海外からの旅行者の皆さんはとても驚かれます。

 

昨日は沖縄から上京する前にバタバタと準備を済ませ、羽田行きの飛行機に飛び乗りました。

   美らヘナファクトリー石川では連日のヘナ加工に追われる毎日ですが、これが不思議と苦にならないのです。これは畑仕事もそうですが、ヘナやインディゴに関わる仕事では疲れを感じることもほとんどありません。
世界最高品質のヘナ&インディゴを作っているという自負とそれを使って頂いている方々にもっと良い製品をお届けしたいという使命感でパワーが漲ってくるのです。そのことを有り難く幸せに感じています。

 

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【 ニュースレターWORK-WISE11月号より   】

 

【恩納村博物館探訪】

 美らヘナファクトリー石川から車で5~6分のところにある道の駅「おんな(恩納)の駅」には、よく買い物に行きますが隣にある博物館が以前から気になっていましたので訪ねてみました。”おんなの駅”は観光客にとても人気があります。平日でも駐車場はいつも混み合っています。
池を挟んだ向かい側に恩納村博物館があります。
今年は戦後復帰50周年の記念の年とあって「復帰から半世紀を迎えた”うんな展”」が開催されています。
うんな=沖縄の方言で恩納村のことです。

  館内に入って受付の横に昔懐かしい品々が展示されていました。私もお世話になった小学校の給食の食器です。
私たちの時代は、まだ米食はありませんでした。コッペパン、ミルクパン、食パンのみ、カレーが大好きでした。

 職業柄というか、この手動バリカンは中学生のころの苦い思い出があります。中学のころは坊主頭と決められていて頭皮を指で挟んで指から髪が出ていると頭髪違反となり、昼休みか、放課後に「体育教官室へ来い!」と呼び出されて、このバリカンでガリガリ切られるのですが、体育の先生の腕のせいか?バリカンの切れ味か?とても痛い思いをした経験があります。さて、私の昔話はこのくらいにして・・・
展示室へと足を進めます。

   常設展示室に入ると、先ず目に飛び込んできたのが
サバニと呼ばれる沖縄独特の釣り船で漁をする海人(うみんちゅ)=漁師です。
水中を見るための道具は現在でも用いられる形と同じです。驚いたのがこちらの当時使われていた水中メガネ、現在の競泳用のゴーグルと形がそっくりではありませんか・・・。

   展示室中央にタコを捕っている女性がいらっしゃいました。
  「沖縄のタコ捕りはタコ壺を使いません。タコはサンゴ礁の岩穴を巣にしている。」捕ったタコは塩漬けにし、足を広げて竹竿につるして乾燥させ子供たちは乾燥タコをガムのようにして食べたそうです。

    昔の農機具が展示されていました。目を引いたのが、この脱穀機です。ヘナの葉落としをする際に使えないかな?そんなこと考えてしまいました。それにしても昔の人の知恵は凄い、と改めて思わされます。

  戦前の一般家庭の食事は味噌汁にジューシー(雑炊)、ふかしイモです。  ジューシーが普段の食卓に上がっていたのではありません。当時はご馳走なのです。

   〔食事の時間と内容〕
午前6時/ミークファヤー(目覚まし):イモ
午前8時/ヤーサノーシ(間食):イモ
午前9時~10時/シティミティムン(朝食):イモ、野菜入りの味噌汁
午後2時~3時/アサバン(昼食):イモ、野菜入りの味噌汁
午後4時/ヤーサノーシ(間食):イモ
午後6時~7時/ユーバン(夕食):イモ、たまにジューシーやお粥
 
「たいがいイモばかり、今のようにいろいろな野菜は無かったです。配り合いして暮らしていた。」
津波古 ナエ 1911(明治44)年生 字恩納 
と談話の下に書かれていました。
 
余談ですが、この明治44年生は「めいじ44ねんせい」と読みます。沖縄では「あんた何年生ね?」と生まれ年を聞かれます。実際に私も地元のオバアに聞かれたことがあります。
 
私の場合、昭和37年生(37年うまれ、ではなく37ねんせい)が正解なのです。

「イモを植えるのはヤーニンジュ(家族)の仕事、用意して雨が降らんければ、植えられんからね、その時はもう忙しいよ。みんな集まってね、ただごとじゃないですよ。植えるばかりでもね、雨が降らんとみんな枯れてしまうからね。だから段取りが一番大事。」
津波古 真澄 1909(明治42)年生 字恩納
 
 どこの家庭も主食はサツマイモで4~10月ごろに植えつけ、5~7ヶ月ほどで収穫されました。   日頃はイモ中心のとても貧しく質素な食事だったようですが、行事ごとの豪華な食事が楽しみだったようです。
その中でも三月に行われる清明祭(シーミー)では墓前に重箱を備えて供養をするのですが、内容が決まっています。それがこちらです。
 その他の行事では豆腐、おから、雑炊などの「ふかしイモ」以外の食べ物=ご馳走でした。

昔の写真って不思議な魅力がありますよね・・・この二人のオバアが糸を紡いでいます。
とても楽しそうに・・・しかし、私は、正座をしながら、果たして何時間もこの作業を続けられたのだろうか?とふと疑問に思ったのです。
現代人は正座をほとんどしませんから、正座は10~15分が限界かもしれません。法事の時にお寺で正座をしたことがありますが20分ほどで立てないほど足がしびれた経験がありますので、そんな見方をしてしまいました。しかし、本当に癒やされる、のどかな風景です。

 展示室の後半で一番面白く、思わず笑ってしまったのが子供の一日と書いてあるパネルでした。
「昨日は先生に叱られたから、今日も行かんでおこう」と一人が言うと「僕もいかないさぁー」ってなるわけ。
学校に行くのが嫌いな子供だったんだよ。好きで無いし、罰うけるよりは、学校へ行かないでね、途中で海岸べりで、その時間までいて、また家に帰ると。大根の葉なんかよ、とってきて海の岩の潮が入るところに漬けてお昼のイモと一緒に食べよったよ。学問の頭とは違うけど、ジンブン(知恵)はあったはず。学校好きでないんだから、海で何かこう遊んで時間潰してたんじゃないかね、学校の終わる時間になったら家に帰って、お父さん、お母さんに「行ってきました」いうて。それが海学校。
仲村 好栄 1915(大正4)年生 字名嘉真
昔は子供も家の大事な労働力でした。学校から帰ってくると家畜に餌をやったり、井戸に水をくみに行ったり、女の子は子守りをしました。日曜日にも山に茅取りに行くなど、遊び時間が無かったといいます。家から遠い学校まで通う途中、山や海に遊びに行ってしまうことを「海学校」「山学校」と言ったようです。この「学校」は、遊び時間の少なかった子供たちの内緒の遊び時間であったようです。いつの時代も子供は元気です。沖縄の現代の子供たちも同じく明るく素直で元気です。
 
当時の生活は決して裕福では無かったかもしれませんが、心まで貧しかったとは、決して思えない当時の民衆の明るさをこの展示室で感じ取ることが出来ました。
 
歴史は学べば学ぶほど、この時代に日本に生まれ育ったことに感謝し、何があっても幸福であることを思い知らされます。

 

今日もご覧頂きましてありがとうございました。

 

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