
<5日目:カッパドキア観光>


朝5時45分にアザーン(お祈りの時間を告げる詠唱)の低く歌うような声が聞こえ始め、部屋の外に出てみるとあたりは未だ真っ暗。坂の下にある町のモスクからのようで、周辺の洞窟ホテルや街灯の僅かな明かりが点る中、地の底から湧きあがるように岩山にろうろうと響き渡る声はとても幻想的で、異教の地に来たことが実感されました。

明るくなって朝食のために部屋を出ると気球が岩の間をゆったり動いていました。カッパドキアは気球観光のメッカ(イスラム的!)で、ガイドさんによるとカッパドキアの空からの眺めは絶景とのこと。去年5月の事故を受けてツアーがオプションを中止していたのが、止むを得ないとはいえちょっと残念でした。気球は風が穏やかな夜明け前から出発するのだそうで、我々が見たのはちょうど降りてきているところだったようです。



カッパドキアの奇岩地帯(世界複合遺産)は、数億年前にエルジエス山などの噴火によって堆積した火山灰と溶岩層が、長年にわたり風雨に侵食されてできたもの。大規模な奇岩地帯は米国などにもありますが、ここでは未だにその中に人々が住んでいることが驚きです。そういえばホテルの近くに”for sale”の看板が掲げられた洞窟住居がありました。魅力的でしたが、ちょっと崩れかかっていて維持費が大変そうだなので購入を諦めました(^^)。



ギョレメ谷の岩山の洞窟には、かつて迫害から逃れて各地から移り住んだキリスト教徒の教会や修道院が数多く造られており、その一部がギョレメ野外博物館(館というより、地帯ですが)として保存されています。それらの内部にはフレスコ画がかなり綺麗に残っており、また、入口に模様がかすかに残っている教会跡もありました。



また地下都市も多くあり、今回見学したカイマルクは最大のもの。地下深くありの巣のように掘り巡らされた地下都市は地下8階まであり、教会や食堂、食料貯蔵庫、ワイン製造所、家畜の飼育場、換気口まで備え、一時は5000人ほどが暮らしていたとのこと。未だ全てが発掘されたわけではなく、現在は地下4階まで見学ができるようになっています。
通路は非常に狭く、時にはかなり屈まなければ通れないほど天井の低い所もあり、事前に閉所恐怖症の人や心臓に問題のある人達は見学を避けたほうが良いと言われ、3人ほどが見学を見合わせていました。
命の危険があれば、人々はこの様な極限の生活をも選択し享受できるのかと、そのバイタリティと精神性には驚くばかりです。


<6日目:カッパドキア→ネヴシェヒル→カイセリ⇒イスタンブール>
朝起きてコーランの声につられて外に出ると、真っ暗な世界が白い濃霧に包まれていました。霜もおり、プールには厚い氷も張っていて昨日の晴天が嘘のよう。これが昨日だったらカッパドキアの奇観が何も見えなかっただろうから、「悪天候が移動日の今日でラッキー!」と喜んでいたのですが・・・。


ネヴシェヒル空港から12時発のイスタンブール行きの飛行機に乗る予定だったのですが、朝からの濃霧でイスタンブールから来て折り返す予定の便が来られずに、食べるものも何も無い田舎の飛行場でただただ待ちぼうけ。
結局、予定の飛行機がネヴシェヒルに降りられず、バスで1時間半ほどの距離にある、大きいカイセル空港に着いたとの知らせが来たのが4時間以上経ってから。一度預けた荷物を受け取ってバスに乗せ、濃霧の中をバスで移動。また荷物検査などを受け直してイスタンブールに向けて発つことができたのは、予定から遅れること7時間、19時のことでした。


その結果食事のプランが大幅に狂ってしまい、朝食後の長い空腹の後に、機内食のサンドイッチ、ランチ用のケバブで作られたサンドイッチ、夕食の海鮮料理という(添乗員さんの嗜虐的表現の)食べ放題状態に。誰のせいでもないけれど、くたびれた~。
午後イスタンブールに着いてからグランドバザールなどを楽しむ予定もつぶれてしまったし・・・結局「ラッキー!」とはいきませんでした。(四女)
