「恐れるべきことは何もありません」
気付く範囲で、「この知覚は誤りです」というのを心で唱えています。
掃除をした後でも、空腹を感じたときでも、痛みを感じたときも、
調子が良いときも、ラッキーなことがあったときも、不快なときも。
どんなときも。
それでも、掃除はするし、つまみ食いするし、嬉しいと感じるし、
怒ったりもする。それでも「この知覚は誤りです」と唱えると、
とても癒されます。この世界では、癒しだけが神とのコミュニケーション
らしいので、私は他人と交流しても全く癒されないので、
やっぱり私にはそれは必要ないのだなと改めて思って悲しく
悔しく思いますが。そして他人と接すると、それを誤魔化そうとして
しまう自分に怒りを感じ、その場をやり過ごした後、自分のそれを
欠けていると知覚してしまい、娘に投影して、ささいなことで激怒して
しまう。というループ。責められた記憶をずっと引きずってる。
友達の家族が亡くなったこと、正直何の悲しみも感じない。
あのちゃんのようになりたいw 何か表現することがあれば
良かった。自分であろうとする人を応援くらいは出来るか・・
いや出来ない妬みになる。だから私は本来の私であるべき。決して
自暴自棄ではなく。