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ジョンポール常時林檎 音のこと なんやらかんやら 雑記

さても さても うららかな 春の海のごとく
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You Made Me Believe In Magic

2014-08-15 22:15:11 | ステージ

You Made Me Believe In Magic
密かに未来を妄想して楽しめた相手に見事に去られるとなんだか喪失感が凄すぎて笑ってしまうてぇことはよくありがちですわな。
その方面はもうどうでもいいか。この先その種の出会いがあるとは思えないし、眺めて言葉のやりとりだけで楽しめる。占有したいとはもう思わない。こういうのを枯れてきたというのか。が、こういう感情はむかーしから持ってたしな。

あとは「あのお方」の顔見てもう一度話ができれば、もう思い残すこともないか。JJさんの店主Sちゃん相手に話したのは「あのお方」のこと。
当時の自分はまあお勉強畑の趣味人系でございまして、「あのお方」というのが、まあ露骨ではないんですが年相応な隠れヤンキー志向な、というまあ畑違いですわな。
ところが話してみるととにかく話術、言葉に絶妙なひねりがあって、絡むと本当に面白い人だった。時々言葉の中に宝石のようなきらめきを感じさせながら、やっぱりどこかで品が無い辺りも妙な深みに思えました。

でも自分はたかが14の中坊。女の子を意識し出すお年頃で、会話を楽しみ距離感を楽しむなんて余裕もなし、話しかけてくれるのを好意と思い込む勇み足やら、好きじゃないとこういう突っ込んだ会話はできないとの思いは積もり居ても立っても居られず、どう付き合うかなど全く考えてないのに、告白にすべて込めてということになる。パールハーバー。

冬休み中にお手紙告白しましたが、当然却下。「ワレ 奇襲ニ 失敗セリ」。
冬休み前までは楽しく話せて適度にいじりいじられ、これが長く続けばもしかしたらいい関係になれたかもしれないが、冬休み明けはドン引かれですわ。中3なのでこのまま卒業までシカトで封印というパターンは当然予想されてそのほうが良かったのかもしれんが、ちゃんと返事をくれて止めを刺してくれた辺りがまたニクい。「あのお方」なりの誠意だったんですな。
と言いつつ、この話は当時、男友達からは誰からも突っ込まれなかったものの、どこで漏れたのか「意外だよね~。あるんだね~。わっかんないもんだよね~。」と本人目の前にしてあえてこちらを見ずに女子達が、まるでオバサマのように楽しそうでしたな。
「旭◯高で会おうね~」と、お互いに通学することのない高校での再会を誓ってから「あのお方」とは会っておりません。

「あのお方」との関係性の変化やら心理やらを経験して、誰かを好きになっていく自分、好きになっている自分と相手との距離、温度差を意識しながら、その相手との会話やら距離感を楽しむおもしろさがわかるようになり。たかが15才で、「~さん」を好きながら振り向いてもらえない奴というキャラを創り演じてる自分をも楽しめて、しかも当の「~さん」とはちょくちょく長電話できて、さらにその「~さん」のお友達(全然知らん人)から電話がかかってきて、なぜか「~さん」のことをそのお友達に愚痴ってると例のその「~さん」が電話口に出るという半ばドッキリを仕掛けられても、そのことすら楽しめる余裕を持てるまでになれたのは、しかも音楽をやってたのでその「~さん」の歌まで作詞作曲して、事情を知っている人々を前に堂々と歌うことができたのは、さらにその時の録音すら今に残せてネットで視聴出来るのは、すべて「あのお方」との関係性があってこそでございます。

などということなど、会って話すことが出来る日がいつか来るものと信じて生きております。


さて49日明けかあ。ということでブログも再開。

2014-08-11 23:55:25 | ステージ

それぞれの道/三浦久 Hisashi Miura



若くして亡くなったかつてのお芝居仲間の49日が明けました。約3年間、同じ芝居をあちこちでやっていて彼とは初演時からの付き合いでした。

まったくの未経験者からでしたが、この芝居も最後のあたりになると指示され指定された演技やらセリフまわしではなく、自分自身の言葉でセリフを語るようになり、役として舞台に立ってました。

いつの間にか、ほかの誰も代替えのできない「モクさん」になってました。

いよいよ旅立ちのときです。

さて、長々と手を加えているチャランゴですが、装飾やら塗装の若干の不満には目をつぶり使用再開でございます。

弦高も下がり、ブリッジの位置も直り弦を張って3日目。ナイロン弦てえのは伸びきってからがやっと音が出てきます。(自分の楽器の場合)

チャランゴは10弦の複弦楽器で同じ音程の弦が8本、1オクターブ違いのが2本。黒のナイロン弦を通販で購入してますが、フロロカーボン製の釣糸を使ったりします。

当然ナイロンとの音の違いはありまして、なんとなく金属的な立ち上がりの早い音ですな。(自分の楽器の場合)

自分のチャランゴは同じ音程の弦を黒ナイロン弦とフロロカーボン混在で張ってます。同じ音程がちがうサウンドでなってます。

エフェクターでいうところのコーラスがかかったような感じです。チューニングの精度をごまかすためという御意見もありますが。

古いタイプのチャランゴらしくギターのようにブリッジがあって象牙や牛骨のサドルに弦が乗っているタイプでなく、ブリッジにそのまま弦を巻きつけるタイプです。

ですので弦高の調整は、ブリッジをそのまま生かすのであれば指板を削って角度を変えるしかありません。

サドルで調整できれば弦高調整ももっと楽なんですが、弦と表面板の関係を考えると、弦ーブリッジー表面板というタイプの方が、弦ーサドルーブリッジー表面板というタイプより、一段階少ない分だけ振動量が大きいような気もします。

でもって小型の楽器、ワライチョは、とりあえずピックガード(ゴルペ板)を付けて弦も張り音を出してみたものの、どうにも鳴りが悪い。

弦を張って3日経っても音になりません。表面板の変形を気にするあまり力木を太くし過ぎたのか、表面板が厚すぎたのか。

ピックガードをはがし、裏穴を再びあけてカッターとミニルーターで力木を削ります。幅はどうにもならないので厚みを1/3に削る。

そして表面板を削ります。表からライトを照らせば裏穴から力木、ブリッジが透けて見えるくらいまで。

これで多少は音になります。が、どんなもんでしょう?

もちろん塗装は最初からやり直しでございます。


追悼~モクさんの好きだった唄~

2014-06-24 00:52:39 | 昭和モノ

 

お疲れさん。長いことがんばったな。あなたの好きだった唄だ。今日は一杯やりながら自分も歌う。

Tsugaru mujer amor2.m4v


ひさかたのうたたねの

2014-04-24 02:23:53 | ステージ

なんだか最近、フェイスブックで事足りてしまうためこちらのブログをついついおろそかにしてしまいがちでございます。只今フェイスブックメンテ中のためログインできずということで久しぶりにブログ。

先日、すすきのの怪談バー「スリラーナイト」に出演していた城谷歩氏が、スリラーナイトの東京は六本木出店に伴い、上京するということで彼の企画「好きに演らせて」を観てきた。この人とはちょっとしたご縁で彼が主宰していた劇団の舞台の音響を2度ほど担当して、職務外であるが劇団員でもないのに、ついシーンつくりやら演技構成などにも口を出してしまい、今思うとちょっと赤面でございます。今、彼の劇団はありませんが、再び演劇を造るのであれば、何らかの形で参加したい。そう思わせてくれる人ではあります。ひさしぶりに彼の舞台を観ますと、あの劇団の最後の舞台から3年経つのについ昨日のことのような錯覚を覚えます。なんというかこの人は役者というよりMC向きなのかなあ。いろんなところに気が回りすぎて、そつがない。この人は観ている人を置いていかないが、別の世界へ引っ張り込む人ではないかもしれない。まあ完全に自分のフィールドではないお店のステージということで、ある種のスタイルの範囲内で演じているのかもしれないが。この人がどう変わっていくのか楽しみであります。

さて、只今怒涛の楽器リペア中。部屋中、体中、粉塵で真っ白になりつつ奮闘しております。こういうことをやっていると、もしかしたら造る方が楽なのかしら、などと思ってしまう。ある程度知識と技術を持てば自分の欲しい音を出す楽器が創れるのではないか、などど妄想してしまうのだが.......世の中そんなに甘くないし、この世界そんなに浅いものではないんですなあ。


4月6日、えぽあほーる 凍原の風 劇団「川」

2014-04-07 13:13:03 | ステージ

1981年
高校を卒業して江別にある専門学校に入学して下宿生活でした。同じ科の友人の下宿が野幌駅裏にあり遊びに行くと、近所でなんだか工事をやっている。
どうやらお店ができるようだが、夜も電気がついていて、昼間もその場所から長い髪を後ろで束ねて和服を着た白粉の男が踏切をわたっている。
あの場所はなんだろう?何をするところなんだろう?友人の話では喫茶店ができるということだったが...
「ほかい人群」。幟にはそう書いてあった。このちいさな空間で演劇が上演されるらしい。

演劇って...文化会館とか、公民館とか、何とか劇場とかそういうとこでやるもんでないかい?小学校には学校まわりの劇団が来たぞ。
旭川で東京キッドブラザーズなら見たけど。そういえば「キッドぼくらの時代」って本にシアター365のことが少し書いてあった。
小劇場なる空間。目の前で見せるミュージカルのこと。レスポールをかかえたパンクロッカーとポーズを決める若かりし柴田恭兵やら三浦浩一やら。
バンドが演劇と混ざるんかい。そういうのアリかい。しかもこんな狭いとこでかい。
それほど情報が多くない時代。一冊の本が与えてくれた何かあたらしいものの予感は、手触りもあやふやで、その姿の片鱗もみえなかったが。

その演劇の空間は落語の高座のようだった。バックには地獄絵が描かれていた。もうひとつの演目は「一人芝居」とあった。おばあさんを演じる男の芝居。
「人生一発勝負」という題名だった。さて芝居のあとはお客さん、出演者、関係者入り乱れての打ち上げ交流会飲み会。もちろん、知ってる人は誰一人いない。
その場で知り合った人と何を話したのか、どうやって下宿まで帰ったのか覚えていない。2日酔いで学校を休んで寝ていると心配した級友が下宿に来たことは覚えてる。

その喫茶店がオープンして通常営業をはじめだしたころ、友人の下宿が隣だったせいもあったり、銭湯の帰りなどに顔を出すようになった。
そこのマスターは江別出身で東京の劇団にいて、いまは地元の劇団「川」で芝居をしているということだった。
正直、学生劇団以外いわゆるアマチュアの劇団が存在することを知らなかった。劇団「川」というのは自分が最初に存在を知ったアマチュア劇団である。
その後、喫茶店のマスターが劇団「川」をやめて自らの演劇制作集団「どもプロデュース」を立ち上げて、のちに劇団「ドラマシアターども」を主宰するのだが
演劇の「え」の字もしらず、たまたまお店のカセットデッキを調整して、ミキサーの配線を直しただけのギター弾きの地図製図士がわけもわからずそこの演劇音響担当となり、
以後約20年芝居を続ける間、同じ市内にあっても最も遠く、しかしアマチュア劇団の最初のイメージを強烈に与えてくれたのが劇団「川」でありました。

自分が芝居創りの端くれに混ざるようになったころ、「川」の人たちはみんな大人でみんな先輩でした。
こんな風に芝居に関われるようになりたいと、思い続けど人の世の流れでございます。人は去り人は来たり。
みんな大人で先輩な「川」のひとたちはいつしか数えるほどになってしまいました。
自分が芝居から去った今も、「帰りたければいつでも帰ってくればいいさ」江藤“栄ちゃん“周平は軍帽のひさしの下、不器用な微笑で語りかけてくれます。
「凍原の風」はいままで3度見てますが、ヒロイン「あき」や他のキャストは変われども、江藤周平役だけは清水栄一さんでなくては成立しないのでしょう。
もう清水周平さんだか江藤栄一さんだかわからない域にきていると思います。
どこか不器用な、人のいい、それでいて地に足のついたしたたかで計算深く、だが底がごっそり抜けている、照れくさくなるほど前向きな人間を
ぜひこれからも見せていただきたい。こういう役者にはめったにお目にはかかれません。清水さん。このひとは劇団「川」そのものです。