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戊戌(ぼじゅつ)変法

2006-01-28 12:14:49 | 読書備忘録
中国の歴史:中国小学校社会教科書⑤戊戌(ぼじゅつ)変法

甲午日中戦争における清朝政府の敗北と、日本侵略者の残虐と貪欲が、多くの愛国的知識人を覚醒させた。彼らは各地に奔走して呼びかけ、皇帝に上書し、変法救国を主張した。

上書の内容は康有為や梁啓超などが日本との和議に反対し、変法を請うたものである。歴史上この上書を「公車上書」と称する。公車上書は全国を騒然とさせ、変法救国を要求するのが当時の潮流となった。

1897年、ドイツがわが山東の膠州湾(こうしゅうわん)を占領し、再び人民の激しい憤りを呼び起こした。康有為(こうゆうい)は続けて三度上書し、変法の必要性を力説した。彼は「変法して国を強くしなければ外国の侵略は一層激しくなるだろう、国家は既に最も危急の時に至っている、維新派の人士を任用して国事に参加させ、皇帝が命令して変法を実行することを要求する」と言った。

光緒皇帝は康有為の上書を読んで、深く感動し、「亡国の君となることに甘んぜず」と述べて、変法を決心し、1898年か6月から9月まで数十通の変法の政令を発布し、康有為、梁啓超、譚嗣同(たんしどう)ら維新派の人士を起用して、変法を実行した。この年は旧暦の戊戌の年に当たるので、戊戌変法と称する。

戊戌変法の主な内容は以下の通り。①政治面では余分な官吏を削減し、維新派の人士を起用②経済面では農業・工業・商業及び鉱業の発展を奨励③文化の面では学校を広く設立し、首都に大学堂を設立する④軍事の面では新式海軍・陸軍を訓練する。

戊戌変法は広範な愛国的知識人に擁護されたが、慈禧太后(北京郊外に広大な庭園、頤和(いわ)園を再建した西太后のこと)をかしらとする頑迷派の利益を犯したので、頑迷派の力の限りの妨害と切り崩しにあった。光緒皇帝の発布した変法の命令は、大多数は一通りの空文と同じで実行されなかった。

1898年9月21日、慈禧太后は政変を起こして、光緒皇帝を拘禁し、命令を下して変法の命令を廃止し維新派の人士を逮捕した。康有為、梁啓超は国外に逃げたが、譚嗣同は逃亡をのぞまず甘んじて変法のために身を献じ、死を以て国民を目覚めさせた。譚嗣同とその他の5名の維新派の人士は頑迷派に同時に殺害された。歴史上彼らを「戊戌六君子」と称する。戊戌変法は103日続いたので、歴史上「百日維新」とも称する。

書名:中国の歴史:中国小学校社会教科書
監修・訳:小島晋治
訳:大沼正博
発行所:明石書店
発行年:2000年11月10日


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