越前朝倉氏の居城だった一乗谷城が 灰燼に帰してから約10年後、加賀 金沢に 入城した前田利家がそれまであった城を大規模改修をし築き上げた金沢城。一乗谷城が焼け落ちてからたった10年余り、何度かの改修があったとはいえ、城の構えといい、規模といい、金沢城は一乗谷城とは比較にならないくらい完成されていた。
江戸時代・明治時代の数度の大火で大方の建物は焼失したが、焼失を免れた建物もあった。兼六園からお城へいく最短ルートにあるのが石川門。焼失を免れた建物の一つで江戸期の様相を保っている。重厚な大門で扉に打ち付けられている金具が凄かった。
石川門とその扉。扉に打ち付けられている鉄製金具は「筋金」というそうだ。「筋金入り」という言葉はここからきたものだ。門の上は拝観できた。中は結構広く、城が攻められた時には防御の場所になった
石川門はちょうど公開中だった。この入り口から入った。内部(門の上)はこんな風、窓の隙間から矢を射かけるのだが、今はその攻撃窓から城内のきれいな紅葉が見られた
金沢城本丸は築城間もない頃火災で焼失し、以後西の丸が城主の居住地・政治の場になった。今は広大な広場になっていて復元された五十間長屋がある
私が立っているところは三の丸広場。後ろの建物が五十間長屋。その向こうに二の丸広場がある。左の写真が二の丸広場
北陸路の二日目は朝から雨だった。金沢城公園を散策した頃は小雨になっていたが、その前に兼六園を訪れた時には激しい雨でびしょ濡れになった。園内で結婚式の前撮りをしているカップルがいたが、我々以上に雨を恨んだことであろう。この後、近江町市場に行ったが雨にもかかわらずすごい人出。自由に昼食をとることになっていたが、お寿司屋も海鮮丼の店も大行列。とても集合時間に間に合いそうになかったので、うどん屋に入った。金沢まで来てお昼にうどん?・・仕方なかったけど美味しかった!
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