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萌ちゃんのひとりごと

後期高齢者になりました。老いという壁をどう乗り越えていくか
難題に向かって、試行錯誤のあがきを綴ります

ノスタルジア―少し昔の津山-

2023-11-28 16:03:06 | 旅行

津山に行ってきた 。今、津山郷土博物館では 大正から昭和にかけての津山を写した写真展をして いる。  生まれ育った街 なので、往時の姿が どんなだったか、 とても興味があって見に行った 。

行く途中、 実家があった所や通っていた小学校の前を通ったが、昔の面影は 何もなく 、「どこ、どこ」と言ってるうちに通り過ぎてしまった。 幼い頃は とても遠い距離に感じたところも 車で通り過ぎると あっという間だった。

写真展は、私が 幼い頃に過ごしていた 津山を 写しているものもたくさんあって、幼い頃の記憶がよみがえるようだった 。今の津山の街並みよりも、 写真の中の津山の方が 私にとっては 津山 だった。

写真展を見終えて 、ついで だからと お城山に行ってみた。 もみじ祭りは終わっていたが、裏門に近いところはまだ 紅葉が 綺麗だった。

備中櫓下の紅葉。散り落ちた紅葉もきれい

 お城の下の駐車場の紅葉もきれい

 

「よそ見すな!!城は美人の多い場所!!」石段には所々にこんなユーモラスは注意書きがあった

 

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加賀百万石

2023-11-23 13:22:13 | 旅行

越前朝倉氏の居城だった一乗谷城が 灰燼に帰してから約10年後、加賀 金沢に 入城した前田利家がそれまであった城を大規模改修をし築き上げた金沢城。一乗谷城が焼け落ちてからたった10年余り、何度かの改修があったとはいえ、城の構えといい、規模といい、金沢城は一乗谷城とは比較にならないくらい完成されていた。

江戸時代・明治時代の数度の大火で大方の建物は焼失したが、焼失を免れた建物もあった。兼六園からお城へいく最短ルートにあるのが石川門。焼失を免れた建物の一つで江戸期の様相を保っている。重厚な大門で扉に打ち付けられている金具が凄かった。

 

石川門とその扉。扉に打ち付けられている鉄製金具は「筋金」というそうだ。「筋金入り」という言葉はここからきたものだ。門の上は拝観できた。中は結構広く、城が攻められた時には防御の場所になった

 

石川門はちょうど公開中だった。この入り口から入った。内部(門の上)はこんな風、窓の隙間から矢を射かけるのだが、今はその攻撃窓から城内のきれいな紅葉が見られた

金沢城本丸は築城間もない頃火災で焼失し、以後西の丸が城主の居住地・政治の場になった。今は広大な広場になっていて復元された五十間長屋がある

 

私が立っているところは三の丸広場。後ろの建物が五十間長屋。その向こうに二の丸広場がある。左の写真が二の丸広場

北陸路の二日目は朝から雨だった。金沢城公園を散策した頃は小雨になっていたが、その前に兼六園を訪れた時には激しい雨でびしょ濡れになった。園内で結婚式の前撮りをしているカップルがいたが、我々以上に雨を恨んだことであろう。この後、近江町市場に行ったが雨にもかかわらずすごい人出。自由に昼食をとることになっていたが、お寿司屋も海鮮丼の店も大行列。とても集合時間に間に合いそうになかったので、うどん屋に入った。金沢まで来てお昼にうどん?・・仕方なかったけど美味しかった!

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一乗谷遺跡

2023-11-19 13:25:17 | 旅行

今年二度目の 北陸路。かねてより北陸路で是非訪れたいと思っていた所が2か所あった。一か所は糸魚川の フォッサマグナ、 もう1つが福井の一条谷遺跡だ。

今年5月に糸魚川のフォッサマグナを訪ね、 念願だった 1つ目を クリアしたが、 まさか その半年後に もう1つの 念願が叶うとは思っていなかった。 団体ツアーではなかなか ルートに入らない一乗谷遺跡だが、今回 「北陸路の紅葉を訪ねる旅」 の中に 一乗谷遺跡 見学があったので 応募した。

中世末期 越前朝倉氏の 居城があった 一乗谷は大層栄えていた。しかし、5代 約100年続いた 朝倉氏は 織田信長との攻防に破れ、 城下町は 焼き払われ三日三晩燃え続けたと言われている。 その 焼け跡はその後、 田畑となってほぼ完全に 保存され、 近年 発掘調査 が 行われた。現在、一部に人家が建っているが、 中央部 の大部分は 奇跡的に保存され、復元した 武家屋敷や 町人の家もある。

復元された武家屋敷内の台所、結構広い。屋敷内は畳の間が三つと離れの間と台所、広い土間、外にトイレと井戸があった。トイレは男女別々に作られていた。

復元された庶民の家並み。道幅が広い。庶民の家はほとんどが寝間と板張りの台所の二間、広い土間は武家屋敷と同様。やはり外に井戸とトイレ。庶民・武家問わず、排水路が完備していた。この家の外にも排水路がある。上下水道とも完璧、戦争さえなければ日々平和な暮らしが営まれていただろうと想像できる

朝倉氏居城の門、屋敷を取り巻いて堀がめぐらされていた。屋敷内は思いの外狭かった。江戸時代の城とは規模も様相も違っていた。

イタリア ポンペイの街はAD79年の ヴェスヴィオ山の大噴火と火砕流で一瞬にして 火山灰の下に埋もれ、 奇跡的に当時のままの姿が保存されたが、 一乗谷城址もちょうど同じ様に奇跡的に 当時のままの遺構が 残された。 開発の手が入っていない貴重な遺跡で、 国の三重指定を受けている。 中世末期・戦国時代の 城下町が どんな様子であったかよく分かる遺跡である。 一度 この目で その規模と 様相を見てみたいと思っていた。 目的が達成られて 得心した。

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75歳の大掃除

2023-11-15 15:12:56 | 日記

数日前から気温が急降下、冬の入り口を思わせるような日が続いている。今年は10月になっても、11月になっても暖かい日々が続き、暖房器の出番がないような快適な気温だったが、いよいよ「今日も寒いなあ~」という挨拶が日常となる季節がやって来そうだ。風も冷たくなり、水道の水も冷たくなり、家事がおっくうになる季節到来だ。

そうなる前に何とか急いで大掃除を済ませてしまった。「済ませたことにした」といった方が正解かもしれない。50歳の私がみたら、「でえれえ手抜き~」と言うだろう。後期高齢者になった今は、脚立の上段に上がるのが怖い、高いところまで手が伸びない、バランスを崩しそうで片足立ちが出来ない‥等々、本当に体力が落ちてきている。掃除も10年、20年前のようにはできず、適当なところで「まあ、この辺で良かろう」と切り上げた。だから、かかった時間も短く、早々に完了となった。

足腰の衰えは年々著しく、日々の自覚はないのだが、大掃除などやってみると自分でもびっくりするくらいダウンしている。無理して頑張って骨でも折ったら大騒動、このところそんな知人友人をたくさん見ているので用心するようになる。「75歳の大掃除はこんなもんでしょう~」で、今年の大掃除は無事完了。段々と寒さが増してくるこれからは炬燵の守りに徹しようと思っている。

 

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名義変更

2023-11-09 13:28:57 | 日記

母の死後、各方面への手続きがたくさんあったが、一番面倒だったのが不動産の名義変更だった。司法書士事務所へ最初の依頼をしてから2ヶ月、やっと先日目途が立った。各種書類を整えるのが思いの外大変だった。主だった手続きは弟がやってくれたのだが、なかなか思うようにはいかず難儀をしたようだ。

来年4月からは「相続登記の義務化」が実施される。遅かれ早かれ相続による登記はやらなければならなくなる。市の税務課の人は、来年春ごろからは相続登記をする人で混雑するでしょう。早い目に済ませておいた方がいいですよとも言っていた。まだ混雑していない時期でさえこれほど時間がかかったのだから、4月以降になったらもっと大変だったかもしれない。

なんでこんなに時間がかかってしまったかというと、母の戸籍が何度も変わっていたからだった。司法書士の先生には「お母さんが生まれてから亡くなるまでの戸籍をそろえてください」と言われた。我々子供が知っている以上に戸籍が移動していて、なかなか全部がそろわない。そもそも最初の本籍地すら知らなかった。母が生きている時にそんなことは聞いていなかったし・・ちなみにだけど、今度のことで自分の戸籍の始まりが思わぬところにあったことに驚いた。出生地が本籍地ではないことを初めて知った。

そんなこんなで、母の戸籍をたどって、あちこちの市役所へ・・郵送で問い合わせるのでなかなか返事が来ない。来たと思ったら、また違うところに戸籍が移っていたりして・・しかも、当時の戸籍(戦前の旧民法下)は手書きで読みにくいし、住所も現住所とは違っていたりして・・もうお手上げ、現地へ直談判に行くかとも思ったけど、最後は何とかなった。

書類が整って、後は司法書士の先生にお任せすれば終わりだと思うが、名義変更がこんなにも手間のかかるものだとは思わなかった。我々の世代になれば、新民法下での手続きになり、もっとスムーズになるとは思うのだが・・

必要になるかどうかは別にして、自分の生きてきた軌跡を大体でも子供に伝えておかなければと、痛感した。

 

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