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萌ちゃんのひとりごと

後期高齢者になりました。老いという壁をどう乗り越えていくか
難題に向かって、試行錯誤のあがきを綴ります

「ご家族様」

2025-05-29 11:03:43 | 終活

弟が持病の悪化で緊急入院した。独り者なので高齢者施設で暮らしている。施設から連絡があったが、私はあいにく旅行中で付き添えれなかった。甥(弟の長男)と妹が付き添ってくれた。急性期病院に1週間ほどいて、症状が落ち着いたので、今は回復期病院へ転院している

入院・転院・退院に際して避けて通れないのが、「ご家族様」の存在だ。入院時、医師は病気を治すのに専念してくれる。事務方の人は「ご家族様」を確保するのに一生懸命だ。身元保証及び費用の支払いを責任を取れる人を確保しておくのは病院経営から行っても当然のことだ。よく分かる。ただ、「ご家族様」は思っている以上に大変なものだ。何枚もの承諾書や契約書にサインを求められ、医師や看護師などからの説明を受け、患者が病室に落ちつくまで付き添わなければならない。一旦帰宅しても、その後も何やかやと呼び出しが来る

患者が高齢者ともなると、「ご家族様」に両親はもういないだろう。子・孫あるいは姪や甥、兄弟になってくる。同居していたり、近くに住んでいればいいのだが、遠方だったり、いても疎遠だったりすると、なかなか「ご家族様」にはなれない。高齢者が施設に入居したり、病院に入院したりする時、「ご家族様」を確保するのはなかなか大変なことなのだ

後日、施設の方にお話を伺った時、入退院でまず必要なのは人員の確保と言われた。非常事態の時は特に必要になると言われた。介護するにしても、身元引き受け人になるにしても、1人ではなかなか背負いきれないものがある。緊急時にも対応できるように、できるだけ関われる人が多い方が良い、それは大事なことだと言われた

どうしても「ご家族様」が確保できない時はどうしたら良いのかと伺ったら、成年後見人とか自費で雇うヘルパーさんとかがあるが、いずれにしてもかなり高額になると言われた。

人の縁を頼るか、それがなければしっかり貯金しておくか。高齢に向けてなかなか大変な問題が待っている

 

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これが最後かも

2024-08-19 13:56:07 | 終活

先週末、トラピックスが募集していたツアーで「諏訪湖湖上花火大会」に行ってきた。台風17号の接近と地震の注意情報が出された中でのツアーだった。中止になるのではないかと心配したが、無事に開催され、無事に終わった。が、疲れた~ 大いに疲れた

花火見物なので(もう一つの目玉が「阿智村での星空観察」)、当然夜がメインのツアーだった。二日ともホテルに帰りつくのが夜中というハードなスケジュールだった。これまでも夜のイベントがメインのツアーに参加したことがあるが、今回ほど疲れたと思ったことはなかった。寄る年波を感じた。

今回のツアー、行く前からあまり乗り気ではなかった。〈もうそろそろ団体旅行も終わりかなあ~〉という気持ちがあった。行ってみてやっぱりハードスケジュールの旅行はもう無理だと思った。旅行に行くにも、体力・気力・時間・お金等々が必要で、何かが欠けるとなかなか思い通りの旅は出来ない。年とともに、体力・気力とも段々と衰えてきていつか〈もうここまででいいわ〉となる時が来るだろうと思っていたが、どうやらそんな時が来たようだ。

私がこれまで行った旅行など、本当に旅行を趣味にしている人からするとまだまだ行きつくしていないだろうが、それでも各地を旅して楽しい思い出がたくさん作れた。いい経験が出来たと思っている。団体旅行のハードスケジュールの旅はもうしないと思うが、気が向いたら近場の温泉にでも行ってみようかなと思っている。(いよいよ年寄り

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玄冬の生き方

2024-06-09 11:06:04 | 終活

久しぶりの雨で、木々も草花も大地も充分潤ったようだ。人間はというと、今日は少々肌寒く、またまた重ね着をしている。この雨も一過性で明日は晴れるとか。梅雨入りはもう少し先になりそうだ。

青春・朱夏・白秋と生きてきて、玄冬の入り口をくぐったところだ。少し前までは人生80年といわれていたので、還暦から先が玄冬になるかと思っていたが、あれよあれよという間に人生100年と言われるようになって、75歳の後期高齢者が玄冬の入り口になってしまった。

生まれた時は、みんな一緒だった。戦後間もない頃は、着るものも食べるものもどこの家とて大差なく、貧しかった。格差というほどの格差もなく、みんな生きるのに精いっぱいだった。朱夏の働き盛りを何とか勤め上げ、定年・退職。白秋は子育ても仕事も終え、ホッと一息ついた。さあ、これからは自分のために生きるぞ~と、自由気ままに過ごしてきた。そして、今、玄冬の入り口に差しかかっている。後は・・・

後期高齢者になってみると、この先の生き方は各人各様に様々だなあ~と思えてくる。生まれた時には、幼い頃には、さほど違いを感じなかった生き様だったが、終わり方は千差万別。お手本になるものはどこにもない。そもそも正解がない。それぞれ自分にあった道を歩むしかない。しっかり準備をするも良し。成り行きに任せるも良し。後の者に丸投げするも良し。さて、私はどうするかなあ~

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開花宣言

2024-04-01 13:14:13 | 終活

4月になった。新年度の始まり、孫娘も今日からピカピカの新社会人。「渡る世間に鬼はなし」なのか「敷居またげば7人の敵あり」なのか・・慣れないことだらけだろうが、元気で頑張って欲しいと願うだけ。

ウチの桜、今朝ウオーキングの時に見ると10輪ばかり花が咲いていた。開花宣言である。去年の開花日は3月24日だったので8日遅れということになる。周りの桃畑の桃の花も日に日に花の数を増やしていて、しばらくは桜と桃の饗宴を楽しむことが出来るだろう。

弟が急性期病院から回復期病院へ転院することが決まった。その後は症状に適した施設への入所になるだろう。たった半月ほどの間に人生がガラッと変わったようで、当人の心のうちは如何ばかりかと思いやる。が、現実は厳しく、感傷に浸っている場合ではなく、私も含めて周りの者は、いろんな手続きに戸惑いながら奮闘している。

幸か不幸か、弟の住まいは実にシンプルだった。物が少なく書類類もかなりきちんと整理されていたので、諸手続きはかなりスムーズにできつつあると思う。他人の家を空にする作業は、母の住まいを整理した時以来だが、母の場合は物の多さに本当に参った。契約解除の仕事もややこしい。一つ一つ解約していくのだがこれからが難儀だ。

人の後始末をしながらつくづく思うのは、自分の後始末のこと。まだまだ整理ができていない。今認知症にでもなったら、まったくお手上げだろう。意識がはっきりしているうちにやれることはやっておかないと・・と、心底思う。

 

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告知

2024-03-06 13:47:54 | 終活

年明けから書き進めていたエンディングノート、やっと一通り書き終えた。が、今だ書ききれていないページが1つある。「告知」のページだ。〈病名の告知〉〈余命が判明した時の告知〉、このページはなかなか気持ちが決まらず残ってしまった。

エンディングノートを書きながら思ったのだが、このノートは、後を託す人の手間を少しでも少なくするとか、私のお願いを書いておくものだと思っていたのが、実は、自分自身の身の回りの処分・整理ではないかと・・

このエンディングノートを書くのに、スムーズに書き進めたところもあったし、かなり時間がかかったところもあった。横道にそれてしまい、1日かけて系図を完成させたこともあった。時間がかかったのは、「写真と各種データについて」のページと「WebサイトのIDについて」のページ。紙に書かれたデータは見えるので整理はわりと楽だったが、データはなかなか手強かった。重複しているデータや保存の場所が分からないデータもあって、これまでいかにいい加減にデータ保存をしていたかを思い知らされた。整理するのに難儀した。

ひとまず書き終えたが、人の気持ちはいつ変わるとも知れないので、ノートは全部鉛筆書き。「告知」のページはもう少し時間を置いて、本当にそのような事態になったらどう思うだろうか、自分の気持ちに納得してから書き足そうと思っている。

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