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萌ちゃんのひとりごと

後期高齢者になりました。老いという壁をどう乗り越えていくか
難題に向かって、試行錯誤のあがきを綴ります

すわ、消費者センターか

2024-01-30 11:00:16 | 日記

土曜日、ゆうパックで小包が届いた。配達人さんはお届け先であるウチの住所・氏名は確認してくれたが、送り主の名前や品名は言われなかった。伝票が細かい字で書かれていたので、よく確認もせず宛名がダンナだったので受け取った。その後、老眼鏡をかけてよくよく見ると、送り先に心当たりはなく、品名が「美容マスク」とは、これまた全然心当たりなし。ただ、備考の欄に次男の嫁さんからの依頼と書かれていた。とはいえ、今頃は他人の住所・氏名などを入手することなどプロの詐欺師などには朝飯前だ。これはきっと、よく言われている「送り付け商法」に違いない、〈すわ、消費者センターにご注進!〉と思った。が、土曜日ゆえ市役所は閉庁、郵便局もしまっている。仕方ない月曜日だ・・と思った。

しかし、念のため、嫁さんに確認してみようとメールすると、〈それ、私用のものです。すみません、送り先の住所、前回使ったものを利用したみたいで誤送付です〉との返信。ああ~そうなんか~。それならそれで良い。一件落着だ。

土曜日で良かった~。平日だったら、即市役所へ直行していたかも・・やばいところだった。驚いたり、慌てたり・・こんなこともありなのかと、納得した。被害者意識過剰だったかもしれないが、これくらい気を付けておかなければ、昨今の詐欺手口には対処できない。本当にちょっとした気のゆるみ・迷いをついてくるのだから。ご用心!ご用心!

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エンディングノート

2024-01-24 14:32:01 | 終活

今日は寒い!ものすごく寒い!! 朝、頑張ってお堂まで歩いてきたが、お供えしているお水や手水鉢の水はカチコチに凍っていた。寒暖計は0℃をさしていた(9時時点で)。今季最低気温 暖冬とはいえ冬は冬、何度かこういう思いをしなければ春はやって来まい。大寒だもの仕方ない、辛抱・辛抱・・・

今週に入ってから広報の校正をしているが、やっと一段落着いたのでエンディングノートの記入を再開した。エンディングノートは時間がある時に少しずつ書き加えている。先日、家族・親族の所を書き込んだ。いろいろ資料を探していたら、ダンナの親の戸籍謄本が出てきた。旧民法方式で書かれたものだったので、かなり昔までたどれた。といっても、たかだか六代前までだが。生年・死亡年が分かっているのは五代前までだった。

五代前のジイサマは幸右衛門さん、生まれは文化11年(1814)12月2日、死亡届は明治24年11月24日になっている。その前のジイサマは勇蔵さん、幸右衛門ジイサマが25歳ぐらいで生まれたとしたら、勇蔵ジイサマの生まれは1790年頃?になるのだろか・・先祖が江戸時代までたどれるなんて何かロマンを感じる。 エンディングノートを書いていて、こんなことに遭遇するとは思っても見なかった。系図をたどったり、昔の地図を調べたりするのは大好き、ワクワクする。

謄本をよくよく見ていると、協議離婚がかかれていたり、子供の認知で裁判になったりと、今と同じようなドタバタが垣間見れて、昔も今も変わらんなあ~とおかしくなった。 

もう一つ、気になったのは女性の名前、昔なのに洒落た名前が出て来たり、〈何でこんな名前を付けたんだろう~!〉という名前があったり・・面白い。すごいモダンな名前と思ったのは、幸右衛門ジイサマの妻、〈佐遠〉さん。〈サト〉と読むのだろうと思ったら、謄本にはご丁寧にフリガナがふってあって〈サツ〉となっていた。〈サト〉の方が断然良いのに・・何代か後には〈亀〉さんというのがあった。この名前はご遠慮する。 

あれこれひっくり返して調べていたら、午前中かかってしまった。思わぬ時間を取ってしまったけど楽しかった。

 

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大寒

2024-01-21 10:21:33 | 日記

昨日は大寒だった。1年で最も寒い時期に入った。が、このところ寒さは一休みしている。やはり暖冬気味である。来週は一転して厳冬になるという予報だ。油断はできない。

ローリングストックしている保存水が期限切れになりそうなので新しいものを買い求めたが、期限間近なもので、〈水って、生活するのにどれくらい必要なのか〉試してみた。やや辛抱して、2リットル入りのものが、朝昼夜で各1本は必要(二人家族で)。ものすごく我慢して、最低1日2本。2リットルボトルはあっという間に空になる。水なし生活は恐怖だ。

災害がおきれば停電・断水は避けられない。電気の方は比較的早くに復興しているが、水は3ヶ月ぐらいかかっているようだ(阪神淡路大震災や西日本豪雨災害等で)。その間は給水車頼みだろう。その給水車とてすぐに来るとは限らない。やっぱり自助で水を確保しておかなければなあ~

今、うちには保存水が2リットルボトルで12本あるが、これでは4日~6日しか持たない。もう1ケースは補充しないとな~。それとて飲料水だけ、生活用水は・・? 池にでも汲みに行くしかないか。体力が持つかが問題だ。

南海トラフ巨大地震の発生確率、30年以内に70%から80%・・自分が生きているうちには大丈夫だろうと思うか、間近に危機が迫っていると思うか、どっち?

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阪神淡路大震災

2024-01-17 13:31:00 | 日記

阪神淡路大震災から 今日で29年になる。 テレビでは今朝から 慰霊のための 式典が 放映されている。 あの 震災から数年後、 婦人会の研修旅行で 震災の 実情を 知るために 防災センターへ 勉強に行った。 写真や映像で当時の様子を 見たり、語り部の人の話を聞いたりした記憶がある。 その時、語り部の人が災害に備えて是非 笛を 身につけておいてほしいと言われました。 防災センターには、身に着けても邪魔にならないような 笛が売っていた。実際に大災害を体験された人の言葉は重く、これは 是非とも必要だと思って買い求めた。

笛はプラスチック製で身に着けていても冷たくないし、平べったいので邪魔にもならない。裏に名前や住所、血液型などを書いた紙片があったのだがなくなった。ねじも壊れて、今は紐を結んでいる。かなりくたびれているが、良く響く笛で、危機的状況に陥っても、自分の存在を遠くまで知らせるのに役立つと思う

 それから当分の間、 肌身離さず 首からぶら下げていたが、 慣れというのは恐ろしいもので、 その後 大した災害も起きないので、いつしか身につけることを 忘れて、放置していた。 そして、13年前に東日本大震災が起きた 。まさに「災害は忘れた頃にやって来る」だった。ハッと初心に帰って 再び笛を身につけるようになった。

その後は熊本地震、 西日本豪雨と大きな災害が続き、笛を外すという間合いはなくなった。この笛が 役に立つようなことは、大災害は起きて欲しくないが 、本当に いつ 何どき 大災害が我が身に降りかかってくるかはわからない昨今、 命を救う笛だと思って 今日も 首からぶら下げている。

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宇江佐真理さんの遺作

2024-01-12 14:39:08 | 日記

お正月に読もうと思って図書館で借りた本の1冊が「うめ婆行状記」(宇江佐真理著)。なくなる前まで連載していた新聞小説を単行本にしたものだ。宇江佐さんの本は江戸を舞台に書かれたものが多いが、人情の機微を丁寧に書かれる作家さんで、好きな作家さんの一人だった。

「うめ婆行状記」は一度読んだことがあるのだが、ストーリーはほとんど忘れていた。初めて読んだような気がした。連載小説は2016年3月15日分の掲載が最後で、未完のままで終わっている。単行本の最後にも《未完》とある。宇江佐さんはきっと、まだまだ書きたいことがいっぱいあったと思う。私ももっと宇江佐作品を読みたかった。本当に残念!彼女の死が惜しい。

宇江佐さんの最後の声は、読む人の環境や立場によって読みとらえ方が違うだろう。私は(後期高齢者となった既婚女性として)、二つの言葉が胸にストンと落ちた。

一つは、「・・・食事の支度をして、洗濯をして、掃除をし、買物をする。そんな女の毎日をつまらないと思うことがあったが、それが実は生きている張りでもあったのだ。それに比べたら、男なんて仕事をするばかりで他は何もできない者が多い。女に生まれてよかったと、うめは改めて思った。・・・」

家事って、やってもやって終わる仕事ではないし、ホントこんなこと死ぬまで続けるのかと思うとうんざり!と、ついこの間まで思っていた。が、歳を重ねるごとに体力・気力の衰えを感じるようになり、死ぬまで〈家事〉という、やらなければならない仕事があるのは、むしろ良いことではないかと思うようになった。料理など結構頭を使うし、ボケ防止にもなるのでは・・とも思ったりしている。

もう一つは、「ほら、昔は羽振りがよく暮らしていた人でも、年寄りになって落ちぶれることがあるじゃない。それよりも、昔は苦労をしても、晩年は安気に暮らせるほうがずっといいいと思うよ」と、うめ婆が言ってるところ。

この歳になると、昔のことがボーっとしてくる。うれしかったことも、悲しかったことも、腹が立ったことも、なんか、霞がかかったようにボーっとしてくる。なんであの時あんなにいきり立ったのかと、我ながら笑えてくる。今はただ、大きなケガや病気をせず、日々穏やかに暮らせたらそれで十分と思える。

宇江佐さんが、もし、うめ婆に自身を重ねていたとしたら、日々平穏に、好きな小説を書いて過ごせたら、それだけでいいのにと思っておられただろうか。読者としては、そうして欲しかった。そして、宇江佐さんの本、もっと読みたかった。

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