平泉は奥州藤原氏三代により
約100年ものあいだ栄えた都である
金と馬で財を成した藤原氏により
中尊寺をはじめとして、毛越寺・無量光院・伽羅御所など
京の都にも引けをとらない豪華絢爛の寺院・館が建てられていたが
源頼朝軍の攻撃やその後の火災で、ほとんどの建物が消失してしまった
(金色堂は残ったが)
今は中尊寺以外何も残っていない
芭蕉は「奥の細道」で知られるように
江戸初期に東北・北陸の俳文紀行でこの地を訪れている
見る影もなくさびれた平泉をみて、有名な俳句を詠んでいる
その頃(江戸初期)、金色堂は木造の鞘堂で覆われていたが
出入りは自由で、金箔などがはぎとられていたという
今はコンクリートの覆い堂で覆われており
さらに、中はガラスのケースで保護されている
金色堂のそばに、芭蕉の像と句碑が建っている
「五月雨の 降り残してや 光堂」

芭蕉の像とかつての鞘堂(木造)
さらに、頼朝軍の侵攻で激戦となり
多くの死者を出した衣川の古戦場を見て
「夏草や つわものどもの 夢のあと」
と詠んだ
若い頃、源義経に陶酔していたことがある
すごくファンだった
義経の最後の地が平泉だった
一度は絶対に訪ねてみたいと思っていた
中尊寺の目の前に「高館」と言われている
小高い丘がある
奥州に逃れ、秀衡にかくまわれた義経が
妻子・家来らと共に暮らしていたところだ
泰衡に攻められ、自刃して果てたところと言われている
900年ほど前、絢爛豪華な都があり
源氏によって滅ぼされた幻の都
300年ほど前、芭蕉が訪れ
栄枯盛衰の哀れを詠み
そして、今は世界遺産に認定されて
多くの人々が訪れている
私はただ、昔この地に義経がいたんだとしみじみ思っただけ
衣川のほとりは、春のうららかな日を浴びてのどかだった
栄華も戦いも廃墟も、何もなかった

衣川のほとり、古戦場跡
約100年ものあいだ栄えた都である
金と馬で財を成した藤原氏により
中尊寺をはじめとして、毛越寺・無量光院・伽羅御所など
京の都にも引けをとらない豪華絢爛の寺院・館が建てられていたが
源頼朝軍の攻撃やその後の火災で、ほとんどの建物が消失してしまった
(金色堂は残ったが)
今は中尊寺以外何も残っていない
芭蕉は「奥の細道」で知られるように
江戸初期に東北・北陸の俳文紀行でこの地を訪れている
見る影もなくさびれた平泉をみて、有名な俳句を詠んでいる
その頃(江戸初期)、金色堂は木造の鞘堂で覆われていたが
出入りは自由で、金箔などがはぎとられていたという
今はコンクリートの覆い堂で覆われており
さらに、中はガラスのケースで保護されている
金色堂のそばに、芭蕉の像と句碑が建っている
「五月雨の 降り残してや 光堂」

芭蕉の像とかつての鞘堂(木造)
さらに、頼朝軍の侵攻で激戦となり
多くの死者を出した衣川の古戦場を見て
「夏草や つわものどもの 夢のあと」
と詠んだ
若い頃、源義経に陶酔していたことがある
すごくファンだった
義経の最後の地が平泉だった
一度は絶対に訪ねてみたいと思っていた
中尊寺の目の前に「高館」と言われている
小高い丘がある
奥州に逃れ、秀衡にかくまわれた義経が
妻子・家来らと共に暮らしていたところだ
泰衡に攻められ、自刃して果てたところと言われている
900年ほど前、絢爛豪華な都があり
源氏によって滅ぼされた幻の都
300年ほど前、芭蕉が訪れ
栄枯盛衰の哀れを詠み
そして、今は世界遺産に認定されて
多くの人々が訪れている
私はただ、昔この地に義経がいたんだとしみじみ思っただけ
衣川のほとりは、春のうららかな日を浴びてのどかだった
栄華も戦いも廃墟も、何もなかった

衣川のほとり、古戦場跡



・・かなり抵抗があった









