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こんにちは亀さんです

住民の願いが政治に届くようにと日本共産党石川1区(金沢市内)で活動しています。

反戦川柳作家との出会い

2016-03-15 16:31:12 | 日記

14日は羽咋市とかほく市で行動でした。20日隣の宝達志水町で演説会(弁士は井上さとし参議院

議員、党参院国対委員長、比例代表たけだ良介さんと私も挨拶します)をするので案内かねて街頭

からの訴えと署名、施設や団体、主だったかたにお願いに回りました。「共産党はよくやった」と

おほめも頂き、野党共闘と国政転換への希望ある話が聞けます。

かほく市では鶴彰企画で尽力いただいたお寺や有力な方にご案内。次の行動

までの時間利用して、地元の高橋市議と一緒にふるさと偉人館にある鶴彰の展示室を初めてお邪魔

しました。反戦川柳作家として有名な鶴彰(つるあきら)の全体像をつかめる資料展示室が会館2階

にあります。運営はボランテイア、全国各地からファンが来られます。私は全く不案内で、2009

年に神山征二郎監督がメガホンとり、出演者も半ばボランテイア的に努力された映画「鶴彰ーこころ

の軌跡」を観るまでは、石川県でこんなに反戦川柳作家として名をはせた人がいるとは知りませんでした。

  鶴彰は日本が中国への侵略戦争に乗り出す時期

に、目覚め、わずか29年でその生涯を終えました。小林多喜二などと同様、時の権力による弾圧に

めげず反戦を貫き、そして若くして命を絶った一人です。最初はロマンチックな句を詠んでいた少

が時代の荒波の中で目覚めていきます。中国への侵略が進む中「万歳とあげて行った手を大陸へおい

て来た」「枯れ芝よ!団結をして春を待つ」などが詠まれます。死に至る時期には「胎内の動き知る

ころ骨(コツ)がつき」なんともいとしい句、「暁を抱いて闇にゐる蕾」「手と足をもいだ

丸太にしてかへし」など、映画鑑賞時に、何度も目にした句でした。

鶴のような若者が反戦、平和を命かけてたたかった、その思いが今、「二度と戦争しない」との体験

者はもとより、戦争知らない世代が起ち上がるに連なっていると実感します。

    

 

1階は町の方のサロンとなっています。この日も女性の方たちが何やら

制作活動とおしゃべりに。また市内各地での訪問活動をし、内灘町に。訪問先の玄関にきれいな

花が。アートフラワーでしょうか。思わず「少しください」とお願いし、頂きました。本日は

ホワイトデー。先日買ったチョコレートに花を添えて、家族へ感謝のお返しです。