5年前の3月11日は、県議会で新年度予算審議を傍聴していました。議会も揺れ、その
後テレビで惨状を見て、この世にこんなことあるのか、驚きました。
全国各地から支援のボランテイア活動
が始まりました。日本共産党もすぐ支援活動にはいり、私は7月上旬に現地の方々に迷惑
かけず自分たちで運営するため、受け入れ要員として働くべく、釜石市にある共産党事務
所に派遣され、3週間、北陸信越地域の共産党中心としたボランテイア受けいれの活動に
参加しました。金沢から自分の車運転し、約9時間かけて現地到着、翌日は朝から車で、
歩いて現地の事情や地理など知ることから始めました。
毎日4時頃起きて、活動し、10時頃
に眠る生活。毎日のように各地から支援物資が寄せられ、事前にチラシ案内を配り、数十
か所ある仮設住宅広場での「青空市」を開催します。被害を受けられた方がたの被災状況
と要望をお聞きする活動で「うちの夫を奪った海が憎い」「今も流された実家の方向いて
寝れない」「バス停まで歩くの大変、便数増やしてほしい」「下着類があると助かる」
様々な要望をお聞きしました。仮設に入っても他人ばかり、悩みなど交流できればと「お
茶っこ」と呼ばれるサロン活動もしました。ボランテイア参加の人たちと現地被災者との
交流、被災現場の案内、1日おきに支援活動状況知らせるニュース発行など。自ら被災し
ているのに世話をやく、全国から支援活動する共産党の献身的な活動に、現地の方から感
謝の言葉も頂きました。
東北から避難された住民の方たちと交
流が続けられています。5年目の11日、旧県庁のしいのき前で「キャンドルナイト」が
企画され参加しました。福島などから避難された方々が、今の思いを言葉で、音楽で語っ
てくれます。綾部市に避難され、金沢での発表に参加されたおかあさんの方言による詩の
朗読を聞きながら、5年前の支援活動を思いおこしていました。てづくりのキャンドルナ
イト企画に参加した人は被災者支援、ともに生きる、原発は要らないなど、それぞれの思
いをめぐらしたことでしょう。
5年前に比べて「生活が苦しい」と答え
る方が7割いる、しかも年々増えているのアンケートは、道路などインフラが整備されても、
生活と生業がまったく満足できるものでないことを示しています。むしろ精神的負担も加わ
り、関連死が増え、特に原発被害の福島で多いと聞きます。一方的な線引きなどで支援を打
ち切るのでなく、国と特に電力会社は最後の一人まで援助する義務があると思います。
数日前に出た高浜原発運転停止の判決は、被災者の方に小さくない希望も与えてくれた画期
的な判決だと思います。被災者の復興と原発なくせの思いを強くした一日でした。