この一週間は訪問しました。「粟津温泉は旅館ごとに自家源泉もっているから、旅館
ごとの楽しみがあり、湯治楽しむお客さんもいるし、家族づれもいるんです」以前組
合役員の方にお聞きしていました。老舗旅館もあります。しかしいずれの旅館も浮き
沈みがはげしく仲居さんは安定して働けず、近くの民医連の診療所が健康相談や生活
相談活動もしています。
私が以前お世話になった友の会事務局
長さんの案内で街の散策。知己のスーパー店主に景気をお聞きすると「平成5-6年
がピークで今はその半分ぐらいの売り上げ、以前は旅館から注文もあったけど、今は
激減。規制緩和がされたからやな。もう長い間、自分の給料は出しておらん。いつま
で我慢できるかな?消費税?やっとれんよ」と店主さん。どのお店も、景気がよくな
りお客さんに来てほしい、利用してほしいの願いです。
白山市で、久しぶりに名物おじさん訪問しました。確か3年前
も訪問し、創業が1922年、共産党と同じ年齢だと会話がはずんだこと思い出しま
した。以前も消費税もらっていなかったとか。「仕入れはちゃんとかかっとる、でも
製品と違って、修理代だからサービスしてと言われ、結局消費税分値引きや。5%以
来、全部持ち出しや。昭和40年代、石川県にも職人が250人いた(見たら私が存
知あげていた靴店の名前も)が今はわし入れて4人、福井富山にはいない。修理で食
えなくなった」。見たら使いこんだ靴の修理依頼が、「人それぞれ癖がある、この人
はボロボロになっても履き慣れた靴に愛着あるので、修理してほしいと、皮で修理す
る糸は傷つけんようにイノシシの雄の毛を使うんよ。3千円以上になるかな」「底が
痛み見ると紙底や、表面から見えないから。問屋機能がないので靴一足分でも一枚1
万ー2万の皮ロール手当しなくてはならん、お客からもらえるの1000-2000
円、90%以上残る、もったいない」「技術の継承と言われて、話をするけど、食べ
ていけなかったら若い人にも言えん、技術、職人が食べれるようにしてほしい」話は
つきません。表具店寄っても、和式の部屋など少なくなり、今月は売上6万、年金と
合わせてやっとだとのお話でした。「ひどい娑婆や、ワシラが生きれるような社会に
なってほしい」政治を変える必要性を痛感しました。
羽咋で、年金者組合の役員やっている方の知人など訪問。シベ
リア抑留で俳句の名人の方。「抑留はシベリアのどこですか」「**」「マガダンま
で行かない、じゃコムソモール・アムールの近くですね」長くロシア貿易に携わった
こと、友好運動で抑留者の体験聞く会を組織したことなどお話し、「つらい日だっ
た、帰国後数年間は警察の尾行もついた。ソ連を憎んだこともあったが、むしろ戦争
させないほうが大事だ、戦争法廃止、その通りだ」戦後労働運動・内灘闘争にもかか
わったとお聞きし、石川県の私鉄の労働運動なども意見交流しました。お互いに相槌
をうちながら、楽しいひと時の会話に。とても90近い方とは思えません。「野党が
共闘、いいことや、あんたも頑張れ」しんぶん赤旗も購読いただきました。70-8
0人ぐらいの方々と、1分から30分ほどの会話でおおいに勉強になりました。