8月6日は広島に9日は長崎に原爆が投下され、69回目の夏がやってきます。

県内にも100名を越える被爆者がおられるそうです。4歳のとき広島で被爆した西本
多美子さんは、自らの被ばく体験を県内外、そして国外でも伝え、そして被爆者の原爆症
認定支援に精力的に奔走されています。彼女の活動ぶりを冊子「広島のピカ」でも紹介
されています。被ばくされた方が80才前後であり、ゼロ歳(自分で被爆したことを証言
できない)で何があったかわからない人を含めて、国に認定させる運動の大変さを語って
います。生後3ケ月で被爆した天涯孤独の人、突然倒れて入院したが、字の読み書きも
できず、年金の受給手続きさえしていなかった。この人への手続き、そして原爆症認定
への申請運動に奔走する。西本さんは自らも癌とたたかいながら、必死にがんばって
います。問題は対象の人たちが高齢であり、時間とのたたかいだと言われます。

被爆の実相を語り継ぐ上で、頼もしい人たちが登場しました。父や母が被爆したその子ども
たち、2世のひとたちです。その一人の池田さんのことを8月5日の地元紙・北陸中日新聞が
報道しています。海軍隊員だった父が原爆投下のあと広島に入り、被爆。戦後まもなく死亡
したが、被爆手帳もなく、経済的負担が大変で、苦労した池田さんは、父の死亡のルーツを
探ると共に、2世の人たちと会をつくり、核兵器のない世界へと活動を続けています。

今年も県庁19階ロビーで「原爆と人間」展が5日から開かれた。実行委員会の青海事務
局長が挨拶し、佐藤県議、そして相川県健康推進課長がお祝いを述べた。写真パネルは
英語だけでなく中国語も書かれているし、漫画「はだしのゲン」の紙芝居も同時に展示
されている。

県内にも100名を越える被爆者がおられるそうです。4歳のとき広島で被爆した西本
多美子さんは、自らの被ばく体験を県内外、そして国外でも伝え、そして被爆者の原爆症
認定支援に精力的に奔走されています。彼女の活動ぶりを冊子「広島のピカ」でも紹介
されています。被ばくされた方が80才前後であり、ゼロ歳(自分で被爆したことを証言
できない)で何があったかわからない人を含めて、国に認定させる運動の大変さを語って
います。生後3ケ月で被爆した天涯孤独の人、突然倒れて入院したが、字の読み書きも
できず、年金の受給手続きさえしていなかった。この人への手続き、そして原爆症認定
への申請運動に奔走する。西本さんは自らも癌とたたかいながら、必死にがんばって
います。問題は対象の人たちが高齢であり、時間とのたたかいだと言われます。

被爆の実相を語り継ぐ上で、頼もしい人たちが登場しました。父や母が被爆したその子ども
たち、2世のひとたちです。その一人の池田さんのことを8月5日の地元紙・北陸中日新聞が
報道しています。海軍隊員だった父が原爆投下のあと広島に入り、被爆。戦後まもなく死亡
したが、被爆手帳もなく、経済的負担が大変で、苦労した池田さんは、父の死亡のルーツを
探ると共に、2世の人たちと会をつくり、核兵器のない世界へと活動を続けています。

今年も県庁19階ロビーで「原爆と人間」展が5日から開かれた。実行委員会の青海事務
局長が挨拶し、佐藤県議、そして相川県健康推進課長がお祝いを述べた。写真パネルは
英語だけでなく中国語も書かれているし、漫画「はだしのゲン」の紙芝居も同時に展示
されている。