終戦69年目の15日、「不戦」「平和」への思いを新たにしました。
午前中は、共産党の佐藤県議、森尾市議、尾西前県議らと一緒に駅前から、憲法9条があるから、戦後日本
が誰一人殺さず、世界から信頼を得ていたのに、これを根底から覆し、「戦争する国]への道を突き進む
安倍政権の暴走、「亡国の政治」をやめさせようと訴えました。帰省客、観光客が多い駅前、親指をたてて
サインする外国人、車から手をふる若い人たち、宣伝カーの傍まできて頑張ってと激励をする人など、多く
の激励。
今年は、日本が本格的な対外への侵略を始めた日清戦争(1894-5)から120年、日露戦争(1994-5)
から110年、第一次世界大戦(1914-18)から100年にあたります。第二次世界大戦の痛苦の教訓から
「言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍から将来の世代を救い」と明記された国連憲章、そして世界
に先駆けて戦争放棄を宣言した憲法9条があります。しかし、安倍政権は、昨年に続いて靖国神社に玉ぐし
料を奉納し、加えて政府主催の戦没者追悼式でも、アジア諸国への「加害」の反省や「不戦の誓い」を意図的
に削除しました。
昼、昨年に続いて等願寺さん(石引町)での平和の鐘つきに参加しました。例年15日は珠洲の実家での墓参
りですが、昨年今年と平日のため、参加できました。お御堂で参加者が一言づつ思いを語ります。福島からの
避難者は原発から25kmの自宅には家も畑もそのまま、政府は大丈夫だから帰れ、1年以内に帰ると90万円の
補助が出るのアメの宣伝、数値が高くて農業が出来ないのに、現地から帰るか帰らないかの瀬踏みを迫られる
状況、身体はこちらでも心はずっと福島と心境を語り、その中でも大飯原発停止の判決と東京電力の経営者4人
への起訴相当の検察判断はとても勇気づけられると語りました。医療施設に勤務する方は、当初は拒絶していた
戦争体験者が重い口を開いて戦争体験を語ってくれたこと、その後ご自宅でのうなき声がなくなった
(奥さんの言葉)の戦争のもたらす悲惨さを紹介しました。
平和への願いをこめて、各地で「原爆と人間展」が開催されています。県庁19階展望台ロビーでも被爆パネル
と共に、はだしのゲンのマンガも展示されています。
「今年もまた見にきました。毎年毎年 被爆・原発のない世界になる気持ちを新たにします。フクシマは悪化
の一途。『微力でも無力ではない』この言葉を胸にこれからも」(福島からの被災者)
「はだしのゲンを初めてみました。学校でも戦争の話しを聞かせてほしいです。今の子どもたちは何も知らな
いのです」(30代の主婦)
1人ひとりの思いと行動がやがて政治を変えます。
午前中は、共産党の佐藤県議、森尾市議、尾西前県議らと一緒に駅前から、憲法9条があるから、戦後日本
が誰一人殺さず、世界から信頼を得ていたのに、これを根底から覆し、「戦争する国]への道を突き進む
安倍政権の暴走、「亡国の政治」をやめさせようと訴えました。帰省客、観光客が多い駅前、親指をたてて
サインする外国人、車から手をふる若い人たち、宣伝カーの傍まできて頑張ってと激励をする人など、多く
の激励。
今年は、日本が本格的な対外への侵略を始めた日清戦争(1894-5)から120年、日露戦争(1994-5)
から110年、第一次世界大戦(1914-18)から100年にあたります。第二次世界大戦の痛苦の教訓から
「言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨禍から将来の世代を救い」と明記された国連憲章、そして世界
に先駆けて戦争放棄を宣言した憲法9条があります。しかし、安倍政権は、昨年に続いて靖国神社に玉ぐし
料を奉納し、加えて政府主催の戦没者追悼式でも、アジア諸国への「加害」の反省や「不戦の誓い」を意図的
に削除しました。
昼、昨年に続いて等願寺さん(石引町)での平和の鐘つきに参加しました。例年15日は珠洲の実家での墓参
りですが、昨年今年と平日のため、参加できました。お御堂で参加者が一言づつ思いを語ります。福島からの
避難者は原発から25kmの自宅には家も畑もそのまま、政府は大丈夫だから帰れ、1年以内に帰ると90万円の
補助が出るのアメの宣伝、数値が高くて農業が出来ないのに、現地から帰るか帰らないかの瀬踏みを迫られる
状況、身体はこちらでも心はずっと福島と心境を語り、その中でも大飯原発停止の判決と東京電力の経営者4人
への起訴相当の検察判断はとても勇気づけられると語りました。医療施設に勤務する方は、当初は拒絶していた
戦争体験者が重い口を開いて戦争体験を語ってくれたこと、その後ご自宅でのうなき声がなくなった
(奥さんの言葉)の戦争のもたらす悲惨さを紹介しました。
平和への願いをこめて、各地で「原爆と人間展」が開催されています。県庁19階展望台ロビーでも被爆パネル
と共に、はだしのゲンのマンガも展示されています。
「今年もまた見にきました。毎年毎年 被爆・原発のない世界になる気持ちを新たにします。フクシマは悪化
の一途。『微力でも無力ではない』この言葉を胸にこれからも」(福島からの被災者)
「はだしのゲンを初めてみました。学校でも戦争の話しを聞かせてほしいです。今の子どもたちは何も知らな
いのです」(30代の主婦)
1人ひとりの思いと行動がやがて政治を変えます。