みやちゃん日記

気侭に書き込みます。

年間3900円

2008年02月19日 | Weblog

 朝9時に社会保険事務所に電話する。

持って行くものを確認したかったからである。

で、証書と印鑑を持って行ったら沢山の人で

私は32番夫に電話するから一度帰ってと

言いに行ったら夫は市場へ行って来ると車を出す

処だった。

何のことはない、結婚して夫が暗がりから

暗がりまで帰ってこないのに退屈だったので

殿町にあった会社へ働きに出たのだが

流産して1ヶ月余りで止めた。そこで一ヶ月分

厚生年金をかけてくれてあったらしくてその分が

今まで貰っていなかったためで年間3700円

下さることになった。

さかのぼってもらえるようだがこんなような方が

大勢いて今のようなことになっているのだと

思っていたが、案の定だった。

夫の会社以前にどこか働いたことが無いかと

言われたが忘れていてこんな会社を

知っているかといわれてようやく思い出す始末。

保険が掛かっていたかもお勤めしたことさへ

忘れていた。

気の長い話だが、今から半年先ごろに整理して

その後で5年分は一括で払いその後は毎年と

言っておられたが、兎に角3万円か5万円の

話だと思う。折角下さるということなので

ありがたく頂けばいいのだが、本当に

度忘れをしていたためご迷惑をおかけしましたと

いって帰った。

たとえ5万円でもあっても無くても生きていける

金額だが、私は大金はご縁がないがこんな

小金に縁がある。

いつか同じ年の方はもらえないのに私は

1万円貰ったとかもう一度そんなことがあった。

それでも感謝しないと罰が当たると思っている。

まさか私にも関係あったなど思っても

いなかったのに・・・

夫はイチゴ1箱とバナナ1房を買って来てくれた。

きょうは収穫のある日だった。


社会保険庁から手紙

2008年02月18日 | Weblog

 今日は朝のうちは雪のため混雑して2回も

遅れるという電話が入った。

量的にはそうでもなかったが戸口までの送り迎えが

原則なので細い道まで入ったりするとこんなことに

なると思う。

お昼過ぎは晴れていたが、夫の定額貯金が

昨日満期だったので30分早く夫に迎えに来て

もらって書き換えに行ってきた。

こんなことぐらい自分のだから行ってもらわないと

困るが銀行も郵便局も絶対行かない。

だから業をさらして生きていかなければならない

ことになる。

 

 きょう私宛に年金の照合の郵便がきた。

今貰っている年金の月数より46ヶ月についての

問い合わせである。それだけについて今まで

貰っていなかったのでもしかしたら何がしか

増えるかもわからない。

その間についてなんとも分からないが

夫の扶養家族としての手続きがうまくいって

いないのかもしれないが面倒くさいことになったと

思う。今更増えようとどうでもいいが処理しない

ことには解決しないので一度は社会保険事務所へ

行ってこなければならない。

どうしてこんなことになるのか本当にずさんな

ことだと思う。

この寒いのに何を持って行けば良いのか

ああ面倒くさい。

 


眠れなかった1夜

2008年02月17日 | Weblog

 昨夜息子が「明日は仕事だけど構わなくて

いいよ」という。「何時に出かけるの?」と言ったら

「8時半までに中央公民館に行かなければ

ならないが忘れ物を取りに職場によって行くので

7時には出る」と言う。

じゃあ6時には食事をさせなけれがと思って

寝床に入ったのだが、2時半に目が覚め

トイレに行ってベットメーキングをしてというのは

足が感覚がおかしくなっているので座布団ほどの

電気の入ったのを足元に入れてあるものが

動くたびに布団も毛布もその座布団もどうなって

いるか分からなくなっていて毎晩のことだが

昨晩は寝つきが悪いから動いているうちに

起き上がってみて直さないとどうにもならなく

なっている。

そんなことをしていたら朝まで30分ぐらい

しか眠れなかった。

そのためきょうは座っていると背中、胸が

痛いので横になると直ぐに眠ってしまい

きょうは眠り病状態だった。

外は温度が上がっているのか屋根雪が

音を立てて落ちている。

もう少し暖かかったらしなければならない

ことがいっぱいあるのに炬燵から手を

出していると動かなくなって欲をしない

ことにしている。

息子はバスで行くと言って出かけたのに

来ないから送ってと電話が入り夫は

食事もしないで逆とんぼりで送って行った。

息子に「お父さんは若い時は何一つ

構わなかったのに今はおかしいくらい

貴方のことになると鼾をかいて寝ていても

飛び起きてする。いまに行ったら大事に

してあげてね」と言ったら「あの方は

一番後まで生きるわいね」と笑っていた。

誰が先でもいいが若い者が最後まで

いてくれないと困ると思う。

この年になると1日は長いが一生は

短いなあととみに感じる。


二段男も・・・

2008年02月15日 | Weblog

 いつかHPだったかブログだったか記憶は

定かではないがかるたも将棋も2段でやめる

息子のことを書いたが、かるた(百人一首、

競技がるた)は大学に入ってからは

参加しないので2段のままだが、将棋は5段

次ぎ囲碁も昨日5段の申請をした。

5段までは10万円ちょいだが6段からは

50万円とか上にいくごとに100万円とかに

なるそうで5段どまりでそれ以上は取らないと

いっていた。

習い事は何でもそうだ。私もいけばなの

資格認定書は家元3級でそのあと体を

悪くしたのでこれでストップである。

看板は頂いているが教える心算が無いので

玄関の下駄箱の上においてある。

何でも習っておけばいいと思って生きて

きたが、今となっては何一つ生かせない

ことを思うと人の一生なんて何に遭遇

するか分からないと思っている。

だから自分の思いでやればいいと

思うようになった。

 

 

 


いよいよ週2回のケアセンター

2008年02月14日 | Weblog

 きょうはケアマネージャーの方がケアセンターに

来てくださってプールのある鞍月にしようかどうしようかと

迷っていた週2かいの通所を今まで通り今のところで

月・木2回に決めた。

向こうにもこちらから行かれた方が何人も居られるが

折角こちらに慣れたのと良くしてもらったいるのと近いことが

何よりだと思ったからである。

週2回だと運動にしてもマッサージにしても今より筋肉がつくので

続けられるかどうか分からないプールを目当てに行っても

私の体に果たしていい側から無いからである。

今は何かいいと思うこともあるし、進んでいると思うこともあるが

今私に与えられている運命に逆らわないで成り行きの中に

身をゆだねることにしようと思っている。

週1では疲れが取れた頃またの繰り返しになるが2回いけることで

体力がつくようにも思う。

週2になるので心して来年の1月いっぱい努力してその後は

またその後のことにすることに心を決めた。

何となく心が晴れた気がする。頑張るぞー!!


Kさんからの広坂便り

2008年02月13日 | Weblog

昨日Kさんが大和に出かけられた時広坂通り界隈の様子を

メールで教えてくださった。

何でも目白が10何羽いてちんちょうげがもうそろそろ花の

準備が出来てきている様子とかどうせ出かけられない私を

気使って下さってのことだがうれしかった。

昨日は夕飯の支度をしたがその性ばかりではなかろうが

右手の肘から先が痛くくるものがきたのかなあと思った。

今日は雪が80センチも降るといっていたがあたらなくていいのだが

最近の予報は全々当たらない。

友人はそのうち行くねと言ってくださったが寒いのでもう少し暖かく

なってからといったが何の暖房機ともう1個付ければ大丈夫だと

今更気がついた。

きょう10日目ぐらいになるがスーパーへ行ってきた。

生ハムやサラダ用の野菜と鯵のたくようにとお刺身を買ってきた。

明日はケアセンターの日なのでいけないしあさっては銀行へ行く

ので多い目に買った。

私が行くとつい金額が上がるので本当は行かないほうがいいように

思うが今更けちけちしても仕方ないかと思ったりしている。

外は春めいてきているようなのでそのうちエムザにでも何を買いたい

わけでもないが行ってこようと思っている。

昨日に比べて今日は調子よかった。こんなささやかな事に

一喜一憂している今日この頃である。


家庭の医学をみて

2008年02月12日 | Weblog

 今日は私にとってとてもためになることを教えていただいた。

私は手もだが足の裏脹脛と浮腫を常に感じている状態で

どうしても運動不足になりがちである。

ケアセンターに申請したのはマッサージなどうちでは

やりたくなかったり全々動かないが、センターでは9:30~3時半まで

次から次へとメニューが詰まっていて週1だけでもやらないより

いいとおもって9月から通っているが今度2月から1年間は週2かい

通えるようになった。

自慢にも誇らしく人様に話すようなことではないが

今夜のテレビを見て通えるのなら2回通ってみようかと思った。

私は半月板を割らして両膝とも手術している。

左ひざは怪我だったのでその頃は1ヶ月入院して普通に

歩けるまでに8ヶ月掛かった。

右ひざは20歳過ぎに自転車の練習をしていて痛めたのを

60歳半ばにどうしても内出血が止まらなくなって手術して

そのあと続けて白内障の手術を下のだが急に血圧が

上がって入院が長くなり退院してからも調子が悪く

そのため今でも腿の左右の太さが違っている。

階段など上がれないのは右足の筋肉は落ちている

せいなのだがそれはもう同じくはならないにしても

下半身の筋肉を鍛えなければならないと思った。

夫がいいといってくれるかはわからないが、お願いして

通うことにしようと思った。

少し鍛えないと病気で死ぬとは限らないのに寝たきりに

でもなったらこれ以上迷惑を掛けられないと思うのと

施設に入るといっても死ぬまで家におれるに越したことは

無いと思うし地方でも出て家で面倒見れない状態なら仕方ないが

不自由でも家におられなくなってでは(寝たきり)余りにも惨めだと

思うので機会を見つけて足腰を鍛えようと今夜は真剣に考えた。


晴れの日でも

2008年02月11日 | Weblog

 夜中に寒さを感じなくて晴かな?と思っていたが

先日来のような寒さもなく外に出ないので分からないが

晴れているようだ。

最近夫は買い物をして来てくれるのでスーパーには

行っていない。ゲンキーは近いので自分の欲しいものだけ

買いに行っているがこれだけの外出が出来るように

なったのは何となく体力がついたのかなと思う。

今週はケアセンターはお休みだったので間サージ

その他はやっていない。

今月から1年間私が希望すれば週2回ケアさんターに

通うことが出来る。要支援2になったからだ。

決して喜ぶことではないが、体の状態はそうだと

いうことだと思う。

でも14日にその話をすることになっているが今だに

心が決まっていない。行くことに夫は決して喜んでいる

わけではないからと私も週二日拘束されるのも本位で

ないからだ。私は家の中にいることが好きなので

何日でも外出しなくても堪えない。

人と話をしなくても全々こたえない。今にいたっら

失語症になるかも?

何にも出来ないのに見る夢は旅行したり、友人に会いに

行く夢だったりして心の中は私なりに幸せを感じている。


犬の病気そして死

2008年02月10日 | Weblog

 今犬の重篤な病気、そして死について放映していた。

わずか三歳の子の死、犬であっても飼い主にしたら

人間となんら変わりなく悲しいことだと思う。

13歳の子はこう食べると吐く状態で点滴しか仕方ない

状態だったが、先生はまだ飼い主の分かる状態の時に

家族と過ごさせてあげる選択をされ家族の元に返ったが

家族もそれを望んで連れて帰ったのに夜中に息を引き取った。

またある子は抗がん剤を飼い主も希望して1回目をしたが

やはり駄目で飼い主の元に帰った。

動物は人間と違って気がついた頃はもう手遅れな状態に

なっているようだ。

私も生きているときは可愛くていいのだが死ぬことを

考えると飼いたくない。昔朝起きたら金魚が浮いていた。

それからは生き物は嫌だと思って飼わないことにしている。

母が父が亡くなって半年は下の家のお母さんに泊まりに

来てもらっていたが、春になって来られないと断られたとき

犬がいたら1人で留守番をするということで小動物に

電話したら午後薬殺する子犬がいるとのことで早速見に行った。

コンクリートの場所に25センチぐらいの小さい子が淋しそうに

1匹いた。それを手続きして帰りに病院によって注射して

もらってえさのことも聞いて そうしたら風邪を引いている

とのことで注射をしてもらい食べるものもその病院で

買って連れて帰った。

何日かして連れていたのだが、ある朝母から虫が出たと

火のついたように言って来て赤帽に頼んで着払いで

帰ってきた。その犬が16年ほど生きていた。

目はロンパー足は蟹股の子だったがそれでも幸せな

生涯を閉じた。ある時蚊に食われてその時は羽咋の

病院に入院させ50日ぐらいで元気になって帰ってきたが

その後も2回入院があり保険が利かないので死ぬまでに

100万円以上のお金を使ったと母はいっていたが

自分は出さないのに「お母さんそれでもチビがいてくれたから

お母さん1人で居れたのだからチビもお母さんも幸せ

だったじゃないの」といったが、やはり家族の一員だから

惜しくなかったといっていた。

特に最近は動物にいやされてという話を聞く。

私は先に行かれたらその時の悲しみを考えたらどうしても

飼えない。こんな時代になったのだから何か保険の

ようなものがあればいいのになあと思う。

最近は余り涙が出なくなっているが今夜はテレビを見て

涙が出た。


今夜もお通夜

2008年02月09日 | Weblog

 今朝の新聞にまた90歳の方がなくなっておられた。

この年になるとこの手のお付き合いが増えてくる。

自分の年を考えると何時どうなってもおかしくない年に

なっているのだからそれまでかかわりのあった方で

私達より年上の方に何時こんなご不幸があっても仕方の

無いことだろうと思う。

今年はこれだけ寒いのだから体力の無くなっている方には

堪えることだと思う。先日循環器病院へ診察に行った時

若奥さんが、「バーちゃんが足が黒ずんできて別の病院から

こちらに転院した」と言っておられた。

若い時は活発にいろいろなことをなさり車に乗って生き生きとして

おられたのにだんだん存知よりの方が逝かれる。

私もいい年になったのだから丁度いい時期にとは思うが

こればかりは自分ではどにもならない。

それにしても90歳になっておられたとは思わなかった。

3人の男のお子達はもう立派に家庭を持たれお孫さんにもお子が

居られる年まで生きられ、人間きりがないが死にたくなくても

何の心配もなく静かに逝かれたのではないかと心から

ご冥福をお祈りしたいと思う。