お瀬戸に1本ある本棚を倉庫に入れたいと
いって息子に叱られた。
あそこにおくのでさえ本当は仕方ないと
思っているのに高い本ばかり倉庫に
移動などもってのほかだという訳。
考えてみたら100万円分は入っている。
そんなこと言うのなら自分の書庫を
建てたらいいのにと思うが、黙っていた。
そこで茶の間にあった1本を又パソコンの
部屋に移した。
2冊しか持てないのもあって脱水して足も前に
出ないようになって一休み。
情けない体になったものだと嘆いてみても
愚痴と言うものだと諦めているが・・・・
この際捨てようと思って取り掛かったが
結果的に一度整理してあるので2~3冊だけ
本棚の後ろの埃を取ったようなもの。
来週には作業に入るのでその時に何とか
してもらうしか仕方ないと思って止めにした。
きょう業者さんが見本帳を持って
きてくださりひろはこうと思いが
あったが壁の色で夫と折り合いが
つかず、それは夫の言うとおりに
決めた。
夫は畳は表替えにと言っていたが
1枚に4000円しか違わないので
全部取り替えることにした。
壁は珪藻土にしてもらったが、夫の思いと
見積もりが20万円ほど安かったので
それなりのものにしてもらうことにした。
これで取り敢えず物事があっても何とか
良いかと思っている。
建て直さない限りこれ以上仕方のない
ことだと下を見て我慢しようと思う。
今度は本棚の移動だが、明日息子に
手伝ってもらってと勝手にこころずもりを
している。これでやれやれである。
いよいよ決心がついたのか昨日チラシを持ってきた
業者さんに電話をしておくようにと言って出かけた。
早いこと早いこと、早速見に来られて「明日見積をして
きます」と帰って行かれた。
襖と壁と畳と玄関の衝立てと仏壇の戸の張替え
そうなると本棚を物置へやって茶の間においてあるものも
整理しなければならない。こんさつなことだが、ここでの
建て替えは出来ないので仕方ない。
狭い家はどうにも出来ないが、きっと気分が良くなるか
なあと楽しみにしている。
本当は天井も張替えてもらえばいいと思うが、
夫はそうは言わなかったので業者さんには聞かなかった。
何時どうなるか分からない体の状態なので最小限度
だけは修理しておかないと恥ずかしい。
と言って長生きしたりして・・・・
自分が動けないのにこんさつなことだと今から気に
なりだした。
我が家はもう築40年でも立て替えにはしっかりしているからもったいないと言われる。
20年余り前に内装をしなおし壁も塗り替えたのに又工事をしないと人様を通すには恥ずかしい。
畳も摩れていて表替えをしたいと言うが、夫殿は壁が先だと譲らない。
当然壁も塗り替えないとそそっかしいひろがそこいらじゅう物をぶつけて傷だらけ。いずれにしても早急にやらないと物事が出来たら恥ずかしいと気になって仕方ない。
いっそ建て替えればとも思うが、息子は親の生きているうちは触らないと言う。呆けが怖いようだ。それはいいのだが、きょうのような日に考えたら無性に気が滅入る。工事屋の交渉は全々してくれない。ひろはもうやりたくないと思っているが、文句は言うが実行しようともしない。
よくもこれだけ気の合わないもの同士金婚式も目の先だというのに離婚もせずに来たものだと感心する。
この頃の人ならとっくに別れていると思う。
こんな夫婦が離婚しなかったことに乾杯!
例えば「窮鼠猫を噛む」のような言葉に対して、一字入れる
猫の場所を空けてあるような問題だったが、さすがに
アナウンサーの方は皆さん正解だったが、町で学生に
聞いたのに対してほとんどの方が違っていた。
そんな言葉を教える親世代が若者の使う例えば「しかと」
とか「ださい」とか沢山あるが、ひろは今全部の意味が
分からない言葉を若くなったと錯覚した親が使っている。
習っていないと言うjか聴きなれない言葉は理解できて
いなくて当たり前、もう少し日本で使っていた言葉を
大人が使い、若者は馬鹿にしないで知っておくことは
たとえ自分が使わなくても聞かれたとき自分の教養の
高さが光るのではないかと感じた。
新聞を声を出して読みなさいといっておられたが、
そのとおりだと思った。
これは学校で教えるももの以外のことだが、
古臭いと言わずに覚えておいたらいいと思う。
英語もこれだけ国際化が進んでいるのだから習うのも
悪くはないが日本に昔からあった言葉も平行して
覚えることも大切にしたい。
いくら英語は堪能でも日本語の語彙の意味が分から
なければ正確な英会話も成り立たないのでは
ないだろうかと危惧する。
昨日は何時もの痛さに加えて右の胸と背中が痛く
湿布を貼っても寝ることも起きていても痛さが
取れず体のやり場がない思いをしたが、きょうは
胸の痛みはとれやれやれだ。
きょうは歯医者さんの日、夫に送ってもらって行き
帰りも迎えに来てもらった。
午後は美容院へ送ってもらい返りは何とか歩いてこれた。
どう思っても鏡に気の毒で映せる顔ではないが仕方ない。
パーマは髪が最近細くなったのであてず、今度はしゃもの
お尻のようなカットをしてもらってきた。
本当は剃髪してもいいなあと思うが頭の格好が悪いので
それは出来ない。それだけの色気はまだ残っている。
暦の上ではどんな日かしらないが、ひろにとっては
お日柄もよくの一日だった。
お詣りする。
奥さんは「お父さんの存知よりの方のお顔を見たら声を
掛けて偲んでやって欲しい」と午前中に行った時
頼まれていたのだが
読経の後テーブルを囲んで「こんな時しか会えないね」と
言いながら9時過ぎまで語り合い最後にお顔を見て
「これでサイナラね」と言って帰ってきた。
中には夫が社長をしていた会社の会長が亡くなったとき
以来の方にも会い、お互い年を重ね長生きしたね。
「たまたま会えばこんな時。でも亡くなった方がみんなに
会あせせてくれたのですね」と一別来を語って別れた。
肝臓癌で3年間手術も出来ず先生の言われた余命より
長く生きられたのはご家族の手厚い看病と貰って
こられた寿命がそれだけあったということだろうと思う。
一人息子のKちゃんが抱っこして食べたいと言う氷を
噛み砕いて口に入れて上げたとのことその日の昼間
おなかがすいたというのでプリンを食べさせたら
美味しいといって食べられたとか、
奥さんが、夕方家に帰っている間に様子が変わったので
息子さんが知らせてお孫さんもお嫁さんも家族みんなを
待っていたように
奥さんに抱かれて「ありがとう」と息を引き取られた由、
最後に見たお顔はとても安らかなお顔だった。
ひろもこうありたいと思うがそんなわけには
行かないように思う。
こればかりは人それぞれなので・・・
聞いていたがその後、4年ほど前だったろうか「癌だけれど私が治す」と
奥さんが言っていたと聞いていた。
奥さんも同じい釜の飯をたべて来た中だったのに・・・驚いた。
夫はいろいろ相談があるということなので息子に乗せて貰ってお顔を見に
行ってきた。今夜はお通夜ひろにもお通夜の後も残って欲しい
とのことだった。
ここも1人息子お嫁さんも1人の息子さんも居られるが、兄弟にしても
少なくこの年代になると親戚も少なくなる。
うちはまだ夫もひろも兄弟姉妹が多いからいいのだが息子はどう感じた
のかなあと思った。
我々の子育ての頃は一人っ子が多くそれでも世帯を持って孫がいての方は
いいが、平常はこれでいいのだと思うが、物事があるときは昔のように
近所の方が手伝うでもなく大変だと思った。
その代わりお金で済まされる時代になっているからいいのかなあ
とは思うが、何か淋しいなあと感じた。
促進派の議員も知事の意見に従うということを言っていた。
ひろも鈍行の旅が出来ればいいなあと思うがこれは個人的な意見で
今まで地権者の意見よりも押し付けのものだったと思う。
振り回される地権者はたまったものではないと思う。整地された田んぼを
元に戻すには簡単ではないらしいし、戻らないと言っていた。
それと大変なお金が掛かるとか。どこかの県でもダム建設を取りやめたが
今又知事が変わったらするようなことが何時かの新聞に出ていたように思う。
ひろも新幹線が必要かどうかは分からないが、あれだけのお金をかけて
長い年月を費やしてまで造るにはそれだけのメリットがあるからなのだろうと
思う。
滋賀県も何のメリットもない今後も必要ないものならいいのだが知事が
変わったとき又では地域住民はたまったものではないと思った。
確かに無駄なものをと思うことはいくらでもあるが・・・
足の裏が靴の中であっちへ行ったりこちへ行ったり!
でも何とか行って来れた。人は杖をついたらどかと言われるが
杖を持つこと自態持ち上げて動かすことがなおのこと邪魔になって
転びそうになる。伝い歩きならいいのだが自分と一緒に動くものは駄目
なのである。
きょうは心電図とレントゲン撮ったが肺もきれいだし心臓も心不全を
起こしていないと言われた。血液検査も星が3個ついていたが2個は腎臓の
機能でこれは強い利尿剤を飲んでいるので仕方ないこれを止めたら
心不全になるからとのこと痛し痒しだ!
白血球は5000に増えていたので調子としてはいいのだろうと思う。
何となく思ったより生きられるような気がしている。
腫瘍でも悪性ではないので最後はどんな状態で旅立つのかは分からないが
貰ってきた寿命を大切に生きたいと思う。