Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

格差社会

2006-04-05 21:04:50 | Weblog
最近、格差社会がどうこうって議論が本当に盛んやね。新聞なんかでも低収入に喘ぐ人を取り上げて、得意のお涙頂戴で暗に格差社会を批判してる。要するにこの国は未だに一億総中流の呪縛から解かれていないんだね。みんなでお手々つないでいないと不安でしょうがない。“格差上等!”なんて言った日にゃ白い目で見られてしまうもの。アパルトヘイトされてしまう。でもオレからしてみりゃ、そのテの輩のほうがよっぽど視野が狭い、悲しい人間だと思うけどね。

オレは博打をやるくらいだから、人一倍お金への執着はあるよ。金は本当に大好き。でも持っている金と幸せとが正比例するなんてのはあり得ない。貧乏なら貧乏なりの、金持ちには分からない幸せってのは絶対にあるはずなんだよ。昨日も書いたけど、幸せの中にいると人はズブくなるからね。至れり尽くせりの生活をしてても何とも思わない富豪よりは、些細なことにも喜びを見出せる庶民のほうが、ある意味では幸せかも分からないじゃないか。でも一億総中流の信奉者ってのはそれが分かってないんだね。金でしか人の幸せを量れず、貧乏=不幸ってハナから決め付けてる。だから格差に難癖を付けるわけだろ。こんなのあんたらが嫌うIT長者の拝金主義とまったく同じじゃないか。いい加減、自己矛盾に気付けって言うんだよ。

これだけカネカネ言われるのは、学歴偏重の社会の罪も重いよ。何で貧乏が不幸と言われるかといえば、大学に入るまでにバカ高い金がかかって、そこで貧乏人は振るい落されるからなわけだから。確かに行ける力があるなら行くに越したことはないよ。だけども手先が器用なら職人になるのだっていいし、体力があるんなら土方だっていい。それだって素晴らしい人生と尊重されて然るべきなんだ。それなのに今は大学で全てが選定されてしまっているからね。頭がいいのに家の都合で大学に行けなかったら勿体ないって言われるのに、手先の器用な奴が職人にならなくてもそうは言われない。そんなの絶対におかしいって。もちろんオレのようにろくに勉強をせずに変な大学にしか行けなかった人間より、一所懸命勉強していい大学に入った奴の方が偉いに決まってるよ。だから学歴社会にケチを付ける気はないんだけども、今はそれ以外の人生の選択肢があまりにも狭すぎる。これは由々しきことだろうって。

こんなの完全に自業自得なんだけど、オレは高校も途中でやめてさ。もう本当にノイローゼになりかかってたような時期もあった。まぁその頃にはもう戻りたくはないけど、他の時期だって、客観的に見たら何てツマラナイ人生だって思うよ。今まで生きてきた中で幸せなんてほとんどなかった。頭が良いわけでもなければ、他の才能があるわけでもない。本当に失敗の連続でさ。いつも悩んでばかり。どうしてこうも不幸かとも思う。でもね、そんな人生にだってオレは何らかの意味は見出してる。だからこそ20年も生きてこられたわけでね。自分を負けと思ったことは一度もないよ。傍から見たら下流でも、本人が幸せならそれでいいじゃない。みんながそう考えさえすれば、格差社会なんて何てことないって思えるはずだよ。

まぁただ、オレもあと少し金は欲しかったけど。頭ももうちょっと良くなりたかったな。それから字も上手ければなぁ。あとは身長ももう少し欲しかった。10cmいや20cmくらい。ついでに言えば顔も。あとは、それから・・・。