快晴。32-26℃
心配していた台風は温帯低気圧に変わった。強い日差しの下、キラキラ輝く木々。
夕べは寝苦しかったうえに、使わなかった古いクーラーの掃除をサボっていたのでランプがついてしまう、「故障したのか」と、朝からクーラーのフィルターと室外機掃除。まだ使えそうでホッとする。
今日はレッスン日、出発まで練習する。昨日届いたスピーカーと共に。耳が楽だ。
出発!
気温が高くて、スカートにしても、茹でられるような気分だ。
背中のバイオリンが張り付くようだ、再び重く感じられる。
去年から、切られても、切られても、立ち上がり、やがて冬眠する、この鉄砲百合と共に歩んできていると思う。
生きるということ、ふと口をついて出てくる。
「生きる 」谷川俊太郎
生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ 木もれ陽がまぶしいということ ふっと或るメロディを思い出すということ くしゃみすること あなたと手をつなぐこと
生きているということ いま生きているということ それはミニスカート それはプラネタリウム それはヨハン・シュトラウス それはピカソ それはアルプス すべての美しいものに出会うということ そして かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ いま生きているということ 泣けるということ 笑えるということ 怒れるということ 自由ということ
生きているということ いま生きているということ いま遠くで犬が吠えるということ いま地球が廻っているということ いまどこかで産声があがるということ いまどこかで兵士が傷つくということ いまぶらんこがゆれているということ いまいまが過ぎてゆくこと
生きているということ いま生きているということ 鳥ははばたくということ 海はとどろくということ かたつむりははうということ 人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ
プランターの植栽も、再び植え替えられている。
到着。
少し速めに到着、ガラス越しにY君の練習風景が見える。そして、彼のレッスン後、久しぶりに先生も含め3人で談笑出来た。
Y君は去年の先生方の発表会で、二胡とバイオリンが良かったそう、私も同じ会場にいたのに、その時はお知り合いではないので気がつかなかった。Y君「あそこで明日、(この私が)やるんですね?」と。私「ええ。」
先生はニコニコして、Y君が私の去年出た、9月の発表会に出るというお話をされる。「ええっ!先生、私もそっちが良いんですけどー」と私。あれは生徒は一回キリなんだそう、残念。
私はY君に「あれは緩くていい、絶対に出た方が良い。」と強調!先生は「Y君 米津玄師の『檸檬』で出るのよ、」と。Y君は私に何で出るのか尋ねる、
彼は私のプッチーニの曲はご存じなく、「昔の『美の巨人』のテーマだった」と言ってもピンとこないご様子、先生の「とても、綺麗な曲なのよ」のご説明に、思わず私は、、、
(試験に出ない英単語ばかりを無駄に覚え、名前の漢字の由来を聞かれれば、親の願いと真逆、不自由で美しくないの意味ですと答え、)今回は「その綺麗な曲を、如何に汚く弾くかに、命を懸けているっ!!」と、笑わす。
Y君は9月の自分の発表会に、友人を連れてきてもいいのか(30人って、どんだけwww)、ドレスコードなどを聞いている。私は「今年も500円のUNIQLOだっ!」と笑わす。(ええっ、私も覗きに行っても良いですかぁああ?行く、絶対に聴きに行く!)
「明日の台風、お気を付けください」とのことで、朗らかなY君とは別れた。
私の番になって、何回か弾く、細かな手直し、もう明日だ、先生は励まし、勇気づけるしかないのはわかっている。何度かエレガントな切り方を教えていただく。最後はため息が出るような先生の模範演奏で〆る。
どちらかというと、練習時間オーバーで雑談をして下さった。私の疑問、綺麗な音は左手から出るのか、右手なのかとか。(良い音とは、結論はほとんどが弓圧です。)私が思うに、音には生き方が出る、ガサツに生きていればガサツ、丁寧に生きている人は丁寧に、のようにだ。先生のお話しをよく聴けて理解できる人は上達が早い。
Y君は、とにかく明るいポップな曲がお好きだし、おそらくリズム重視、私が目指している、伝えたい切々とした情感のような物、メロディー重視は、私が今後どう生きるかだ。そして、所作がお茶に通じるものがある。
バイオリンはとにかく基本の姿勢と膝をうまく使う事、膝が今日は使えていると仰るが、「ロングスカートはズボンよりわかりにくいのでは?」などと思う。そこから、私は大胸筋を鍛えてから、バイオリンを長時間持つのが楽な事、腕もだと、筋トレ談義をしてしまう。
そうしたら、私より小柄な先生は、見事な力こぶを見せてくださった。ボディビルダーを見慣れている私でも驚くような上腕二頭筋、ポパイのような。バイオリンは肩と腕の発達だという。上腕三頭筋はそう発達しないらしいが、振袖ではない。
先生の腕で筋肉談義、「私にも力こぶが少しできました」というと、先生は私の上腕二頭筋を触って、嬉しそうに「おっ、育ってきた、育ってきた!」と。(先生にも「ダンベル何キロ持てる?」お貸しせねばっ!)
私は先生方のように、ノースリーブを着たいのだと、信長✖の、私の◎野望を述べる。「先生、バスケをしたい✖タンクトップを着たい◎」です。先生はタンクトップより「発表会用の専門のドレスは今安いのよ、ドレスを来年、来年はドレスで出る?上背あるからは舶来ものが似合うわよ」と、励ましてくれた。
ええ、その腕がついていたら、筋肉もですが、まずは技術があぁあwwww
明日は大人だから、そうそう子供達と楽屋に居なくても良いと仰るが、私「大丈夫ですっ、この私、頭が子供、体が大人の『逆コナン』ですっ、十分にそこになじめますっ!」と先生を笑わせた。
いや子供たちの凄さに打ちひしがされると思うが、うおー、難曲もいらっしゃる、が、私、ロングロングアゴ―二人と、きらきら星軍団に入れてもらうもん。これは弾ける。とにかく、練習の成果が一瞬で吹っ飛ぶ、あの皆も経験する弓の震えで音が出ない事、あがらない事を祈るしかない。
帰路について、樅ノ木を追い出されたカラスが、必死で新たな場所で頑張っているのに気がつく。
すぐ近くの電信柱、これもまた、悲劇の始まりになる予感がした…。
生きるという事。
いま生きているということ 鳥ははばたくということ いまいまが過ぎてゆくこと。
帰宅して、きーじを抱いて、泥の様に寝てしまった…。思いわずらうな、自分。