ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

ピクチャレスク(Picturesque)

2019-07-25 14:41:06 | 日常

曇りから晴れへ、32-25℃ 

今日はバテた、本当にバテてしまった。

湿度は、昨日よりぐんと下がったから過ごしやすいはずだが、久々の直射日光が厳しい事。今迄の日を取り返すように照り付ける、こんな暑さの関東で本当にオリンピックって可能?と思う。

その「オリンピックまであと一年」という、フレーズもテレビではひっきりなしに流れる。

オリンピックが東京に決定時は、どちらかというと賛成ではなかったが、、、開催の5年先は、その時の自分はこうなっているようにって、幾つかの夢を見ていた、なのに決めた事がやり遂げていないw

私は裕福でなくても、今のレベルならいい、死ぬまで楽器が弾けて、あと出来なかった数個の事をやり、隙間の時間は編み物の籠など持って静かに編んでいる、もう誰にも期待しない、一人遊びが好き、始末が良い、そういうお婆ちゃんで終わりたかった。今もだ。老化=気力、感情の衰えである。が、それも踏まえて、未来の老いの姿の自分を考えていた。

けれども、体力の無さと眠れない痛み、通院費が気力を奪い、手が痛くなる、肩がこる編み物、園芸、日曜大工などはすっきり諦め、読書と音楽だけになった。

だけど、もう幾つかが、やはり今の時点は足りないのだ、心に大きな穴が開いていて埋まることが無い。(未来はわからないが。)

気温の変動で体はへとへと、その上、繰り返される報道の一つ、京都アニメーション放火の件では沈鬱な気分だ。余りに犠牲者の年齢がお若すぎるし、理不尽過ぎる死。

闘病で、平均寿命を満たしていない、生きたくても生きれない人、もしくは脳死なのに、もう何年も、今日も生かされている植物人間の身内の有り様を見て来ている、最後の願いや遺言も聞いた、今はネットの時代、自分を奮起させる世界中の感動秘話などいくらでも手に入る。だからこそ、今の自分の生き方に、焦りと、哀しみと、不甲斐なさを覚えたりする。

 

練習して、スマホの録画をもって、夕方は人工海岸を歩いた…。

タイサンボクの花。

道はあの大震災で、いまだに液状化の跡があった、途中、隆起したりしたままの場所がある。

こういう場所にいると、つくづくと亡くした犬達の事が思い出される。

そして、犬を飼うのは、晴れても降っても、散歩が大変だが、もう一度、犬と一緒に静かに黄昏を散歩したい思う。いや、むしろ懐かしんでいるのは、あの時の若さだ。

犬の保護をするとしても、年齢ではねられる歳になった…。

私があっという間に歳を取ったように、季節は目まぐるしく変わる。

シロツメクサ位、外来種なのに、愛されている草は無いだろう、

ナガミヒナゲシのように問題視されない。その絨毯を愛でる夏がまたやって来た。

四つ葉を探すのは得意なのだが、そっとして置きたかった。本当に無欲になった。

芝生を覆ってしまう勢いのシロツメクサの絨毯が終わると、海に夕日が沈む時間だった。

大きなタンカーが沖に向かって出てゆく、意外と動きが速い。

もと来た道を辿る。

ふと、植栽の枝の先がピンクで、我が家と同じギョリュウロゼア@タマリスクが2本植えてあるのに気がついた!

広いので、木ものびのびと枝を伸ばしている、台風の塩害以外は幸せだろう。この木は、枝垂れ柳同様、どこか東洋を思わせる。ここは、さっぱりとした広場でしかない、

だが、この木の付近だけは、遺跡風オブジェもないのに、私が学生時代に昔習ってたピクチャレスク(Picturesque)の絵画風、あたかもロラン、プッサンとか、庭園の様式ウィリアム・ギルピン、ウィリアム・ケントとかを、久しぶりに思い出させてくれた。

それが何になるわけでもない、却って悲しくなるのだが、心の旅には十分だった。

さて、気分転換したところで、日曜日のノルマを果たすべくもうひと踏ん張り。

コメント (6)
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