雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

絶望の中でも ・ 小さな小さな物語 ( 489 )

2013-08-17 10:37:15 | 小さな小さな物語 第九部
たまたま、懐かしい歌を聞きました。
ラジオから流れてくるその歌は、まだ若くして亡くなった女性歌手の澄んだ声が素晴らしく、メロディーの素晴らしさともあいまって、おそらく多くのファンがいることでしょう。
そして、私の場合は、その歌がある思い出とも重なってしまい、少々辛い気持ちになりました。

取り返しのつかない出来事や、決して取り戻すことのできない大切なものを失ってしまった悲しみは、実在します。
つい最近のことでも、国内外で、事件や事故に巻き込まれた人たちがいます。楽しい計画を実現しようとしている途中に、あるいは、まったく関係のない偶然から命を失ったり大切なものを失ったりした人たちにとって、何に怒りをぶつければよいのか、また、たとえ何かに怨みをぶちつけることが出来たとしても、果たしてそれが虚しさを押さえるためにどれほどの効果があるというのでしょうか。
絶対に取り戻せない虚しさは、結局は絶望とともに肩をすくめている以外に方法はないのでしょうか。

仏教説話に、子供を失った若い母親の話があります。
『 裕福な商人の若い妻は何不自由なく幸せに過ごしていました。さらに、元気な男の子にも恵まれ、幸せの絶頂にありました。
しかし、その子は突然の病で死んでしまいます。若い母親はその死を受け入れることが出来ず、亡骸を抱きかかえて、生き返らせてくれる人を捜し求めて半狂乱の状態となります。
見かねたある人が、祇園精舎にいるお釈迦さまを訪ねれば、苦しみから救ってくれると教えます。若い母親は早速お釈迦さまを訪ね、わが子を生き返らせてくれと泣き叫びます。
哀れに思われたお釈迦さまは、五粒の芥子の実をもってくれば、あなたを苦しみから抜け出させて上げましょう。但し、その五粒の芥子の実は、これまで一度も人が死んだことのない家から貰ってくるように、と条件を付けました。
若い母親は芥子の実を求めて千件もの家を訪ね歩く中で、大切な人との別れを経験しない人はいないことをさとります・・・ 』

「どんなに辛く悲しいことでも、どんなに大きな絶望であっても、やがては時間が解決してくれる」「この世のことでこの世で解決できないものなどない」
などという、ご高説を聞くこともあります。
まあ、ご高説を述べるのはお互い勝手ですが、そんなことで解決できるようなものは「絶望らしいもの」であって、本当に絶望している人には何の役にも立たないような気がします。
しかし、私の拙い経験から申し上げますと、「人はどのよう状態でも生きることが出来るし、失った大切なもののためにも生きねばならない」と、そのようにも思うのです。

( 2013.03.05 )

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