僧正の剛力逸話 ・ 今昔物語 ( 巻23-20 )
今は昔、
広沢という所に寛朝僧正(カンチョウソウジョウ)と申す人がいらっしゃった。このお方は、並のお方ではなく、式部卿の宮(敦実親王。宇多天皇の皇子)と申されるお方の御子である。また、真言教学においても大変優れたお方でもある。
この人が広沢(遍照時)に住んでおられた頃、仁和寺の別当も兼ねておられたので、その寺の壊れた所を修理することになり、足場を組み毎日大工が大勢来て作業をしていた。
ある日、日が暮れて大工たちが皆帰った後で、僧正は「大工の今日の作業はどれほど進んだか見てみよう」と思われ、衣に腰帯をして高足駄を履き、杖をついて、ただ一人で寺のそばに歩いて行き、足場を組んだ中に入って見回っていると、黒装束の男が烏帽子を目深にかぶり、夕暮れ時のことで顔ははっきり見えないが、僧正の前に来てひざまずいた。見ると、刀を抜いて逆手に持ち、後ろに隠すようにしている。
僧正はその姿を見て、「お前は何者だ」と問いかけると、「私は落ちぶれた者でございます。寒さに堪えられませんので、お召しになっている御衣を一枚か二枚お下げ渡しいただきたいと思います」と言うや否や「飛びかかろう」とする気配を見せた。
僧正は「なんでもないことだ。容易いことである。しかし、そのように恐ろしげに脅すのではなく、ただ下さいとだけ言え。怪しからん心がけの男だ」とおっしゃりながら、後ろに回って男の尻をポンと蹴ったところ、男は蹴られると同時に、たちまち姿が見えなくなった。
僧正は「不思議なことだ」と思いながら、ゆっくりと歩きだした。僧房近くになって、大声で「誰かいないか」とお呼びになると、法師が走り出てきた。
「部屋に戻って灯りを持って参れ。あそこで私の着物を剥ぎ取ろうとした男が急に見えなくなった。その男を見つけようと思うので、法師たちを呼び集めて参れ」と僧正が命じられたので、法師は僧坊に走って戻り、「御坊が追剥に遭われたぞ。皆々急いで出てこい」と叫んだので、部屋にいた僧たちは手に手に灯をともして刀を引っさげて、七、八人、十人と飛び出してきた。
僧正が立っている所に走ってくると、「盗人はどこにいますか」とお尋ねすると、「ここにいた盗人が私の着物を剥がし取ろうとしたのだ。剥がされる時に怪我でもしかねない、と思って、盗人の尻をポンと蹴ったところ、その盗人は蹴られると同時に突然消えてしまったのだ。どうにも不思議なので、灯を高く灯して、どこかに隠れていないか探してみてくれ」と仰った。
法師たちは、「おかしなことを仰せられるものよ」と思いながら、灯を打ち振り足場の上の方を見ると、足場の間に挟まって身動きできないらしい男がいた。法師たちがそれを見つけて、「あそこに人が見えます。あの男ではありませんか」と言う。僧正は「そいつは黒い装束の男だった」と申されたので、大勢で足場に登ってみると、足場の間に挟まって身動き出来ない状態で何とも悲しげな顔をしている男がいた。どうやら刀だけは持っていたが、法師たちが寄ってたかって刀を取り上げ、男を引っ張り出し、下に降ろした。
僧正は、男を引き連れて僧坊に帰って来られ、男に向かって、「老法師だとてあなどってはならないのに、このような悪事を働いてはろくな目に合わないぞ。これからは、このような事をしてはならない」と仰って、着ていた綿の厚い衣を脱いで男に与え追い出した。その後の男の行方は分からない。
何ともはや、この僧正は大変力の強い人であられた。この盗人はしたたか蹴り上げられて足場に蹴り込まれてしまったのである。盗人は、こんなに力の強い人とも知らず「着物を奪おう」と思ったところ、足場に蹴り込まれたので「きっと体に故障が生じたであろう」と人々は言い合った。
最近の仁和寺にいる僧たちは、皆この僧正の流れを汲んでいる、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
今は昔、
広沢という所に寛朝僧正(カンチョウソウジョウ)と申す人がいらっしゃった。このお方は、並のお方ではなく、式部卿の宮(敦実親王。宇多天皇の皇子)と申されるお方の御子である。また、真言教学においても大変優れたお方でもある。
この人が広沢(遍照時)に住んでおられた頃、仁和寺の別当も兼ねておられたので、その寺の壊れた所を修理することになり、足場を組み毎日大工が大勢来て作業をしていた。
ある日、日が暮れて大工たちが皆帰った後で、僧正は「大工の今日の作業はどれほど進んだか見てみよう」と思われ、衣に腰帯をして高足駄を履き、杖をついて、ただ一人で寺のそばに歩いて行き、足場を組んだ中に入って見回っていると、黒装束の男が烏帽子を目深にかぶり、夕暮れ時のことで顔ははっきり見えないが、僧正の前に来てひざまずいた。見ると、刀を抜いて逆手に持ち、後ろに隠すようにしている。
僧正はその姿を見て、「お前は何者だ」と問いかけると、「私は落ちぶれた者でございます。寒さに堪えられませんので、お召しになっている御衣を一枚か二枚お下げ渡しいただきたいと思います」と言うや否や「飛びかかろう」とする気配を見せた。
僧正は「なんでもないことだ。容易いことである。しかし、そのように恐ろしげに脅すのではなく、ただ下さいとだけ言え。怪しからん心がけの男だ」とおっしゃりながら、後ろに回って男の尻をポンと蹴ったところ、男は蹴られると同時に、たちまち姿が見えなくなった。
僧正は「不思議なことだ」と思いながら、ゆっくりと歩きだした。僧房近くになって、大声で「誰かいないか」とお呼びになると、法師が走り出てきた。
「部屋に戻って灯りを持って参れ。あそこで私の着物を剥ぎ取ろうとした男が急に見えなくなった。その男を見つけようと思うので、法師たちを呼び集めて参れ」と僧正が命じられたので、法師は僧坊に走って戻り、「御坊が追剥に遭われたぞ。皆々急いで出てこい」と叫んだので、部屋にいた僧たちは手に手に灯をともして刀を引っさげて、七、八人、十人と飛び出してきた。
僧正が立っている所に走ってくると、「盗人はどこにいますか」とお尋ねすると、「ここにいた盗人が私の着物を剥がし取ろうとしたのだ。剥がされる時に怪我でもしかねない、と思って、盗人の尻をポンと蹴ったところ、その盗人は蹴られると同時に突然消えてしまったのだ。どうにも不思議なので、灯を高く灯して、どこかに隠れていないか探してみてくれ」と仰った。
法師たちは、「おかしなことを仰せられるものよ」と思いながら、灯を打ち振り足場の上の方を見ると、足場の間に挟まって身動きできないらしい男がいた。法師たちがそれを見つけて、「あそこに人が見えます。あの男ではありませんか」と言う。僧正は「そいつは黒い装束の男だった」と申されたので、大勢で足場に登ってみると、足場の間に挟まって身動き出来ない状態で何とも悲しげな顔をしている男がいた。どうやら刀だけは持っていたが、法師たちが寄ってたかって刀を取り上げ、男を引っ張り出し、下に降ろした。
僧正は、男を引き連れて僧坊に帰って来られ、男に向かって、「老法師だとてあなどってはならないのに、このような悪事を働いてはろくな目に合わないぞ。これからは、このような事をしてはならない」と仰って、着ていた綿の厚い衣を脱いで男に与え追い出した。その後の男の行方は分からない。
何ともはや、この僧正は大変力の強い人であられた。この盗人はしたたか蹴り上げられて足場に蹴り込まれてしまったのである。盗人は、こんなに力の強い人とも知らず「着物を奪おう」と思ったところ、足場に蹴り込まれたので「きっと体に故障が生じたであろう」と人々は言い合った。
最近の仁和寺にいる僧たちは、皆この僧正の流れを汲んでいる、
となむ語り伝へたるとや。
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