私たちは一日を二十四時間として生きています。
学術的に言えば少し違うのでしょうが、およそ二十四時間というものがベースとなって、計画的であれ成り行き任せであれ、毎日生活しているわけです。
二十四時間ですから、睡眠に八時間、労働に八時間、食事や休息や余暇などに残りの八時間、といったように分割することが出来れば、二十四時間というのはなかなか具合の良い時間なのですが、なかなかそういった配分の出来る人は少ないことでしょう。
平均的なサラリーマンの生活を考えてみましても、最近では一日の所定時間が八時間という人は長い方だと思うのですが、実際はなかなか八時間というわけにはいかないのが現実でしょうし、実務より厳しいともいえる通勤時間を加えれば、十二時間ほどになってしまう人が多いと思われます。
三等分など、とても無理な話になってしまいます。
江戸時代の人々は、太陰暦を中心とした生活でしたから、現在とは少し違う時間の配分が行われていたようです。
江戸時代の時刻は、昼間を六刻、夜間を同じく六刻として時間を区切っていました。日の出から日の入りまでを昼間とし、日の入りから日の出までを夜間としていましたから、大まかに二等分していたかといえば、少し違うのです。
朝の始まりである「明け六つ」というのは、日の出ではなく空が少し明るくなり始めた頃であり、「暮れ六つ」は、同じように日の入りではなく、日が沈んでしまって暗くなってきた頃のことですから、一日は昼間の方が三、四十分長く決められていました。
しかも、日の出日の入りは季節によって大きく変わりますから、昼夜の時間も季節によって大きく変わるわけです。つまり、サマータイムとは違いますが、江戸時代の人は常に一日の時間の配分は違っていたわけです。同時に、「一刻」といっても、季節により、昼と夜により、そうとう長さが違うわけです。時代小説などには、「明け六つ(朝六時頃)」などといった表記を見ることがありますが、現代の時間に当てはめる場合は季節によって大いに違うわけです。
「お江戸日本橋、七つ立ち・・・」といった歌がありますが、この「七つ」というのは、明け六つの一刻前のことですから、夏であれば午前三時頃になります。江戸の旅人は、こんな時間に出立したそうですから、現代のサラリーマン以上に働いていたのかもしれません。
現代の私たちからすれば、季節により長さの変わる時間というのは不便なような気もしますが、それはそれで案外自然体に近い生活が出来るのかもしれません。
それに、私たちが持っている「体内時計」は、一日は二十五時間として組み込まれているそうですから、どんな時間の暦を作っても、体内時計とは一致しないわけです。
私たちは、朝の光を浴びることで体内時計を調節していますので、朝は調子が出ないというのは当然なのです。
私たちの地球は自転していますので一日という単位が生じるのですが、この回転、五万年に一秒程度遅くなっているそうです。お気付きの人は少ないと思いますが、一日の長さは僅かずつ長くなっているわけです。
地層や化石などからの研究によれば、九億年前の一年は四百八十五日だったそうですから、一日の長さは十八時間余りということになります。この計算でいけば、九億年後には一日の時間は三十時間ほどになることになります。
昔に戻ることはありませんから、私たちは一日十八時間の生活を考える必要はありませんが、来るべき九億年後に備えて、一日三十時間の生活パターンを研究しておく必要があります。
多分、大分のんびりできることは確かなようです。
( 2013.03.08 )
学術的に言えば少し違うのでしょうが、およそ二十四時間というものがベースとなって、計画的であれ成り行き任せであれ、毎日生活しているわけです。
二十四時間ですから、睡眠に八時間、労働に八時間、食事や休息や余暇などに残りの八時間、といったように分割することが出来れば、二十四時間というのはなかなか具合の良い時間なのですが、なかなかそういった配分の出来る人は少ないことでしょう。
平均的なサラリーマンの生活を考えてみましても、最近では一日の所定時間が八時間という人は長い方だと思うのですが、実際はなかなか八時間というわけにはいかないのが現実でしょうし、実務より厳しいともいえる通勤時間を加えれば、十二時間ほどになってしまう人が多いと思われます。
三等分など、とても無理な話になってしまいます。
江戸時代の人々は、太陰暦を中心とした生活でしたから、現在とは少し違う時間の配分が行われていたようです。
江戸時代の時刻は、昼間を六刻、夜間を同じく六刻として時間を区切っていました。日の出から日の入りまでを昼間とし、日の入りから日の出までを夜間としていましたから、大まかに二等分していたかといえば、少し違うのです。
朝の始まりである「明け六つ」というのは、日の出ではなく空が少し明るくなり始めた頃であり、「暮れ六つ」は、同じように日の入りではなく、日が沈んでしまって暗くなってきた頃のことですから、一日は昼間の方が三、四十分長く決められていました。
しかも、日の出日の入りは季節によって大きく変わりますから、昼夜の時間も季節によって大きく変わるわけです。つまり、サマータイムとは違いますが、江戸時代の人は常に一日の時間の配分は違っていたわけです。同時に、「一刻」といっても、季節により、昼と夜により、そうとう長さが違うわけです。時代小説などには、「明け六つ(朝六時頃)」などといった表記を見ることがありますが、現代の時間に当てはめる場合は季節によって大いに違うわけです。
「お江戸日本橋、七つ立ち・・・」といった歌がありますが、この「七つ」というのは、明け六つの一刻前のことですから、夏であれば午前三時頃になります。江戸の旅人は、こんな時間に出立したそうですから、現代のサラリーマン以上に働いていたのかもしれません。
現代の私たちからすれば、季節により長さの変わる時間というのは不便なような気もしますが、それはそれで案外自然体に近い生活が出来るのかもしれません。
それに、私たちが持っている「体内時計」は、一日は二十五時間として組み込まれているそうですから、どんな時間の暦を作っても、体内時計とは一致しないわけです。
私たちは、朝の光を浴びることで体内時計を調節していますので、朝は調子が出ないというのは当然なのです。
私たちの地球は自転していますので一日という単位が生じるのですが、この回転、五万年に一秒程度遅くなっているそうです。お気付きの人は少ないと思いますが、一日の長さは僅かずつ長くなっているわけです。
地層や化石などからの研究によれば、九億年前の一年は四百八十五日だったそうですから、一日の長さは十八時間余りということになります。この計算でいけば、九億年後には一日の時間は三十時間ほどになることになります。
昔に戻ることはありませんから、私たちは一日十八時間の生活を考える必要はありませんが、来るべき九億年後に備えて、一日三十時間の生活パターンを研究しておく必要があります。
多分、大分のんびりできることは確かなようです。
( 2013.03.08 )
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