雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

説経の講師

2015-01-26 11:00:06 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第三十段  説経の講師

説経の講師は、顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説く言の尊さも、おぼゆれ。
ひが目しつれば、ふと忘るるに、「にくげなるは、罪や得らむ」とおぼゆ。
   (以下割愛)


説経の講師は、顔の美しい人がいい。講師の顔をじっと見つめていればこそ、その人の説くことの尊さも自然感じられるのです。
そうでないと、よそ見をしてしまうので、つい説経も聞き忘れてしまうので、「醜い講師の場合は、皆が集中して説教を聞かないため、仏の教えを伝えることができず、きっと罪を得るだろう」などと思ってしまう。

しかし、このことは書かないでおきましょう。今少し年が若い頃なら、こんな罪を得るようなことも平気で書いていましたのよ。今の私の歳では、あの世が近くなったことでもあり、仏罰が大変怖いのですよ。
しかしながら、「ありがたいことだ」とか「信じ深いのだ」とか言って、「説経がある」という所へは、いつも真っ先に行って座り込んでいる人を見ますと、、やはり私のような罪深い者からしますと、「そうまでしなくてもいいでしょうに」と思ってしまいます。

元の蔵人などは、以前は、今のように御前駆(行幸の際に召し出された)などということもしないで、辞したその年くらいは、遠慮して宮中あたりには、姿を見せなかったそうです。ところが今は、そうでもないようです。
「蔵人の五位」という名で呼んで、そういう人を、わざわざ頻繁に起用するけれども、やはり蔵人退職のあとは所在ないようで、はた目はともかく、本人自身は暇を持て余しているらしく、そうした説教をする所へ一度、二度と聞きに行き始めてしまうと、いつもお参りしたくなって、夏のたいそう暑い時などでも、直衣の下の帷子を派手に見せびらかして、薄い二藍、青鈍の指貫などを無造作に踏みつけて座っているようですよ。

烏帽子に物忌の札をつけているのは、「物忌に謹慎しなくてはならない日だけれど、説経聴聞という功徳を積むためなので、外出も差しさわりがないと周囲の人に見てもらおう」という魂胆なのでしょうかねぇ。
その説教をするお坊さまと立ち話をたり、聴聞に来た牛車の駐車することなどにまで目を配り、すっかり場馴れしている顔つきなのです。

しばらく会わなかった人と参詣で来合わせると、珍しがって、そばにくっついて座り、話あったりうなずきあったりして、おかしなことなど話しだしたりして、扇を広く広げて、口にあてて笑い、たくさん飾りをつけてある数珠をまさぐって、手でいじりまわし、あちらこちらに目をやりなどして、車の悪い良いをほめたりけなしたり、どこそこの場所で誰それが行った法華八講や経供養をしたことを、あんなことがあった、こんなことがあったと、互いに言い合っているものですから、肝心のここお説経の言葉などは耳にも入らないのですよ。
「なんの、なんの。いつも聞いていることなので、耳慣れていて、別に珍しくもありませんよ」ということなのでしょうよ。

そんな蔵人の五位のような者ではなくて、高座に講師が座ってしばらくたった頃に、先払いも控えめでほんの少しばかりである牛車を止めて降りて来る人たち、それは、蝉の羽より軽そうな直衣や指貫、下には生絹の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も単衣は同様に軽快な服装で、若くすらりとしている男性三、四人ぐらいで、それにお供の者がまたそのぐらいの人数を連れて会場に入ってくると、もとから座っている人たちも、少し身体を動かして、場所を空け、上座にあたる高座のそば近い柱のもとに席を譲ると、かすかに数珠を押しもみなどして説経を聞いて座っているのを、講師もきっと晴れがましいことと感じていることでしょう。
「ぜひとも、世間に後々までにも語り伝えられるほどに」と、力を込めて説き始めているようです。

それらの貴公子たちは、他の聴聞者たちが講師の熱弁に引き込まれて、大げさに騒ぎ礼拝する状態になるのには加わらず、「適当なところで、引きあげよう」ということで出ていこうとするときに、女性の聴聞者が乗っている牛車の方に視線をやって、仲間同士で話をしている言葉も、「いったい何を話しているのだろう」と、気がもめるのです。
それらの貴公子たちを、こちらが見知っている時には「さすがに格好いいなあ」と思いますし、見知らない人の場合は、「誰でしょうか」「あの方かしら」などと想像したりして、つい目をひかれて自然と見送ってしまうのですが、それがいいのですよ。

「どこそこで説教があった」「法華八講があったらしいよ」などと、人が噂話をする時に、
「あの人は来ていましたか」「来なかったって、そんなはずはないんだがなあ」などと、いつもきまって噂されるような者は、あまりにも度が過ぎていますよ。
そうは言っても、説経の場所に全然顔を出さないでよいというものでもありません。身分の低いような女でさえ、とても熱心に聴聞するようですのに。
とは言え、私が聴聞に出かけ始めた頃は、お説教を聞きに出歩く女性は見なかったですね。
まれには、壺装束(貴族の女性の外出姿)などして、優雅にお化粧をして出掛けてる人もいるようでした。ただ、そのような女性は、お寺詣でなどのついでだったようですね。そのような装束で、お説経だけを聞くために出掛ける話は、そう多くは聞かなかったですね。

私が熱心にお説教の場に通っていた頃口うるさかった人が、長生きしていて最近の私の様子を見ましたら、私の不信心をどれほど非難し、悪口を言うことでしょう。



当時、説経の場は、一種のサロンのような面を持っていたようで、その様子が興味深く描かれています。
特に、元蔵人に対する考え方と、若い貴公子に対する考え方が、まるで平安のおばさま族のようで、才媛の誉れ高い少納言さまの意外な一面を見たような気がします。
また、当時の人々は、あらゆる面において神仏の力に頼る生活でした。
例えば、医療にしても、一部に薬草などは利用されていたのでしょうが、治療の主体は、神社仏閣を頼りとする加持祈祷でした。
少納言さまも、説経の場などに足繁く通っていたと思われるのですが、この章段においても、神や仏に対してかなり冷静に見ていると思われる部分があり、興味深いところです。

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