ラ・フランス

2018-12-22 05:28:12 | 日記

 

朝から上空は青空で今の時期では珍しい程の良い天気。最初剪定したリンゴ畑の剪定は終り場所移動してラ・フランスをする。自宅から2km程離れた園地だが農道は舗装で楽な運転。

園地高校入学当時頃に農地の交換分合で区画整理されている。中学卒業休みに農地交換分合の割り当て出役人として土方として働いた。まだ新しい農道を造るにもまだ機械は無くそれぞれスコップでモッコやソリを使っての土方作業で大変だった。高校入学時の春休みで我が家にもやっと耕耘機が入り機械化農業の走りだった。

当時は雪が多く作業場所まで到着するにもそれぞれが思い思い作業道具を担いで難儀して歩いていった。厚いマント、雨ガッパ蓑で纏い寒さを防いで作業して。大抵は桑園でまだ果樹園地は珍しくあってのまだ幼木でだった。

赤、黒の役牛1頭、2~3頭の乳牛飼育の酪農が始まったばかりで雌の子牛が生まれた時には近所、仲間等を招待して賑やかな酒盛りだった。まだ畑は桑園と大小麦、白菜畑で飼料作物栽培はなかった。乳牛の餌は藁、畦草、川原の草、芋蔓、蚕の残渣で購入飼料はふすま豆かすだった。早朝から草刈りで遅く起床すると刈り取り場所が少なくなるので早起き競争で草刈りをした。

畑の所処に石塚がありそれを壊して道路に敷いて固めた。2人組になって担ぐ手モッコや2本の棒を刺して造ったモッコやソリに積んでひっぱたり押したりして農道を造成した。塚には冬眠中の蛇、長いも等も見つかり棒頭が持って行って食べていた。

日暮れが早く作業が終わり帰宅途中に当時では流行の先端を行く果樹農家で白黒テレビが有り広い玄関の土間で相撲を見させて貰うのが最高の楽しみだった。郷土の歴史は柏戸の前に富樫で面白かった。

今では立派な果樹園地で初代ではなく2代目の改稙時期になっている。いろんな思い出が次から次へと当時の事が走馬燈のように浮かんで来る。今年のラ・フランスは自然災害も少なくまあまあの出来だった。